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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第17章:「開けて、私だよ」夜中にインターホンを鳴らすのは、俺がゴミに出したはずの球体関節人形。助けてくれるのは、煙管をくゆらせるイケメン陰陽師だけ

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第7話:「捕食」と呼ばれる愛

 ヘッドライトの光が、世界を白く塗り潰していく。

 迫りくる大型トラックの轟音は、地獄の底から響くドラムロールのようだった。その圧倒的な質量の接近に、大気さえもが震えている。


 僕、神崎蓮は、ガードレールの支柱に背を預け、動かない身体を必死に支えていた。首から下の感覚は、もはや自分の肉体のものではない。冷たく硬化した皮膚の下で、骨が樹脂の棒へと変質していく幻痛だけが、僕がまだ生きていることを教えてくれる。


 目の前には、彼女がいる。

 エリス、あるいは黒井亜リス。かつて僕が愛し、そして捨てた人形。

 逆光の中に立つ彼女のシルエットは、悪夢のように歪んでいた。背中から生えた鋭利な蜘蛛の足のようなパーツが、アスファルトを削りながら蠢いている。半壊した顔面からは、青白い燐光が漏れ出し、それが涙のように頬を伝っていた。


「蓮くん……どうして? どうして逃げるの?」


 彼女の声は、トラックの轟音にかき消されることなく、僕の脳内に直接響いてきた。


「あんな鉄の塊で、私たちの愛が壊せるとでも思っているの? 無駄だよ。肉体が潰れても、魂は混ざり合うの。ねえ、早くこっちへ来て」


 彼女が一歩、踏み出した。

 その瞬間、御子柴龍玄が動いた。


「混ざり合うだと? 笑わせるな。貴様のそれは愛じゃない。ただの『捕食』だ」


 御子柴は着流しの袖を噛み破り、自身の血を指先に纏わせた。そして、虚空に向かって複雑怪奇な印を刻み込む。その指の動きは残像を残し、血の軌跡が赤い檻となって空間に固定されていく。


「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ! バク!!」


 御子柴の咆哮と共に、赤い血の格子がエリスの周囲に出現した。

 それは物理的な檻ではない。空間そのものを凝固させる、高密度の呪術結界だ。


『ギィィィィッ!?』


 エリスの動きが止まった。見えない鎖に全身を縛り上げられたかのように、彼女の関節があり得ない音を立てて軋む。


「木島! 蓮を連れて伏せろ!!」


 御子柴が叫ぶと同時に、彼は膝をつき、口から大量の血を吐き出した。全霊力を注ぎ込んだ代償だ。彼の顔色は紙のように白いが、その瞳だけは爛々と輝き、迫りくるトラックを見据えていた。


「ぐぅっ……動け……動けよぉ!」


 木島が僕に覆いかぶさり、ガードレールの外側、草むらの方へと僕を引きずり倒した。

 僕の視界の端で、エリスが必死に抵抗しているのが見えた。


『嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!! 離して! 私は蓮くんと一つになるの!』


 彼女の背中の蜘蛛足が、結界の赤い格子を突き破ろうと暴れる。

 バリバリバリ! という、ガラスが割れるような音が響く。御子柴の術が破られようとしているのだ。彼女の妄執は、熟練の陰陽師の命懸けの術さえも凌駕しようとしていた。


「間に合え……!」


 僕の喉から、祈りのような、軋むような声が漏れた。


 トラックのクラクションが、断末魔のように長く、鋭く鳴り響いた。

 運転手は気づいただろうか。道路の真ん中に立つ、異形の少女に。それとも、ただの白い影に見えただろうか。


 ブレーキ音。タイヤがアスファルトを焼き、白煙を上げる。

 だが、遅い。

 数十トンの鉄の塊は、慣性の法則に従い、無慈悲な凶器となって彼女へと突っ込んだ。


 衝突の直前、エリスは首だけを回し、僕を見た。

 その碧い瞳が、ヘッドライトの光を受けて、一瞬だけ元の美しい人形の瞳に戻ったように見えた。


『愛してる』


 彼女の唇がそう動いた。


 ***


 ドォォォォォォォン!!


