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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第19章:狗喰(いぬじき)の家 ~座敷牢の美少女は、生首の犬に飯を盛る。僕らが育てた「神様」は、飼い主の味しか知らなかった~

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第1話:愛しき頭蓋と、最初の晩餐

今回は「犬神」×「サイバーホラー」。

飢えさせて首を斬るという伝統的な犬神の呪いが、もし現代のSNSで拡散されたらどうなるのか? をテーマに書きました。

罪を背負った美少女・ざくろと、怪異専門の探偵・御門が、無差別に人を喰らう最強の呪い「シロ」に挑みます。

救いのない展開がお好きな方におすすめです。


 熱気と湿気がまとわりつく、四国の深い山奥。

 セミの鳴き声が、脳みそを直接ヤスリで削るような耳鳴りに聞こえる。


 僕は、日本刀のつかを握りしめていた。

 手汗で革が滑る。

 目の前には、土から生えた「白い何か」がある。


 シロだ。


 一ヶ月前、この限界集落「犬鳴淵いぬなきぶち」に取材に来た僕に、唯一尻尾を振ってくれた雑種犬。

 クリクリとした黒い瞳で、僕のズボンの裾を甘噛みしていた、あの子だ。


 だが、今のシロに面影はない。


 首から下は、硬い土の中に生き埋めにされている。

 もう一週間、水一滴、餌一粒すら与えられていない。


「……グルルッ……」


 喉の奥から漏れるのは、枯れ果てた威嚇音。

 飛び出した眼球は赤く充血し、ひび割れた鼻先からは膿のような粘液が垂れている。


 極限の飢餓。

 犬という種が持つ理性のタガは外れ、そこにあるのは純粋培養された「食欲」と「憎悪」だけ。


とおるさん、やって」


 背後から、鈴を転がすような声がした。

 狗神いぬがみざくろ。

 この村を支配する旧家の令嬢であり、僕に借金返済のチャンス――つまり、この狂った儀式の片棒を担ぐことを提案した悪魔だ。


 彼女は白無垢のような着物を身にまとい、手にはお盆を持っている。

 お盆の上には、湯気を立てる炊きたての白米。

 その中央に、真っ赤な生肉が鎮座していた。


 極上の匂い。

 一週間飢え続けた獣にとって、それは太陽よりも眩しい「生」そのものだ。


 シロの首が、ビクンと跳ねた。


 鼻翼が激しく膨らむ。

 眼球が、あさっての方向を向きながらも、強烈に飯を凝視する。


「今よ」


 ざくろが囁く。


「あの子の欲望が頂点に達した瞬間に、首をねて。

 そうすれば、あの子は死んだことに気づかず、首だけの執念で飯に食らいつく。

 それが、最強の呪物になるの」


 やりたくない。

 逃げ出したい。

 けれど、周囲を取り囲む村人たちの視線が、僕を逃がさない。


 僕は、震える手で刀を振り上げた。


 シロと目が合う。

 そこに、かつての親愛の色はなかった。

 あるのは、

『寄越せ』

『喰わせろ』

『邪魔をするな』

 という、どす黒い怨嗟だけ。


 ごめん。

 ごめん、シロ。


「う、あ、ああああああっ!!」


 僕は絶叫と共に、刀を一閃させた。


 ドサッ。

 鈍い音。


 だが、それは首が落ちる音ではなかった。


 ヒュンッ!!


 空を飛んだシロの首は、物理法則を無視した軌道を描き、ざくろが持つお盆の上へと「着地」したのだ。


 ガアッ!!


 耳をつんざく顎の音。

 首だけのシロが、生肉と白米に食らいつく。

 クチャ、ガリ、ボリ、クチャ。


 骨が砕け、肉がすり潰される音。

 生首が、一心不乱に飯を喰らい息絶えた。


「……ああ、素晴らしい」


 ざくろは、血飛沫を浴びた顔で、恍惚の表情を浮かべていた。


「見て、透さん。

 これが『犬神』の誕生よ。

 この首を往来の辻に埋め、何千人もの人間に踏ませて恨みを熟成させたら……焼き上げて骨にするの」


 彼女は、動かなくなったシロの頭を、愛おしそうに撫でた。


「これでもう、私たちの家は安泰ね」


 僕はその場で嘔吐した。

 胃の中身が空になっても、耳の奥で響く「クチャ、クチャ」という咀嚼音だけは、消えることがなかった。



 それから、一年が経った。


 東京、港区のタワーマンション最上階。

 眼下に広がる夜景を見下ろしながら、僕は高級ブランデーを揺らしている。


 嘘のような話だが、人生は逆転した。


 あの儀式のあと、狗神家はとてつもない幸運に見舞われた。

 所有していた二束三文の山林がリゾート開発用地として法外な値で売れ、当主であるざくろの父が適当に買った株は暴騰し、一族の資産は数十億に膨れ上がった。


 共犯者である僕にも、その「おこぼれ」は回ってきた。

 借金は完済し、今では「新進気鋭のノンフィクション作家」として、メディアにも引っ張りだこだ。


 すべてが順調だった。

 あの「壺」が、狗神家の床の間に祀られるまでは。


 先日、狗神家の本邸で行われた祝賀会でのことだ。


 屋敷は以前よりも豪華に改築され、床も壁も真新しいひのきになっていた。

 村人たちも高価な服を身に着け、酒池肉林の宴が開かれている。


 だが、何かがおかしい。


「……臭わないか?」


 僕が尋ねると、隣に座っていた村長が、脂ぎった顔で首を傾げた。


「なんの匂いです?」

「なんていうか……獣臭いような、腐ったような」


 村長は鼻をひくつかせ、ニヤリと笑った。


「ああ、これは失礼。

 きっと『神様』が喜んでおられるんでしょう」


 祭壇の奥。

 金箔を貼られた厨子ずしの中に、あの壺がある。

 辻に埋めて恨みを増幅させ、掘り出して焼き上げた、シロの骨が入った壺だ。


 その壺の周りだけ、空気が澱んでいる。

 いや、歪んでいる。


 ざくろの父、狗神重蔵じゅうぞうが、上機嫌で杯を掲げた。


「皆の者!

 これも全て、我らが守り神、犬神様のおかげじゃ!

 願えば叶う。欲すれば手に入る!

 これぞ、狗神家の繁栄の極みなり!」


 ドッと沸く会場。

 だが、僕は見てしまった。


 重蔵が箸で掴んでいる料理を。


 それは、皿に盛られた高級な霜降り肉……ではなく、

 装飾用に置かれていた「生の鶏頭」だった。


 重蔵はそれに気づく様子もなく、生の鶏の頭を口に放り込み、

 ガリッ、ベチャッ

 と音を立てて噛み砕いた。


 周囲の人間は、誰もそれを指摘しない。

 いや、見えていないのか?


「透さん」


 背筋が凍るような声。

 振り返ると、ざくろが立っていた。


 彼女は以前よりもさらに美しくなっていたが、その肌は死人のように白く、瞳孔は針のように細まっていた。


「父様、最近食欲がすごいの」


 彼女はクスクスと笑う。


「願いを叶えるたびに、神様はお腹が空くのよ。

 だから、もっともっと『エサ』をあげなきゃいけないの」


「エサって……何をあげてるんだ?」


「それは、秘密」


 彼女は人差し指を唇に当てた。

 その指先が、微かに赤黒く汚れていることに、僕は気づかないふりをした。


 豪邸に充満する獣臭。

 それは、栄華を極めた一族が放つ、腐敗の予兆だった。

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