第1話 断頭台の悪夢と未来ノート
がらがら、と鉄のこすれる音がした。
「悪役令嬢だ」「聖女いじめよ」
耳だけがやけに冴えている。
ぬるい風と血の匂いの中、わたくしはゆっくりと瞼を上げた。
王城大広間。
いつもなら舞踏会が開かれる場所の中央に、見慣れない木の台が組まれていた。
断頭台。
色ガラス越しの光が床の赤黒い染みと、その脇の一輪の白い花を照らしている。
首には重い枷。両手は縛られ、ひざまずかされていた。
「アルベール公爵令嬢、リリアーヌ・アルベール」
「第一王子レオンハルト殿下への叛逆」
「聖女ミア・ローゼットへの、悪意ある嫌がらせ」
神官の声が、ざらざらとした音になって頭上から降ってくる。
群衆の向こうに、二人の姿が見えた。
茶色の髪を震わせる少女、ミア・ローゼット。
両手を胸の前で組み、今にも泣きそうな声で叫ぶ。
「どうか、リリア様を……あまり責めないでください……!」
けれど、その視線は決してわたくしと合わない。
隣には、金髪碧眼の王子。レオンハルト殿下。
かつての婚約者は、硬い表情のまま、低く呟いた。
「これも、国のためだ」
胸の奥で、ひどく冷めた声がした。
――出た。「国のため」。
恐怖より先に浮かぶのは、数字だ。
これで、三周目。
ローズクロニクル。
前世でわたくしが周回し尽くした乙女ゲームの、バッドエンドC。
悪役令嬢リリアーヌ処刑ルート。
「これより、刑を執行する!」
処刑人が刃を構えた瞬間、視界の端で窓の外が赤く染まる。
遠くの空に、黒い煙が立ちのぼっていた。
それも知っている。
聖女失踪から始まる戦争エンド。国境が炎に包まれる、追加パッチのバッドエンド。
処刑エンドのあとに、戦争エンド。
わたくしは、からからに乾いた喉で呟く。
「本当に、最悪なコンボですわね……」
刃が振り下ろされ、首筋に冷たいものが触れた。
叫び声と共に世界が反転し、わたくしは天蓋付きベッドの上で跳ね起きた。
◇
荒い息を吐きながら、しばらく天蓋の刺繍を見つめる。
「……夢、ですわよね」
震える声で呟き、周囲を見回した。
薔薇の彫刻が施された家具。
窓辺のレースカーテン。
壁の王立学院の紋章。
アルベール公爵家令嬢の寝室。
カーテンの隙間から差し込む光は、柔らかな朝だった。
「……入学式の、前日」
記憶が、現在と噛み合う。
ここは前世で遊んでいた乙女ゲーム「ローズクロニクル」の世界。
そして今のわたくしは、その中でバッドエンドを連発する悪役令嬢リリアーヌであり、中身はそのゲームを周回していた元社会人ゲーマーだ。
ベッドから降り、ドレッサーの前に座る。
鏡には、乱れた金髪と淡いローズピンクの瞳の少女が映っていた。
「前世のわたくし、本当に趣味が悪いゲームを選びましたわね」
小さくため息をつき、ベッドの下に手を伸ばす。
取り出したのは、鍵付きの革表紙ノートだ。
表紙の内側には、前世のわたくしの悪ノリが残っている。
『未来ノート』
「センスがないにもほどがありますわ、前世のわたくし」
額を押さえながらも、口元が少しだけ緩む。
けれど、このふざけたタイトルのノートこそ、今のわたくしの命綱だ。
ノートを開くと、既にゲームのメインルートのメモが並んでいる。
『学園3年・卒業パーティ・断罪イベント』
『国外追放エンド』
『殿下と聖女が結ばれるハッピーエンド(悪役令嬢は大体処罰)』
ページの余白には、前世での深夜テンションがそのまま残っていた。
『バッドエンドC:断頭台』
『戦争エンド:誰も幸せになってない』
さきほどの悪夢は、その二つをまとめて見せられたようなものだ。
震える指でペンを取り、夢で見た情報を上書きする。
『王城大広間に簡易処刑台』
『ミアとレオンが群衆の中に』
『窓の外、黒煙』
一通り書き終えたところで、ページをめくった。
『時間軸整理』
今。
入学式前日。ゲーム開始地点。
3年後。
卒業パーティと断罪イベント。王子から婚約破棄宣言。
5年後。
処刑エンド。悪役令嬢、断頭台へ。
7年後。
聖女失踪からの戦争エンド。国境炎上。