 衝撃音は、音という概念を超えていた。空気の塊が弾け飛び、僕たちの鼓膜を叩き潰した。

 世界がスローモーションになる。


 トラックのバンパーが、彼女の華奢な身体を捉えた。

 人間ならば、肉塊となって弾き飛ばされるか、タイヤの下に巻き込まれて終わるだろう。

 だが、彼女は違った。


 彼女の身体は、弾けるように砕け散った。


 肉や血ではない。

 白い陶器の破片、複雑な歯車、ゴム紐、ガラス玉、そして黒い汚泥のような呪いの塊。

 それらが爆散し、夜空に舞い上がった。


 トラックのフロントガラスが蜘蛛の巣状にひび割れ、車体は大きく傾きながら火花を散らしてスライドしていく。

 粉砕された彼女のパーツは、散弾銃の弾丸のように周囲に撒き散らされた。


 パラパラパラパラ……。


 アスファルトに降り注ぐのは、硝子と陶器の雨。

 その一つ一つが、月光を反射してキラキラと輝いている。それは皮肉にも、息を呑むほど幻想的で、残酷な光景だった。


「う、あ……」


 木島が顔を上げる。彼の頬には、飛んできた白い欠片が突き刺さり、血が滲んでいた。

 僕もまた、その光景を目に焼き付けていた。


 トラックは数十メートル先でようやく停止した。斜めに道を塞ぎ、ラジエーターから蒸気を上げている。


 終わったのか?

 静寂が戻ってくる。虫の声さえ聞こえない、死のような静けさ。


 その時。

 僕の足元に転がってきたものが目に入った。


 それは、エリスの右腕だった。

 肘から先だけの、白い腕。指先は欠け、美しいレースの袖は泥と油にまみれている。

 だが、その指が。


『ピクッ……』


 動いた。

 本体を失い、粉々になってもなお、その指は僕の方へ這い寄ろうとしていた。


「ひっ!」


 僕は悲鳴を上げようとしたが、喉が詰まって声が出ない。

 恐怖ではない。

 共鳴だ。

 僕の右手が、勝手に動き出したのだ。

 地面に落ちた彼女の右腕に呼応するように、僕の指が痙攣し、土を掻く。


『まだ……終わらない……』


 どこからともなく声が聞こえる。

 アスファルトの上に散らばった無数の破片。その一つ一つから、微かな囁き声が漏れているのだ。


『愛してる……一緒だよ……ずっと……』


 砕け散った破片が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、ゆっくりと振動し、集まり始めた。

 トラックの残骸の下で、黒い靄が渦を巻く。


「しぶとい……これほどとはな」


 御子柴がよろめきながら立ち上がった。口元の血を拭いもせず、彼は懐から小さな布袋を取り出した。


「核は砕いた。今はただの残滓ざんしが集まろうとしているだけだ。だが、放っておけばまた形を成す」


 御子柴は布袋の紐を解き、中身をぶちまけた。

 それは、真っ赤な砂だった。辰砂しんしゃだ。魔を封じる朱色の砂。


「風よ吹け、塵は塵に、土は土に!」


 突風が巻き起こった。

 御子柴が撒いた辰砂が風に乗り、集まろうとしていたエリスの破片を包み込む。

 赤い砂に触れた瞬間、白い陶器の破片はジュッという音を立てて溶け、黒い煙となって蒸発していった。


『熱い! 熱いよぉ! 蓮くん、助けて!』


 断末魔の叫び。

 それはもはや言葉にならず、不快なノイズとなって夜空に消えていく。


「さよならだ、エリス」


 僕は、自分の意思で、痙攣する右手を左手で押さえつけた。

 僕の中にある彼女への未練、憐憫、そして恐怖。それら全てを断ち切るように。


 黒い煙は夜風に流され、やがて完全に消滅した。

 道路に残されたのは、トラックのタイヤ痕と、ただのゴミ屑のようになったわずかな残骸だけだった。




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