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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第3章:件(くだん)は配信を嗤う

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第1話:廃畜舎の配信者

 第3章「くだんは配信を嗤う」をお届けします。


 祖母が語ってくれた、古い古い怪異譚。皆さんの記憶にも、そんな話が一つや二つ、ありませんか?


 今回は、民俗学者でありながら「怪奇探検チャンネル」を運営する配信者が主人公です。彼女が次なるネタとして選んだのは、幼い頃に祖母から「決して探してはいけない」と聞かされた、凶事を告げる妖怪『くだん』。


 古の伝承と現代のネット配信が交わる時、禁忌は新たな形でその牙を剥きます。

 これは、再生数と引き換えに、決して開けてはならない扉を開けてしまった女性の物語。


 それでは、本編『くだんは配信を嗤う』。配信開始です。


 祖母の声は、いつも土と古い木の匂いを纏っていた。あの声で語られる「くだん」の話は、幼い私の枕元で、夜の闇をより深く、より粘稠なものへと変えた。牛の胴体に人間の老人の顔を持つ化物。その出現は必ず凶事を告げる -天変地異、疫病の蔓延、個人の破滅。祖母は震える指で私の額を撫でながら、決して探してはいけないと繰り返した。その指の冷たさは、三十年経った今も、東京の真ん中の自宅で深夜にパソコンの光に目を細めている時に、突然、脊椎の奥を這い上がってくることがある。


「民俗学者って、結局そういう怖い話を追いかける人でしょ? 玲子さん、次は何を探すんですか?」


 SNSの通知音が、薄暗い書斎に金属的な爪痕を引いた。画面には、私の「怪奇探検チャンネル」の最新動画へのコメントが列をなしている。朽ちた神社の奥院、廃村の道祖神、伝説の祟り石…。軽妙な語り口と、学術的な裏付けらしき断片を散りばめたコンテンツは、一定の熱心な視聴者を惹きつけていた。彼らが求めているのは学術的真実ではない。背筋がゾクッとする、安全な範囲でのスリルだ。私はそれに応える。それが現代の民俗学者の、一つの在り方だと自分に言い聞かせて。


「次は…『件伝承の核心に迫る?』ってとこかな。ちょっとディープな場所に行く予定」


 そう返信しながら、心臓の裏側で、あの土と古木の匂いが微かに揺れた。祖母の警告。それを無視するように、私はキーボードを叩き続けた。今回のターゲットは、北関東の山間部にぽつりと残る、とある廃棄された畜舎群だ。地元の怪談サイトには、十件近くの「件の目撃談」が、荒唐無稽でありながら奇妙に具体的な詳細と共に書き込まれていた。特に、中心となる巨大なコンクリート製の旧実験棟と呼ばれる建物は、獣医学的な「何か」が行われていたという仄暗い噂が付きまとう。真実かどうかは問題ではなかった。視聴者の興味を引く「舞台装置」として完璧だった。


 合理主義? もちろん私は信じていない。少なくとも、意識の表層では。あの幼い日の恐怖は、冷蔵庫の奥で忘れられた瓶詰めのように、蓋を開けようとしなければ無害なものだ。今回もただの廃墟探索。埃と蜘蛛の巣、そしておそらくは誰かの悪意ある仕掛けが待っているだけだ。そう思うことにした。



 車を降りた瞬間、山間の冷気と、濃厚な腐敗臭が鼻の奥を貫いた。獣臭というよりは、有機物が長い年月をかけて変質し、土と湿気と混ざり合った、澱んだ生命の残滓のような匂いだ。目の前には、戦後の粗末な木造畜舎がいくつも、骨組みだけを晒して傾きながら立ち並んでいた。その中心に、異質な存在としてそびえるのが目的の旧実験棟だ。無機質な灰色のコンクリート。窓は全て、厚い鉄板で内側から溶接されているか、あるいは砕かれて闇の口を開けている。時間と湿気が壁を侵食し、黒い水の筋が無数の裂け目から滲み出ている。


「おはようございます、探検隊のみなさん! 水野玲子です! 今日は超がつくほどの激アマ物件、伝説の『件の巣窟』とも呼ばれる、旧県立家畜衛生研究所跡に潜入です!」


 スマホを固定したジンバルを構え、明るく、やや大げさな口調で配信を開始する。画面には、興奮気味のコメントが早いテンポで流れていく。『わあ、雰囲気やばい』『早く中入って!』『件いるかな?w』。彼らの期待に応えるパフォーマンス。私は軽妙なトークを続けながら、鉄格子が外れた入口の闇へと足を踏み入れた。


 内部は想像以上に広く、深かった。天井は高く、無数のパイプや落下した天井材が、蜘蛛の巣のように絡み合って垂れ下がっている。僅かに差し込む外光が、埃の舞う空中に不気味な光の柱を立てる。床はぬかるみ、何かが腐敗したような粘り気のある黒い泥が靴底を捉える。カメラのフラッシュライトが、壁に無数に開けられた小部屋の扉を照らす。かつて個別の檻だったのだろう。そのいくつかには、錆びた鎖や、何かを固定していたと思われる金具が、意味ありげに残されていた。


「ここで何が行われていたのか…地元の資料にはほとんど記録が残っていないんですよね。『特殊な治療』とか『品種改良の実験』とか、噂だけが一人歩きしている感じで…」


 話しながらも、背筋に冷たいものが走る。幼い頃、祖母が囁いた「件」の話が、まるで壁のひび割れから染み出す黒い水のように、記憶の奥底から浮かび上がってくるのを感じた。『凶事の前触れ』。馬鹿げている。こんな場所に何がいるというのだ。ただの廃墟だ。ただの――


 ふと、配信の画面上に流れたコメントが目に留まった。


『右下の奥の方…なんか白いもの映ってる?』


『影?』


『気のせいか?なんか動いた?』


 私の視線は、指示された方向――建物の最も奥まった、コンクリートの壁が奇妙に歪んだコーナーへと向かった。カメラをそちらに向ける。フラッシュライトが、堆積した塵埃と蜘蛛の巣のカーテンを突き破る。


 そこに、それはあった。


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