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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第17章:「開けて、私だよ」夜中にインターホンを鳴らすのは、俺がゴミに出したはずの球体関節人形。助けてくれるのは、煙管をくゆらせるイケメン陰陽師だけ

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第4話:陰陽師、御子柴龍玄

 ベランダに出ると、雨風が容赦なく吹き付けてきた。三階からの脱出。隣の部屋のベランダへ飛び移り、そこから避難はしごを使うしかない。


「急げ! ドアが破られるぞ!」


 木島に促され、僕は手すりに足をかけた。その瞬間、身体に異変が走った。


 膝が、曲がらない。


「……え?」


 恐怖で足がすくんでいるのではない。物理的に、関節がロックされたように固まっているのだ。


「何してる、早くしろ!」


「動かないんだ! 足が……膝が!」


 自分の膝を見る。暗闇でよく見えないが、触れてみると、皮膚の下にあるはずの膝蓋骨さらにの感触がおかしい。骨ばっているというより、丸く、滑らかな球体のような感触。


 まさか。


 僕は戦慄した。彼女の言葉が蘇る。『私の一部にしてあげる』。


 呪いは、精神だけではない。僕の肉体そのものを、人形へと変質させようとしているのか。


「くそっ、浸食が始まってるのか!」


 木島が僕の腕を掴み、強引に引き上げた。激痛が走る。関節が本来曲がらない方向へ無理やり動かされたような痛み。


『ギギッ……』


 僕の膝から、あの音がした。エリスと同じ、関節が軋む音が。


「うあぁぁぁっ!」


 自分の身体から発せられた異音に、僕は絶叫した。人間でなくなっていく恐怖。それが死ぬことよりも恐ろしく感じられた。


 どうにか隣のベランダへ移り、避難はしごを降りる。その間も、僕の身体のあちこちが悲鳴を上げていた。肘、手首、首。関節という関節が、油の切れた機械のようにギシギシと鳴る。


 地上に降り立ち、雨の中を走り出す。


 見上げると、木島の部屋のベランダに、黒い影が立っていた。


 首を直角に曲げ、手すりを乗り越えようとしているゴスロリ姿の少女。


『待ってぇ……置いていかないでぇ……』


 彼女が手すりから身を投げた。

 重力に引かれ、落下してくる。普通なら大怪我だ。だが、彼女は地面に叩きつけられる直前、猫のように身体を捻り、四つん這いで着地した。


 グチャ、という嫌な音ではなく、カシャン、という硬質な音が響く。


 彼女は四つん這いのまま、蜘蛛のように手足を奇妙に動かしながら、こちらへ這い寄ってきた。その速度は、二本足で走るよりも遥かに速い。


「車だ! 俺の車に乗れ!」


 木島がアパートの駐車場に停めてある軽自動車へ走り寄る。キーレスエントリーの音が、これほど待ち遠しかったことはない。


 助手席に転がり込み、ドアを閉める。木島がエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。


 タイヤが空転し、車が急発進する。


 ドンッ!