「このままだと、5年後に処刑、7年後に戦争……」
声に出した途端、背筋が冷たくなった。
ゲームの中なら、バッドエンドコンプも笑い話で済む。
けれど今、そこにぶら下がっているのは、わたくしの首と、この国そのものだ。
深呼吸を一つして、ページの下部に大きく線を引く。
『目的:1 処刑エンドの回避』
『目的:2 戦争エンドの回避』
◇
「お嬢様、朝食のお時間でございます」
ノックの音と共に、侍女のマリアンヌの声がする。
わたくしはノートを素早く閉じ、鍵をかけてベッド下にしまった。
「すぐ参りますわ」
鏡の前で髪と表情を整える。
悪夢にうなされていた顔を消し、公爵令嬢としての微笑みを顔に貼りつけた。
食堂へ向かう廊下には、王城大広間を描いた絵画が飾られている。
そこには、未来の断頭台予定地が、きらびやかな踊り場として描かれていた。
「5年後にここに処刑台を置くなんて、誰の趣味ですの」
心の中だけで毒づきながら、扉を押し開ける。
「おはようございます、お父様、お母様」
「おはよう、リリア」
新聞と政務書簡の束を前にした父アルベール公爵が、顔を上げる。
その隣で、母が優雅に微笑んだ。
「具合はどう? 顔色は悪くないわね」
「ええ、おかげさまで」
席につくと、紅茶の香りがふわりと立ちのぼる。
「明日の入学式には、第一王子殿下もご臨席なさる。婚約者として、恥ずかしくない振る舞いをしなさい」
パンをちぎりながら、父が当たり前のように言った。
「もちろんですわ、お父様」
外側だけなら、理想的な婚約者を演じる自信はある。
問題は、中身――ゲーム通りに3年後の断罪イベントを起こさせないことだ。
黙ってスープを飲んでいると、父が新聞を置いた。
「このところ、教会の発言ひとつで穀物価格まで揺れる。聖女の祈りの行き先を握られている以上、王家も強く出づらい」
「聖女候補のローゼット伯爵令嬢も、学院にいらっしゃるのでしょう?」
母が招待状の束を指で弾いた。
「平民出のお母様を持つとかで、皆、話題にしているわよ」
ミア・ローゼット。
ゲームのメインヒロインであり、わたくしのバッドエンドの鍵を握る少女。
「……わたくしも、お目にかかるのが楽しみですわ」
微笑んでそう答えながら、心の中で未来ノートのページをめくる。
聖女失踪。
北境暴動。
教会強硬派。
特定商会。
物騒な単語が、ミアの名前の周りをぐるぐると回っていた。
「リリア」
父が真剣な声でわたくしを呼ぶ。
「おまえは頭も回るし、肝も据わっている。王家と教会、どちらとの橋渡しも、おまえ次第だ」
「……光栄に存じますわ、お父様」
そう答えながら、心の中でこっそり付け加える。
だからこそ、絶対にバッドエンドには落ちていられないと。
◇
朝食を終えて自室に戻ると、わたくしはすぐに未来ノートを開いた。
『目的:1 処刑エンドの回避』
『目的:2 戦争エンドの回避』
その下に、新しく行を足す。
『補足:まずは、「危うい王子」のルートを矯正すること』
危うい王子。
レオンハルト殿下は、お優しくて、真っ直ぐで、弱き者の味方を自称する理想の王子だ。
けれど、情報を持たない善意ほど、厄介なものはない。
ゲームの中の殿下は、ミアの涙を信じて、悪役令嬢リリアーヌを断罪した。
その結果、教会強硬派と聖女利権を握りたい貴族たちの思う壺になったのだ。
「殿下が、ゲームと同じ理想の王子様なのか、それとも」
窓の外に見える王城を見上げる。
明日の入学式で、久しぶりに婚約者殿下と顔を合わせる。
「わたくしの知らない選択肢を、持っていてくださると良いのですけれど」
遠くで、街の鐘と王城の鐘が同時に鳴り始めた。
それは、王立学院での3年間と、処刑エンドと戦争エンドへ続く二重のカウントダウンが、静かに動き出した音のように聞こえた。
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本日は23時までで1部終了の6話まで投稿しますのでお付き合いいただければと思います。




