第3話:渋谷スクランブル、見えない屠殺場
「ねえ、このリンク踏んだ?」
放課後の教室。
友人のマサが、ニヤニヤしながらスマホの画面を突きつけてきた。
画面には、まとめサイトの記事。
タイトルは『【閲覧注意】行方不明のライターが遺した最後の記事「犬神の作り方」がヤバすぎる』。
「ああ、それ今バズってるやつだろ? 嘘くせーよな」
僕は気のない返事をして、自分のスマホをいじった。
ここ数日、SNSのタイムラインはこの話題で持ちきりだ。
記事を書いた灰谷というライターは本当に行方不明になり、添付されていた「白い犬の画像」を見ると呪われる、なんて噂が飛び交っている。
「でもさ、コメント欄見たか?
『咀嚼音が聞こえる』とか『画面から獣臭がする』とか、書き込みがリアルなんだよ」
マサは画面をスクロールし、問題の画像を表示した。
土の中から首だけ出した、白い犬。
画質は荒いが、その目はカメラレンズを通り越して、見ているこちら側の魂をねめつけているようだった。
ゾクリ。
背筋に氷柱を突き刺されたような悪寒。
「……やめろよ。なんか気持ち悪い」
「ビビりすぎだろ健太。ほら、拡大して……」
その時だった。
『クチャ……クチャ……』
音がした。
マサのスマホからではない。
教室の空気が、湿った音を立てて振動している。
「え? なにこれ、マナーモードにしてるのに」
マサが焦ってスマホを振る。
だが、音は止まない。
むしろ、大きくなる。
『ガリッ、ボリッ……』
硬いものを噛み砕く音。
そして、強烈な腐敗臭が教室に充満し始めた。
何かが腐ったような、血と膿の混じった甘ったるい臭い。
「うっ、くさっ! なんだよこれ!」
マサが鼻をつまんだ瞬間。
バギンッ!!
破裂音と共に、マサのスマホの画面が内側から砕け散った。
ガラスの破片が舞う。
「痛っ!」
マサが手を引っ込める。
だが、遅かった。
「……え?」
マサの手首から先が、無かった。
切断されたのではない。
まるで、見えない巨大な口に、一瞬で食いちぎられたかのように、断面がギザギザに抉れている。
「あ……あ……?」
マサは自分の腕を見つめ、理解が追いつかないまま口をパクパクさせた。
次の瞬間、鮮血が噴水のように吹き出した。
「ぎゃあああああああああああっ!!!」
絶叫。
パニックになる教室。
だが、恐怖は終わらない。
宙に浮いた「見えない牙」が、次はマサの頭部へと向かう。
『足リナイ』
スマホのスピーカーではない。
僕の脳内に直接、ノイズ混じりの飢えた声が響いた。
『食ベサセロ、オ前ラノ、指ヲ、目ヲ、脳ミソヲ』
シュパッ。
音が消えた。
マサの首から上が、空間ごと消失した。
ドサリと倒れる制服だけの死体。
そして、血だまりの中に落ちた、砕けたスマホの画面には、
まだあの白い犬の画像が表示されていた。
犬は、笑っていた。
口元を、マサの血で真っ赤に染めて。
「ハァッ……ハァッ……!」
僕は渋谷の雑踏を走っていた。後ろを振り返る余裕はない。だが、気配は追ってくる。
スクランブル交差点。巨大ビジョンに映るCM、通行人たちのスマホ、街頭のデジタルサイネージ。あらゆる「画面」から、あの視線を感じる。
『見ツケタ』『見ツケタ』『食ベサセロ』
周囲の通行人のスマホが一斉に鳴り響く。通知音ではない。あの、湿った咀嚼音だ。
「うわっ、なんだこれ! スマホが熱い!」「画面から血が出てる!? キャアアア!」
交差点の真ん中で、悲鳴が連鎖する。見えない獣が、群衆の中に飛び込んだのだ。サラリーマンの腕が飛び、女子高生の足が消滅する。
阿鼻叫喚の地獄絵図。現代の東京が、一瞬にして屠殺場へと変わる。
僕のポケットの中で、スマホが焼けるように熱くなる。捨てたい。でも、指が震えて掴めない。
目の前の空間が歪む。巨大な顎が、僕を飲み込もうと開かれる気配。死ぬ。喰われる。
「――『急急如律令』」
凛とした声が響いた。
刹那。僕の目の前に、青白い光の壁が出現した。見えない牙が光の壁に激突し、バチバチと火花を散らす。
「伏せて!」
黒いセーラー服を着た少女が、僕の襟首を掴んで強引に引き倒した。彼女の手には、古びた和紙の護符と、最新型のタブレット端末が握られている。
「……お前、誰だ?」
僕が震える声で尋ねると、彼女は悲痛な瞳で僕を見下ろした。
「狗神ざくろ。……この『怪物』を作ってしまった、大罪人よ」
彼女はタブレットを操作し、複雑なコードのような文字列を高速で入力する。すると、周囲の空間に浮かぶデジタルサイネージの画面が次々とブラックアウトし、獣の気配が薄れていった。
「一時的に、このエリアの回線を遮断したわ。でも、長くは持たない。シロは……犬神は、Wi-Fiがある場所ならどこへでも移動できるから」
ざくろは、唇を血が出るほど強く噛み締めていた。その顔色は幽霊のように白いが、瞳には決死の覚悟が宿っている。
「ごめんなさい。巻き込んでしまって。あれは、私の家の欲望の成れの果て。父も、母も、使用人も……みんな喰われたわ」
彼女の声が震える。
「あの時のシロは、ただお腹を空かせていただけだったのに。私たちが、あの子を『怨念のシステム』に変えてしまった。だから……私が終わらせなきゃいけないの」
「終わらせるって……どうやって?」
「専門家のところへ行くわ。このデジタル化した呪いを、物理的に封印できる唯一の男のところへ」
ざくろは僕の手を引いた。その手は氷のように冷たかったが、不思議と離してはいけない気がした。