 リアガラスに何かがぶつかった。バックミラーを見ると、ガラスに張り付く白い顔があった。


『開けて……入れて……』


「うわああああ! ついてきてる! 張り付いてるぞ!」


「振り落とす!」


 木島はハンドルを左右に切り、急ブレーキと急加速を繰り返した。


『ギギ……痛い……蓮くん、痛いよぉ……』


 怨嗟の声が車内に響く。だが、やがて大きなカーブを曲がった遠心力で、彼女の身体は振り落とされた。アスファルトの上を、人形のように転がっていくのが見えた。


 それでも、彼女はすぐに起き上がり、遠ざかる車を見つめていた。その姿が小さくなるまで、僕は震えながら後ろを見続けていた。


 ***


 車は深夜の幹線道路を走っていた。街灯の光が、流れる帯のように過ぎ去っていく。


「……撒いたか?」


 僕の問いに、木島は首を横に振った。


「一時的なものだ。あれは地の果てまで追ってくる。それに、お前の身体……」


 僕は自分の手を見た。指の関節が、白く変色しているように見える。感覚も鈍い。まるで、自分の手が手袋越しの他人の手のように感じる。


「時間がねえな。このままだとお前、完全に人形になっちまう」


「どうすればいいんだ……病院に行っても治らないだろ、これ」


「ああ。医者じゃ無理だ。専門家プロに頼むしかない」


 木島はスマホを取り出し、どこかへ電話をかけた。短いコールの後、相手が出たようだ。


「もしもし、御子柴みこしばさんですか? ……ええ、夜分にすいません。木島です。……はい、緊急です。かなりヤバい案件で……ええ、『生きた人形』です。……はい、今から向かいます」


 通話を終えると、木島はハンドルを握り直した。


「行くぞ。この街で一番腕の立つ陰陽師のところへ」


 車は都心を離れ、古い屋敷が立ち並ぶ静かな住宅街へと入っていった。一際大きな、古風な門構えの家の前で車が止まる。表札には『御子柴』とだけ書かれている。


 門をくぐり、石畳のアプローチを進む。玄関の引き戸が開くと、そこには一人の男が立っていた。


 和服を着流し、長い黒髪を後ろで束ねた男。年齢は三十代半ばだろうか。切れ長の目は鋭く、しかしどこか気だるげな雰囲気を漂わせている。手には煙管キセルを持ち、紫煙をくゆらせていた。


「ようこそ、丑三つ時の訪問者たち。……随分と賑やかなものを連れてきたな」


 男の声は低く、よく通るバリトンだった。


御子柴みこしば 龍玄りゅうげんさんです」


 木島が紹介した。この男が、陰陽師。


 御子柴は僕を一瞥しただけで、鼻を鳴らした。


「ふん。半分、あっち側に足突っ込んでるな。関節から『死』の音が聞こえるぞ、学生さん」


「助けてください……! 彼女が、人形が追ってくるんです!」


 僕は縋るように言った。御子柴は煙管の灰をコンと落とし、冷ややかな目で僕を見下ろした。


「助ける? ……甘いな。お前が愛したんだろ? その人形を」


「え……」


「呪いってのはな、一方的なものじゃ成立しねえんだよ。お前の中にあった『孤独』や『執着』が、人形の呪いと共鳴した。お前が招き入れたんだ」


 突き放すような言葉。だが、それは真実だった。僕があの人形を買わなければ。僕が孤独を埋めるために彼女を利用しなければ。


「でも……死にたくないんです。人間として、生きたいんです」


 僕の言葉に、御子柴はわずかに口角を上げた。


「『生きたい』か。……その執着があるなら、まだ見込みはあるか」


 彼は懐から一枚の和紙を取り出し、何やら指で空中に文字を書くような仕草をした。


「入れ。結界を張る。だが、安心するのは早いぞ」


 御子柴が玄関の扉を閉めようとした、その時だった。


 夜の静寂を切り裂くように、遠くからあの音が響いてきた。


『ギシ…………ギシ…………』


 今までよりもずっと大きく、重く、そして怒りに満ちた音。


「来たか」


 御子柴が目を細める。


 門の向こう、街灯の光の中に、ボロボロになったドレスを纏った影が現れた。片腕はねじ切れ、顔の半分が砕けている。それでも、彼女は立っていた。


『蓮くん……なんで……他の男のところに行くの……?』


 彼女の背後から、黒い靄のようなものが立ち上っている。それは巨大な影となり、彼女の小さな身体を覆い尽くそうとしていた。


「ほう。人形師の念だけじゃないな。こりゃあ、もっと古い、厄介なモノが混じってる」


 御子柴は楽しげに笑い、煙管を懐にしまった。


「面白い。退屈しのぎにはなりそうだ」


 僕の身体の関節が、彼女の接近に呼応するように激しく痛み始めた。

 戦いが始まる。

 僕の命と、人間としての尊厳をかけた、長く恐ろしい夜が。



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