第4話:終わりのない道
歪んだ配達路を走る日々が、どれほど続いただろう。時間という概念そのものが、この世界では意味を失っている。カーステレオの時計は狂い、日付は意味不明な数字を表示し続ける。
僕の肉体は、明らかに侵食されている。鏡に映る自分の顔が、以前よりも輪郭が曖昧で、色が薄れている。時折、自分の手が、ほんの一瞬、周囲の歪んだ風景の一部のように、波打ったり、微かに透明になったりするのを目撃する。恐怖は、すり減った感覚に変わっていた。絶望が、底冷えする日常に沈殿している。
今日の最後の配達先は、いつもの「藤堂家」ではない。リストの最後に、新たな宛先が記されていた。
「くねくね起点 零番地」。場所は、この歪んだ街の中心部、巨大な、形の定まらない黒い塔のような構造物の根元だ。ナビは最早、意味をなさない光の渦を表示しているだけだ。しかし、体は目的地を正確に知っている。ワゴンは無人の歪んだ大通りを滑るように走り、塔の影へと吸い込まれていく。塔の基部は、無数の細長い木箱が積み重なり、絡み合ってできているようだった。あの忌まわしい木箱たちが。
塔の根元には、巨大な、闇でできた門があった。門の前でワゴンを停める。エンジンが静まり返る。この歪んだ世界の、重苦しい沈黙が押し寄せる。後部座席の闇が、今までにないほど濃厚に、そして「期待」に満ちて蠢いている。ドアロックが、ひとりでに外れる音がする。抵抗の意思は、とっくに消えている。
運転席から降りる。足を踏み入れた地面は、冷たく、弾力があり、生きているように感じる。
巨大な門が、音もなく滑らかに開く。その向こうには、底知れぬ深淵が広がっている。深淵の中には、無数の微かな光点がちらつき、それは星々のようにも見えたが、同時に無数の「目」のようにも感じられた。そして、深淵からは、かすかな、しかし途方もない数の「か…え…て…」という声が、さざ波のように押し寄せてくる。それは、世界の果てからの呼び声だった。
振り返る。軽ワゴンの後部ドアが、ひとりでに大きく開いた。中には、積み荷として運ばれてきた「それ」が鎮座している。それはもはや、細長い木箱ではない。歪み、蠢き、不定形な黒い塊だ。無数の細い触手を微かに動かし、深淵の方へと身を乗り出している。これが僕の最後の配達物だ。僕がずっと運んでいたのは、「帰還」を渇望する異界の住人そのもの、あるいはその一部だったのだ。
深淵から、黒い触手が無数に伸びてくる。それは、ワゴンの中の塊を優しく、しかし確実に包み込む。塊は抵抗せず、むしろ深淵へと吸い込まれていくのを歓迎しているように見えた。解放感のようなものが、塊から漂ってくる。そして同時に、深淵からの無数の声が、ほんのわずかだが、安堵に満ちた響きを帯びる。
塊が深淵に完全に飲み込まれた時、後部座席の闇の密度が、ほんの少し薄れたような気がした。しかし、その安堵も束の間だ。深淵から、新たな「荷物」が現れた。それは前のものよりも小さく、しかしより濃密な闇をまとった不定形の塊だった。それはワゴンの後部座席へと、滑るように吸い込まれていった。後部座席の闇が、再び以前と同じ濃さ、いやそれ以上に深く、重くなったのを感じる。
振り返る必要はなかった。深淵の門が音もなく閉じる。エンジンが、ひとりでにかかった。助手席には、新しい配達リストが置かれている。最初の宛先は、またしても「桜ヶ丘7丁目」だった。リストの最後には、新しい宛先が滲むインクで記されている。それは、僕がかつて住んでいたアパートの住所だった。
ハンドルを握る。手のひらが、ほんの一瞬、周囲の歪んだ空気のように微かに震え、半透明になった。
視界は、歪みのフィルターを通したように、常に揺らめいている。後部座席からは、新しい「同行者」の、冷たい、重い存在感が背中を押し付ける。もう逃げ場はない。この歪んだ配達路は、終わることがない。僕は、永遠に続く道を、新たな「くねくね」を運ぶ配達人として走り続けるのだ。アクセルを踏み込む。軽ワゴンは、歪みきった世界の、救いのない道へと、再び滑り出していった。
第2章『くねくね配達』、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
日常が静かに、しかし確実に歪んでいく恐怖、そして逃れられない運命のループを描いてみましたが、お楽しみいただけたでしょうか。
主人公が運び続ける「荷物」の正体、そして彼自身が少しずつ変質していく様は、書いている自分も背筋が寒くなる思いでした。
この物語を読んだ後、夜道を走る車のバックミラーを覗くのが少し怖くなってしまったなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。あなたの家のポストに、差出人不明の荷物が届いていませんか? ふと振り返った時、車の後部座席に、見知らぬ「誰か」の重みを感じたことはありませんか……?
もし少しでも「面白かった」「ぞくっとした」と感じていただけましたら、ぜひページ下の【☆☆☆☆☆】から評価やブックマーク、感想などをいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります。
皆様のそのワンクリックが、新たな恐怖を生み出す燃料となります。
それでは、また別の歪んだ物語でお会いできることを願って。