第6話:「一つになりたい」という狂気
座敷の畳の上を転がり、仰向けになった僕の視界に、奇妙な光景が映り込んだ。
天井の木目がぐにゃりと歪み、スクリーンとなって映像を映し出し始めたのだ。
それは、過去の記憶。エリスの、いや、あのアートドールに込められた記憶の断片。
薄暗い工房。窓の外はずっと雨。
一人の男が、一心不乱に人形を彫っている。男の顔はやつれ、目は狂気を孕んでいる。
『愛しいエリス……君だけは、私を裏切らない』
『君は完璧だ。老いることも、腐ることもない。永遠に美しい』
男は自らの指を切り、その血を人形の唇に塗った。
『私の命をあげる。だから、君も私に命を捧げておくれ』
男の歪んだ愛。独占欲。孤独への恐怖。
それが、人形という器に注ぎ込まれ、凝縮されていく。
映像が切り替わる。
店に並べられた人形。多くの客が彼女を美しいと称賛したが、誰も買わなかった。彼女の瞳に宿る「重すぎる情念」を感じ取ったからだ。
そして、僕が現れた。
無邪気に「綺麗だ」と言い、彼女を連れ帰った僕。
彼女にとって、僕は救世主であり、新たな所有者であり、そして……新たな「素材」だった。
『蓮くんは、私を愛してくれた……』
脳内に直接、彼女の声が響く。
『だから、私も蓮くんを愛するの。一つになりたいの。混ざり合いたいの』
「違う……それは愛じゃない! ただの執着だ!」
僕は叫んだ。声帯が硬直し、声が金属的に響く。
『同じだよぉ……』
ズズズ……と、畳が盛り上がり、そこから彼女が姿を現した。
床下から湧き出てきたかのように。
彼女の姿は、さらに異形と化していた。
失われた半分の顔は、僕の捨てたゴミ袋の中にあった生ゴミや、泥、ガラス片で修復されていた。美しさと醜悪さが同居する、悪夢のような造形。
「ひっ……」
木島が腰を抜かし、後退る。
彼女は僕を見つめた。その碧い瞳だけは、変わらず透き通っていた。
「蓮くん、痛いのは最初だけだよ。関節を全部外して、私のパーツと組み替えるの。そうすれば、永遠に一緒だよ」
彼女が手を伸ばす。その指先から、無数の赤い糸が伸び、僕の四肢に絡みついた。
「ぐあああああ!」
糸が食い込む。皮膚が裂けるが、血は出ない。代わりに、白い陶器の粉が舞う。
僕の皮膚は、もう人間のものではなかった。
「させるか!」
御子柴が割って入る。懐から取り出したのは、一本の古びた五寸釘。
「呪い返しだ。その身で受けろ!」
御子柴は五寸釘を、彼女の影に突き立てた。
『ギャッ!?』
彼女の動きが止まる。影縫いの術だ。
「今だ! 蓮、走れ! この屋敷はもう保たん!」
御子柴の叫びと共に、屋敷全体が激しく振動し始めた。壁に亀裂が走り、天井が崩落し始める。彼女の力が暴走し、空間そのものを崩壊させようとしているのだ。
「立て、蓮!」
木島が僕を担ぎ上げる。
僕の足はもう動かない。完全に硬化している。木島は僕を引きずりながら、崩れゆく廊下を走った。
***
「逃がさない……逃がさない……!!」
背後から、絶叫が聞こえる。
影縫いの釘が、彼女の怪力によって徐々に引き抜かれていく音。
僕たちは瓦礫を避け、なんとか庭へと脱出した。
雨は上がっていた。雲の切れ間から、冷たい満月が顔を出している。
「車は!?」
「ダメだ、門が潰れて出せねえ!」
木島の軽自動車は、崩落した門の下敷きになっていた。
「走るしかない! 大通りまで出れば、なんとかなる!」
御子柴が先導する。着流しの裾を翻し、彼は驚くべき速さで走った。
木島は僕の肩を借りて走ろうとするが、僕の右足は棒のように固まり、地面を引きずる音だけが虚しく響く。
『カコン……カコン……』
自分の足音なのに、まるで追いかけてくる彼女の足音のようだ。
「木島、僕を置いていけ……このままじゃ、二人とも追いつかれる」
「馬鹿野郎! ここまで来て見捨てられるか!」
木島は泣きそうな顔で怒鳴った。
屋敷の方から、爆発音がした。
瓦礫の山を吹き飛ばし、彼女が飛び出してきたのだ。
その姿は、月光の下でより一層、絶望的だった。
彼女は四つん這いで走っていた。背中からは蜘蛛の足のような鋭利なパーツが生え、それを地面に突き刺しながら加速している。
速い。車並みの速度だ。
「御子柴さん! 何か手はないんですか!」
木島が叫ぶ。
御子柴は走りながら、懐を探った。
「最後の手だ。だが、準備がいる! 広い場所だ! 遮蔽物のない、直線道路へ出ろ!」
「大通りですね!?」
僕たちは住宅街の路地を抜け、幹線道路へと向かった。
深夜の道路は静まり返っている。時折、大型トラックが轟音を立てて通過するだけだ。
あと少し。ガードレールが見えてきた。
『蓮くぅぅぅぅぅん!!』
すぐ後ろまで迫る気配。腐臭と、甘い香水の混じった匂い。
彼女の伸ばした腕が、僕の背中を掠めた。
「うぐっ!」
衝撃で前にのめり込む。
僕たちはもつれ合うようにして、ガードレールを乗り越え、広い車道へと転がり出た。
アスファルトの冷たさが頬に触れる。
見上げると、彼女がガードレールの上に立っていた。
月を背負い、ボロボロのドレスをはためかせ、異形の肢体を晒す彼女。
その顔は、もはや怒りも悲しみもなく、ただ純粋な「殺意」と「愛」で塗り固められていた。
「やっと……二人きりになれたね」
彼女がゆっくりと、アスファルトに降り立つ。
御子柴が僕たちの前に立ち、最後の印を結ぶ。しかし、彼の額には大量の汗が流れていた。
「木島、蓮。……覚悟はいいか」
御子柴の声は震えていなかったが、そこには決死の色があった。
「俺の全霊力を使って、あいつを一瞬だけ『固定』する。その隙に逃げろ。……いや、逃げるんじゃない」
御子柴はニヤリと笑った。
「あいつを、終わらせるんだ」
遠くから、重低音が響いてくる。
地響きのような音。ヘッドライトの強い光が、闇を切り裂いて近づいてくる。
大型トラックだ。
「あいつは物理的な破壊じゃ死なない。だが、器を粉々に砕けば、核となっている呪いは霧散する。……賭けだ」
僕の身体は、もう首から下がほとんど動かない。
喉の奥から、ギシギシという音が漏れる。
視界の端が白く濁り始めている。
これが最後だ。
僕は残った全ての力を振り絞り、彼女を睨みつけた。
「エリス……僕はお前のモノにはならない!」
彼女が叫び、跳躍した。
御子柴が吼えた。
そして、光が全てを飲み込もうとしていた。




