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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第17章:「開けて、私だよ」夜中にインターホンを鳴らすのは、俺がゴミに出したはずの球体関節人形。助けてくれるのは、煙管をくゆらせるイケメン陰陽師だけ

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第3話:オカルト部屋の聖域崩壊――ヤンデレ人形は扉を叩く

 友人のアパートの鉄扉が、重苦しい音を立てて開いた。

 隙間から覗いたのは、不審げに眉をひそめる男の顔だ。木島きじま 拓也たくや。大学の同期であり、この世ならざる事象、いわゆるオカルトに傾倒している変わり者だ。


「蓮? お前、その格好……」


 木島の言葉は途中で途切れた。無理もない。今の僕は、泥と雨にまみれ、裸足の足裏からは血が滲み、顔色は死人のように青ざめているはずだ。何より、僕の瞳には正気と狂気の境界線が揺らいでいたに違いない。


「入れてくれ……頼む、殺されるんだ」


 僕の掠れた懇願に、木島は瞬時に事態の異常さを察したようだ。無言で腕を引き、僕を部屋の中へと招き入れた。鍵をかけ、さらにドアチェーンをかける音が、これほど頼もしく聞こえたことはない。


 木島の部屋は、独特の匂いがした。古書の紙魚しみの匂いと、焚き染められた安息香の香り。壁一面の本棚には、民俗学、呪術、都市伝説に関する書物がびっしりと並んでいる。普段なら薄気味悪く感じるその空間が、今だけは魔を払う結界のように思えた。


「落ち着け。まずはこれを飲め」


 出されたのは、温かいハーブティーだった。カップを持つ手が震えて、液体が波紋を描く。僕は一口啜り、喉を焼く熱さを感じてようやく、自分がまだ生きていることを実感した。


「……で、何があった? 『殺される』ってのは、穏やかじゃないな」


 木島はローテーブルの向かいに座り、探るような目で僕を見た。


 僕は語り始めた。

 一目惚れしたアートドールのこと。エリスと名付けたこと。不可解な現象、そして廃棄。その後現れた黒井亜リスという美少女。彼女の奇妙な関節音、ストーカー行為。

 そして今夜、彼女が部屋に侵入し、僕がフライパンで殴りつけ、首が折れてもなお動いていたこと。


「首が折れても……生きていた、か」


 木島は顎に手を当て、独り言のように反芻した。普通なら「頭がおかしくなったのか」と一笑に付す話だ。だが、彼は違った。その目は真剣そのもので、むしろ恐怖よりも好奇心と警戒心が入り混じった光を宿していた。


「信じてくれるのか?」


「ああ。お前のその怯え方は演技じゃない。それに……」


 木島は立ち上がり、本棚から一冊の分厚い図鑑を取り出した。


人形ヒトガタには魂が宿る。古来より、人の形をしたものには霊的なものが憑依しやすい器なんだ。特にお前が言った『球体関節人形』。あれは構造が人間に近い分、呪術的な依代よりしろになりやすい」


 彼はページをめくり、ある一点を指差した。そこには、江戸時代の生き人形の怪談が記されていた。


「お前が買った人形、おそらく『入っている』な。それも、ただの浮遊霊じゃない。人形師の妄執か、あるいは人形そのものが自我を持ってしまった『付喪神つくもがみ』の類だ。……しかも、タチの悪いヤンデレときた」


