第5話 封蝋の手紙と、国家レベルの共犯
国際会議最終日の夜。熱気に満ちたレセプション会場を抜けた先のテラスは、驚くほど静かでした。
月明かりに縁取られた城下町を眺めながら、わたくしは胸の奥で小さく息を吐きます。
(……言ってしまいましたわね。戦争エンド直行の未来なんて)
「お疲れのご様子ですね、リリアーヌ嬢」
背後からの声に振り向けば、昼間はただの銀髪青年だった男が、今は皇太子の礼服をまとって立っていました。胸元の帝国紋章が、氷の溶ける音より静かに光ります。
「セドリック殿下」
「さっきのもしも話ですがね」
殿下はグラスを軽く掲げ、気楽そうな笑みを浮かべました。
「今日のことは忘れてくださって構いません。ただ、我が国は忘れません」
さらりと告げられた二行に、背筋がひやりとします。
「それは……国家機密級の仮説として扱われるべきものですわ」
「ですから、扱い方の約束をしておきましょう」
夜風の中、ふたりの声だけが行き交いました。
「まずひとつ。帝国は、この情報を口実に侵攻しない。兵を動かすのは最後の手段です。できれば、兵を出さずに終わらせたい」
「……ありがたいお約束ですわ」
「ふたつめ。聖女ミア嬢を駒としては扱わない。彼女はまだ、学園の少女でしょう」
「ええ」
わたくしは迷わず頷きました。
「ミア様は、選ばされた少女であって、戦場の旗ではありませんわ。祈りの行き先はともかく、彼女自身を掲げることは、誰にも許されません」
「その点については、我が国も同じ考えです」
「最後に。貴国の教会や貴族に不穏な動きがあれば、まずは密かに共有し合うこと。真実を暴くにしても、公開処刑ではなく、対話の場を選びたい」
「断罪ではなく、対話の場……」
ゲームで一度も選ばれなかった選択肢。その言葉を、わたくしはそっと胸に刻みました。
「こちらの条件は、以上です」
「随分とお優しい皇太子様ですこと」
からかうと、殿下も口元だけで笑います。
「優しいというより、現実主義ですよ。戦争で一番損をするのは、兵を出す側ですから」
「そういう言い方をなさるところが、実に皇太子らしくていらっしゃるわ」
「では、こちらからもひとつだけ」
殿下は視線を夜景へ滑らせ、声の調子を少し落としました。
「あなたの国が、あなたのような人材を切り捨てる愚を犯したなら。そのときだけは、帝国も兵を出すかもしれません」
「……まあ」
「救出のために、ですが」
軽口のようでいて、冗談ではない響き。
「その事態にならぬよう、こちらとしても最善を尽くしますわ」
「それで十分です」
◇
数日後。帝都を発つ馬車の中で、わたくしは父と向かい合って座っていました。窓の外で、巨大な城壁と帝国の旗が遠ざかっていきます。
「疲れておるか、リリア」
「少しだけ、ですわ」
そう答えると、父はわたくしの顔を一瞬だけ見つめ、それから窓の外へ視線を逸らしました。
「お父様。セドリック殿下とは、国内外でどのような評判なのでしょう?」
さりげなさを装って尋ねると、父は腕を組みます。
「表向きは温和で、争いを好まぬ文化派皇太子、というところだな。だが実際には、内政改革の多くに関わっておられる。軍部からも一目置かれているそうだ」
「戦場より、机上で勝つお方……」
「そう評する者もおる。皇帝陛下が殿下の進言をよく採用しておられることからしても、父に甘える王子ではなく、信頼される後継者だろう」
(やはり、情報を渡した相手としては最善に近い……はずですわね)
そう自分に言い聞かせながらも、細い不安が喉元をなぞります。
(もし、わたくしが間違えていたなら。国ごと隣国を巻き込むことになりますわ)
そんな気配を察したのか、父は再びこちらを見ました。
「ローゼリアのことを思ってくれているなら、それで十分だ」
「お父様?」
「ただし、自分ひとりで国を背負う顔はするな。そういう顔は、王の仕事だ」
わたくしは背筋を伸ばし、小さく頷きました。
◇
ローゼリアへ戻った昼下がり。公爵家の書斎で、わたくしは未来ノートを広げていました。
聖女の祈り地図、特定商会の帳簿、レオン殿下の支持基盤となる貴族たちの名前。赤と青のインクで埋まった紙面の中央には、教会強硬派、特定商会、レオン派貴族を結ぶ三角形。
