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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第19章:狗喰(いぬじき)の家 ~座敷牢の美少女は、生首の犬に飯を盛る。僕らが育てた「神様」は、飼い主の味しか知らなかった~

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第2話:犬神の逆襲:喰われる飼い主

 異変は、加速していく。


 株価の暴騰や事業の成功と反比例するように、狗神家の人々の「品性」が崩壊し始めた。


 最初は、食事のマナーだった。

 箸を使わず、手づかみで食べるようになった。

 次に、嗜好が変わった。

 火を通した料理を嫌い、生肉や内臓を好むようになった。


 そして今。

 久しぶりに訪れた狗神本邸は、異様な熱気に包まれていた。


「ううっ……あ、ああっ……!」


 廊下を歩いていると、うめき声が聞こえる。

 客間を覗くと、重蔵が四つん這いになっていた。


 彼の目の前には、山盛りの札束が積まれている。

 だが、重蔵はその札束を、あろうことか口に詰め込んでいた。


「金だ……金だ……もっと、もっとだ……」


 紙幣を噛みちぎり、飲み込む。

 喉を詰まらせ、白目を剥きながら、それでも詰め込む。


「重蔵さん!?」


 僕が駆け寄ろうとすると、彼はギロリと僕を睨みつけた。


『ウゥッ……ワンッ!!』


 人間の声ではなかった。

 大型犬が威嚇するような、腹の底に響く咆哮。


 彼の顔つきが変わっていた。

 下顎が異常に発達し、歯茎から牙のようなものが覗いている。

 目は赤く充血し、焦点が合っていない。


「……近づかないほうがいいわ」


 ざくろが、陰から現れた。

 彼女の手には、生きたウサギが握られている。

 ウサギは恐怖で痙攣していた。


「神様の力が強くなりすぎたの。

 父様はもう、神様の『器』として耐えきれなくなってきている」


「どういうことだ! 制御できているんじゃなかったのか!?」


「制御?」

 ざくろは冷ややかに笑った。


「犬神はね、飼い主に忠実なうちはいいの。

 でも、一度でも『飼い主が自分より下だ』と認識したら、どうなると思う?」


 彼女はウサギの首を、愛おしそうに撫でた。


「逆転するのよ。

 首輪をつける側と、つけられる側が」


 その時、床の間の壺が、ガタガタと激しく震え出した。


 キィィィン……!


 耳をつんざくような音が響く。

 それは、辻に埋められた時にシロが聞いた、無数の車のブレーキ音のようにも聞こえた。


 重蔵が頭を抱えてのたうち回る。


「痛い、痛い! 首が、首が熱い!!」


 彼の首筋に、赤いあざが浮き上がってくる。

 まるで、見えない首輪で締め上げられているかのように、皮膚がめり込んでいく。


「腹が減った……腹が減ったぁぁぁ!!」


 重蔵の絶叫が屋敷にこだまする。

 それは、かつて土の中で飢え狂っていた、シロの叫びそのものだった。


 富という名の餌を与えられすぎた犬神は、もう普通の食事では満足しない。

 もっと、もっと、濃密な「命」を欲している。


 僕は後ずさりした。

 逃げなければ。

 ここはもう、人間の住む場所じゃない。


 だが、玄関へ向かおうとした僕の足を、何かが掴んだ。


 見えない手。

 いや、見えない「顎」。


 足首に、鋭い牙が食い込む感覚。


『行カセナイ』


 頭の中に、直接響く声。


 振り返ると、ざくろがウサギの首をへし折りながら、僕を見て微笑んでいた。


「逃げられないわよ、透さん。

 だって貴方は、神様の首を斬った、一番の『親』なんだから」



 深夜2時。

「草木も眠る丑三つ時」と言うが、今の狗神邸は地獄の釜が開いたような騒乱の中にあった。


「ひいぃっ、ひぃぃぃっ!」


 使用人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

 だが、廊下の角を曲がった瞬間、見えない力に引きずり倒され、闇の中へと消えていく。


 聞こえるのは、骨を砕く音と、咀嚼音だけ。


 僕は客間の押し入れに隠れ、息を殺していた。

 スマホの光だけが頼りだ。

 圏外。

 警察も呼べない。


 障子の向こうで、重蔵の声がした。


「お許しください……お許しください犬神様ぁっ!!」


 あの傲慢だった当主が、泣き叫んでいる。


「肉ならやる! 金もやる! 村の若い女もくれてやる!

 だから、俺だけは……俺だけは助けてくれぇぇぇ!!」


 卑しい命乞い。

 だが、それに対する返答は、乾いた足音だった。


 ペタ、ペタ、ペタ。


 裸足の足音が近づいてくる。

 そして、重蔵の目の前で止まった。


『足リナイ』


 しわがれた、しかし聞き覚えのある声。

 ……ざくろ? いや、違う。

 あれは、ざくろの口を借りた「何か」だ。


『牛モ、馬モ、人間ノ子供モ食ッタ。

 デモ、満タサレナイ。

 俺ガ一番食ベタイノハ……』


 静寂。

 そして、ニチャリという粘着質な音がした。


『俺ヲ、コンナ体ニシタ奴ノ、肉ダ』


 次の瞬間。


 ブチブチブチッ!!!!


 布が裂けるような音ではない。

 人体が、無理やり引きちぎられる音だ。


「ぎゃあああああああああああああああああああっ!!!!」


 重蔵の断末魔。

 だが、それはすぐにゴボゴボという溺れるような音に変わった。


 僕は隙間から見てしまった。


 半開きの障子の向こう。

 月明かりに照らされた畳の上。


 ざくろが、重蔵の「首」に噛み付いていた。


 いや、噛み付いているのではない。

 重蔵の首が、胴体からねじ切られ、ざくろの手の中にあった。


 彼女の口は耳まで裂け、人間のそれではありえない大きさで開いている。

 そこへ、実の父親の生首を押し込み、かじり付いているのだ。


 脳漿が飛び散り、眼球が弾ける。


「おいしい……おいしいわ、お父様」


 ざくろの声色だが、イントネーションは獣のそれだ。


「脂が乗ってて、欲深くて、罪深くて……最高の味よ」


 クチャ、クチャ、クチャ、クチャ。


 永遠に続くかと思われる咀嚼音。


 かつて、僕たちはシロに同じことをした。

 飢えさせ、首を切り、餌に飛びつかせた。


 今、その因果が完全に巡ったのだ。

 犬神は、自らを飢えさせ、呪いの道具として利用した飼い主を喰らうことで、真の完成を見た。


 食事が終わる。

 重蔵の頭部は、あとかたもなく消え失せた。


 ざくろが、ゆっくりと顔を上げる。

 口の周りを血で真っ赤に染めた彼女は、押し入れの中にいる僕の方を向き――


 にこりと笑った。


「次は、透さんの番ね」


 彼女の背後に、巨大な白い犬の影が揺らめく。

 その影の首には、かつて僕がつけてやった赤い首輪が、肉に食い込むほどきつく巻かれていた。


 ふすまが、音もなく開く。


 僕の目の前に差し出されたのは、血に濡れたお盆。

 そして、ざくろが囁く。


「さあ、召し上がれ。

 それとも、召し上がられたい?」


 僕のスマホが、手から滑り落ちた。

 画面には、かつて僕が書いた記事のタイトルが光っていた。


『現代に蘇る錬金術! 犬神伝説の村で見た、奇跡の成功譚』


 奇跡なんかじゃない。

 これは、ただの処刑だ。


 暗闇の中で、無数の牙が光るのを見た。

 そして僕の意識は、牙の檻の中へと閉ざされていった。

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