 木島は冗談めかして言ったが、その表情は笑っていなかった。


「人形師の執着……」


 店主の老婆の言葉が蘇る。『作った人形師の魂が、少しばかり濃く残っているかもしれない』。あれは、単なるセールストークではなかったのだ。


「彼女……いや、あれは、僕を『自分の一部』にしようとした。物理的な意味で」


 僕が首筋をさすると、そこにはまだ、陶器のような硬い指の感触が残っている気がした。


「取り込まれるぞ、蓮。魅入られた人間は、最終的にあっち側の住人になる。精神を乗っ取られるか、あるいは……お前自身も人形に変えられるかだ」


 部屋の空気が、急速に冷え込んだ気がした。安息香の香りが、どこか腐臭めいたものに変わっていくような錯覚。


 僕たちはまだ気づいていなかった。この部屋が、決して安全な聖域などではないことに。呪いは、物理的な距離など意に介さないということに。


 ***


 深夜二時。外は激しい雨が降り続いていた。雨音が窓ガラスを叩くリズムが、まるで無数の指先がノックしているように聞こえる。


 木島はパソコンに向かい、何かを調べていた。僕はソファで毛布にくるまり、膝を抱えていた。眠気は襲ってこない。目を閉じれば、あの折れた首の断面から覗くジョイントが、まぶたの裏に焼き付いて離れないからだ。


 その時だった。


 雨音に混じって、異質な音が聞こえた。


『……ギシ……』


 心臓が跳ね上がった。空耳だ。そう思いたい。ここは三階だ。外から聞こえるはずがない。


『……ギシ……ギシ……』


 いや、聞こえる。アパートの外廊下。鉄製の階段を、何かがゆっくりと上ってくる音。金属と金属が擦れる音ではない。もっと鈍く、乾いた、樹脂と何かが擦れ合う音。


 木島の手が止まった。彼も気づいたのだ。


「蓮、静かに」


 木島が部屋の灯りを消した。闇に包まれた室内、パソコンのモニターの青白い光だけが、僕たちの緊張した顔を照らし出す。


『ギシ……ギシ……』


 音は近づいてくる。一歩、また一歩。その歩調は不規則だ。片足を引きずっているような、あるいは、関節がうまく動かないようなリズム。


「まさか……ここまで?」


 僕の声は震えていた。逃げてきたのに。あんなに遠くまで走ったのに。


「匂いだ」


 木島が囁くように言った。


「強い呪いは、マーキングのようなものを残す。お前には今、彼女の『執着』という名の匂いがべっとりとついているんだ。猟犬のように追ってくるぞ」


 音は、僕たちの部屋の前で止まった。


 静寂。雨音さえも遠のいたような、真空のような静けさ。


 そして。


『コン、コン』


 ドアノブが、内側から回されるような音がした。鍵はかかっている。チェーンもかかっている。だが、ドアの向こうにいる「それ」は、そんな理屈など通用しない存在だ。


『蓮くん……ここにいるんでしょ?』


 ドアの郵便受けの隙間から、声が漏れ聞こえてきた。あの甘ったるい、しかしノイズの混じった声。


『隠れないで。かくれんぼは終わり。……見ぃつけた』


 郵便受けのフラップが、あり得ない力で押し上げられた。そこから覗いたのは、目だ。


 碧い、美しい、そしてガラス玉のように光のない目。


「うわぁぁぁぁぁ!!」


 僕は悲鳴を上げ、ソファから転げ落ちた。


『あはっ、いた。蓮くん、ひどい顔。……でも、好き。壊してあげたいくらい、好き』


 目が、三日月のように歪んだ。


「木島! どうにかしてくれ!」


 木島は真っ青な顔で、本棚から清めの塩を掴み出し、玄関に向かって撒いた。


「退散せよ! 悪鬼羅刹、去れ!」


 塩が床に散らばる。しかし、郵便受けの向こうの目は、嘲笑うように瞬きもしない。


『塩? ……しょっぱいね。味付けしてくれるの?』


 ガアン!!


 ドア全体が激しく揺れた。蹴り飛ばされたような衝撃。古いアパートのドア枠が悲鳴を上げる。


「駄目だ、通用しない! このレベルの怪異には、素人の真似事じゃ歯が立たない!」


 木島が叫んだ。彼の額には脂汗が滲んでいる。


「じゃあどうするんだよ!」


「逃げるぞ、蓮。窓からだ!」


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