(このまま肥大化すれば、戦争エンドまっしぐら、ですわね)
扉を叩く音に顔を上げると、執事が銀盆を携えて立っていました。
「お嬢様。帝国より、書簡が到着しております」
盆の上には、帝国の紋章入りの赤い封蝋が押された手紙。セドリック殿下の指輪と同じ紋が、蝋の上で静かに光っています。
喉の奥がひやりとしましたが、わたくしは平静を装ってそれを受け取り、執事を下がらせました。
「……さて」
慎重に封を切り、便箋を開きました。
まず目に飛び込んできたのは、礼儀正しい感謝と報告です。
会議期間中に交わした仮説の議論が帝国に多くの示唆を与えたこと。頂いた情報は皇帝および宰相府と共有し、この件は帝国として正式に記録に残すこととしたこと。
(帝国として、正式に)
文字を追う視線が、一瞬だけ止まりました。軽率なおしゃべりが、国家の記録へと変わってしまった現実に、背筋がぞくりとします。
続いて、冷静な情勢分析と、柔らかな警告が綴られていました。
教会と一部商会、貴族の連携は数字だけ見れば熱心な信仰にも見えるが、過去の望ましくない前例に酷似していること。
帝国としては、戦火が他国から飛び火するのも、聖職者が戦の口実に利用されるのも好まないこと。
そして末尾。筆致が、ほんの少し柔らかくなります。
「この書簡が、あなたがひとりきりではないと感じる材料になれば幸いです」
「もしも、あなたの心が折れ、あるいは身の安全が脅かされるような事態になったなら。そのときは留学やご静養といった建前を用意することも、不可能ではありません」
「我が妹は、あなたがどのようなドレスの色を好まれるのか気にしております」
最後の一文に、思わず頬が緩みかけて、慌てて表情を整えました。
(いけませんわ、これは恋文ではなく、国家間の書簡ですもの)
便箋を伏せ、未来ノートの余白に赤インクで書き込みます。
『帝国:ローゼリア内政の第三者証人になりうる』
◇
その夜。自室の机の上には、未来ノートと帝国からの手紙が並んでいました。
「……さて、こちらも動きませんと」
戦争ルートと書いたページを開き、教会強硬派、特定商会、レオン派貴族の三角形の外側に、小さく新しい文字を足しました。
『帝国(監視・抑止)』
続いて、手紙の中で特に重い二文に赤線を引きます。
この件は帝国として正式に記録に残す。
あなたの心が折れたら、帝国に逃げてきてもいい。
「……本当に、用意のいいお方ですこと」
小さく呟き、今度は返事用の上質紙を引き寄せました。
書き出しの一行は、すぐに決まります。
『先日は、軽率なおしゃべりに過分なお心を砕いていただき、ありがとうございました』
わたくしは商会や祈り地図の傾きについて、固有名詞をぼかしつつ構造だけを綴っていきました。
帝国の介入に対しては、この国が自ら是正する機会を尊重してほしいこと。もし公の場が必要になったなら、断罪ではなく対話の場として設けてほしいこと。
そして最後に、彼が差し出してくれた逃げ道への答えを書き添えます。
『お申し出の避難先については、そのような事態にならぬよう最善を尽くすことで、お返事とさせてくださいませ』
『けれども、もしも――そのときが来たなら。その言葉を、わたくしの最後の切り札として大切に胸にしまっておきますわ』
便箋を折り畳み、封筒に収めて赤い蝋を垂らし、公爵家の紋章印を押しました。蝋が冷えて固まるぱちりという小さな音が、やけに重く響きます。
(これは、ただの恋文ではありませんわね)
(わたくしは今、隣国と一緒に、未来の証拠を作ったのですもの)
机の上には、帝国の封蝋が押された手紙、公爵家の封蝋を受けた返書、そして赤インクで埋め尽くされた未来ノート。三つの赤が静かに並んでいました。
この夜を境に、悪役令嬢リリアーヌの戦場は学園だけではなく、大陸地図そのものへと、静かに広がっていくのだと。
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第二部は「学園の外で静かに燃え広がる国家レベルの共犯関係」をテーマに進んでいきます。
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