第4話 書庫の皇太子と危険な仮説
帝都の会議宮は、冷たく整った石の箱のような場所だった。
真っ直ぐな廊下、軍楽隊の響き、磨き上げられた床。その中央で、我が国の紋章と教会の聖紋が、諸国の旗に囲まれている。
「本日は、聖女ミア様の祈りによる恵みに感謝を──」
挨拶が変わっても、出てくる単語は同じだ。
わたくしは微笑みを崩さず、心の中だけでため息をついた。
(やっぱり、聖女ブランドは危険ですわね)
「帝国は、教会を前に出さぬぶん、身軽だな」
父が低く呟く。
「あなたは、数字と構造を見ていなさい。言葉は、あとでいくらでも取り繕える」
「はい、お父様」
そう返しながらも、こめかみの奥がじんと重い。
聖女の名を飾りに使う挨拶を、何度聞かされたか数えたくもない。
「少し、静かな場所で頭を冷やしてまいりますわ」
「行ってきなさい。侍従を呼ぼう」
父に一礼すると、帝国の若い侍従が現れた。
「控えの間と大書庫がございますが」
「大書庫をお願いできます?」
◇
案内に従って廊下を抜け、重い扉をくぐる。
そこには、天井まで届く本棚が果てしなく並んでいた。魔導灯の光が革装丁の背表紙を照らし、静かなざわめきだけが漂っている。
(……書庫についてだけは、帝国に完敗を認めるべきかもしれませんわ)
心の中でだけ敗北宣言をして、わたくしは宗教と軍事史の棚へ向かう。
背表紙には、見慣れた地名が並んでいた。
北境戦役。国境紛争小史。聖堂騎士団遠征記録。
ゲームの戦争ルートで何度も見た文字が、現実の書物で同じ並びをしている。
背筋に薄い冷たさが走る。
棚の端、窓際の席に、銀髪の青年がひとり座っていた。
簡素な上着にゆるいタイ。軍服でも礼装でもないが、姿勢だけはきれいだ。
机の上には本が小さな塔のように積まれ、その頂点の一冊を、眠たげな目が真剣に追っている。
その横で本を抜き取ろうとして、わたくしは山の端を指先でかすめてしまった。
「あ──」
崩れかけた本が、空中でふわりと止まり、そのまま元の位置に戻る。
銀髪の青年が片手を上げ、短い呪文を囁いたのだろう。魔力の揺らぎが、空気をかすめた。
「失礼。僕の方が占領しすぎていたみたいだ」
「いえ、こちらこそ。不用意に触れてしまって、申し訳ありませんわ」
会釈すると、青年はページに指を挟んだまま首を傾げる。
「その発音……ローゼリア王国の方ですね?」
「はい。ローゼリア王国からの随員として、会議に同行しておりますの」
「なるほど。僕はガルディアの……文官見習い、というところでしょうか」
文官見習いにしては落ち着きすぎている気がするが、わたくしも名乗るつもりはなかった。
国際会議の場で、公爵令嬢の名を軽々しく晒すほど無警戒ではない。
「あなたが名乗らないなら、僕もそうしておきます。公平に」
「助かりますわ」
わたくしは彼の手元の本に目をやった。
「○○戦役小史、ですの?」
思わず背表紙を読み上げてしまう。
青年は目を瞬かせ、本を少しこちらへ傾けた。
「ええ。聖堂騎士団が初めて帝国外へ遠征した時の記録です。こちらの史書では、ずいぶんきれいに書かれていて」
「商会の動きについて、ほとんど触れられていないのではなくて?」
口が先に動いた。
未来ノートで何度も見返した戦争ルートの裏側が、頭の中で勝手に並び始める。
青年は、興味深そうに目を細めた。
「……そこまで書いている本は、帝都でも多くないはずですが」
「少し、そういう話に詳しいだけですわ」
「ところで」
青年が、ふいに話題を変える。
「君の国の聖女は、こういう場でどう扱われると思います?」
「どう、とは?」
「外交の場に連れ出すのか、内側に閉じ込めておくのか。
それとも、奇跡を見せて諸国を黙らせる切り札にするのか」
さきほど会議場で聞いた提案が、頭をよぎる。
聖女を王太子の隣に立たせ、諸国の前で祈らせる案。
信仰と政治を、完全に混ぜてしまうやり方。
「……もし、ある国が聖女の奇跡を誇りすぎて、他国の前で見世物のように扱ったら」
史書を閉じ、窓の外を見ながら言う。
「奇跡にあずかれなかった国々は、どう感じるでしょう。羨望か、恐怖か、それとも」
「それとも?」
「自分たちも別の加護を手に入れようとして、他の神や別の大国へすり寄るかもしれませんわ」
未来ノートに記した戦争エンドを、固有名詞だけ抜いて並べ替える。
それを、いつものように「物語」として語った。
青年は少し考え、それから指先で机を軽く叩く。
「つまり、こういう筋書きですね」
落ち着いた声が纏めていく。
「聖女を独占する国が、奇跡を輸出して政治カードにする。
それに反発した国が、別の加護や同盟を求めて動き出す」
そこで一度区切り、目だけこちらを見た。
「そして、いちばん得をするのは……自分では兵を出さないのに、戦の準備だけを手伝う者たちだ」
胸の奥がきゅっと縮む。
教会、特定商会、一部貴族。未来ノートに描いた三角形が、脳裏にくっきり浮かんだ。
青年は小さく息を吐き、決定的な一言を落とす。
「戦争で一番儲かるのは、兵を出さない者だ」
わたくしは息を呑み、咳払いでそれをごまかした。
「君の国の教会は、かなりの土地と財を持っていると聞きます」
青年は何でもない雑談のように続ける。
「そこに聖女と、王太子殿下の人気が重なるなら……聖女ブランドの価値は、戦争前から天井知らずだ」
(この人、どこまで知っていて、どこからが推測なのかしら)
「もちろん、今のは物語としての、もしもの話ですわ」
慌ててそう付け加えた。
「現実の誰かを指しているわけではございません」
「物語ほど厄介なものはないですよ」
青年は、口元だけで笑う。
「現実の誰かが、その筋書きを真似したくなるから」
「もし本当に、そんな物語が動き始めているなら」
眠たげな瞳が、まっすぐこちらを射抜く。
「君は、戦争で儲からない側にいてほしいね」
意味を測りかねて、一瞬だけ言葉に詰まる。
それでも、公爵令嬢としての返答は決まっている。
「ええ。全力で、そう努めますわ」
◇
会議場へ戻る廊下に出ると、王国代表団と帝国側の要人たちが、ちょうどすれ違おうとしていた。
先頭には、帝国の紋章をつけた軍装の青年。
銀髪が軍帽の下からのぞき、金の肩章が魔導灯の光をはね返す。
(……え)
一瞬だけ誰か分からなかったが、すぐに理解する。
眠たげに見えてよく動く瞳。控えめな笑みの形。
書庫の青年だ。
帝国の宰相格らしき人物が前に出て、澄んだ声で告げた。
「我がガルディア帝国第一皇太子、セドリック・ガルディア殿下であらせられる」
父が恭しく礼を取り、王国側の随員も一斉に頭を下げる。
わたくしも所作どおりに礼をしながら、頭の中だけが真っ白になっていた。
顔を上げると、セドリックと呼ばれた青年と目が合う。
彼は、公的な笑みを崩さないまま、ほんのわずかに頷いた。
「先ほど、こちらのご令嬢に我が国の書庫を案内していただきました」
形式的な挨拶の最中に、さらりと言葉を差し込む。
「歴史に通じた方とお見受けします。いずれ、改めて意見を伺いたい」
王国側の視線が、一斉にわたくしへ注がれた。
父の声が響く。
「ローゼリア公爵令嬢、リリアーヌにございます」
(最初から、わたくしが誰か分かったうえで……あの話を?)
列が動き、言葉を交わす隙もなく、わたくしたちはすれ違う。
背中越しに、先ほどの一言が頭の中で何度も繰り返された。
戦争で一番儲かるのは、兵を出さない者。
──わたくしは、帝国皇太子に向けて、未来ノートの戦争ルートを話してしまったのだ。
◇
その夜、公爵家にあてがわれた客室で、わたくしは未来ノートを開いた。
インク壺の蓋を外す手が、少しだけ震えている。
「ガルディア帝国第一皇太子、セドリック殿下」
「戦争で一番儲かるのは、兵を出さない者」
「この物語を、わたくし以外にも読んでいる人がいるかもしれない」
(物語の読者が増えたのなら、筋書きを変える手も、そろそろ本気で考えなくてはなりませんわね)
小さく息を吐き、わたくしはノートを閉じる。
窓の外では、帝都の灯りが静かに瞬いていた。
あの皇太子が、どちら側に立って物語を読むのか。
お読みいただきありがとうございます!
リリアーヌとセドリック、そして「物語を知る者」同士の駆け引きは、ここから一気に加速していきます。
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