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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第16章:古物商・九条堂の怪異仕入れ ~「遺体はいらない、首つりの縄だけ持ってこい」と言われまして~

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第8話:回収者の運命――永遠に続く「掃除」

 アパートに帰り着いたのは昼過ぎだった。

 築四〇年の木造アパート。

 六畳一間の俺の城。

 普段なら薄汚く感じるその空間が、今はシェルターのように頼もしく思えた。


 リュックを放り出し、シャワーを浴びる。

 熱い湯が肌を叩く。

 樹海の泥と、冷や汗と、死臭を洗い流す。

 石鹸で何度も身体をこすった。

 皮膚が赤くなるまで。


「……終わった。これで終わりだ」


 俺は鏡の前の自分に言い聞かせた。

 借金は返せる。

 当面の生活費も確保できた。

 もうあんな危険なバイトをする必要はない。

 まっとうに就活をして、まっとうな社会人になるんだ。


 風呂から上がり、缶ビールを開ける。

 冷たい炭酸が喉を刺激し、ようやく生きた心地がした。

 布団に潜り込む。

 泥のような眠気が襲ってくる。


 だが、その眠りは安らかなものではなかった。


 夢を見た。

 暗い森の中を歩いている夢だ。

 足元には無数のロープが蛇のように這い回り、俺の足首に絡みついてくる。

 振りほどこうとしても、ロープはどんどん増えていく。

 そして、目の前の木に、一人の男がぶら下がっている。


 男の顔は、のっぺらぼうだった。

 だが、その顔にはマジックで『お前だ』と書かれていた。


「うわぁっ!!」


 俺は叫んで飛び起きた。

 心臓が早鐘を打っている。

 全身汗びっしょりだ。


 部屋の中は暗くなっていた。

 いつの間にか夜になっていたらしい。

 時計を見ると、深夜二時。

 あの樹海で、ロープを切断したのと同時刻だ。


「……夢か……」


 荒い息を整える。

 水を飲もうと立ち上がり、洗面所へ向かった。


 蛇口をひねり、顔を洗う。

 冷たい水が気持ちいい。

 顔を上げ、鏡を見る。


 そこで、俺は凍りついた。


 鏡の中の自分の首。

 そこに、**うっすらと赤い線**が入っていた。


 最初は寝跡かと思った。

 枕の跡がついただけだと。

 だが、その線は、首を一周するように綺麗に円を描いていた。

 そして、その模様は、まるで縄の編み目のようなギザギザとした形状をしていた。


「……なんだ、これ」


 指で触れる。

 痛みはない。

 だが、微かに熱を持っている。

 皮膚の下で、毛細血管がその形に浮き上がっているのだ。


 こすってみる。

 消えない。

 むしろ、赤みが増したように見える。


 背筋に冷たいものが走る。

 九条の言葉が蘇る。

『君の身体は、今、馴染もうとしている最中だからね』


 馴染む。

 俺の肉体が、あのロープの記憶に。

 首を吊るという行為の快感と苦痛に、適応しようとしているのか?


 俺は鏡から目を逸らした。

 見間違いだ。

 そう思いたかった。


 部屋に戻り、電気をつける。

 蛍光灯の白い光が部屋を照らす。

 何の変哲もない六畳間。

 散らかった雑誌、脱ぎ捨てた服、空のペットボトル。


 だが、何かがおかしい。


 天井の木目。

 壁のシミ。

 カーテンのひだ。


 それらが、すべて「人の顔」に見える。

 シュミラクラ現象。

 脳のエラーだ。

 分かっている。


 だが、その顔たちは、全員が口を大きく開けて、苦しそうにあえいでいる表情をしていた。

 そして、その視線は、すべて俺の首元に集中している。


 ***


「……疲れてるんだ。絶対にそうだ」


 俺は布団を頭から被り、外部の情報を遮断しようとした。

 目をつぶれば、そこは俺だけの安全地帯だ。


 しかし、聴覚までは塞げない。


『……なあ……』


 声が聞こえた。

 部屋の隅から。

 冷蔵庫と壁の隙間あたりから。


『……まだ、苦しいんだ……』


 佐久間健一の声ではない。

 もっと若い、俺自身の声に似ている。


『……石なんて詰めやがって……』


『……呼吸ができないじゃないか……』


 幻聴だ。

 脳が見せているエラーだ。

 俺は耳を塞ぐ。

 だが、声は指の隙間をすり抜けて、鼓膜の内側で響く。


『……次は、解いてくれるよな?』


『……お前の指で、優しく……』


『……あの輪の中に、お前の首を入れてくれれば、石なんていらないんだ……』


 布団の中で、俺の身体が震えだす。

 止まらない。

 歯の根が合わない。


 五〇万円が入った封筒が、枕元にある。

 その重みが、今はひどく忌まわしく感じる。

 あれは報酬ではない。

 手付金だ。

 俺の人生を、あちら側に売り渡すための契約金だったのだ。


 俺は知ってしまった。

 一度結ばれた「縁」は、物理的なロープのように簡単には切れないことを。

 俺が石を詰めて塞いだあの穴は、俺の心の中に移動してしまったのだ。


 ふと、首元の赤いあざが、脈打つように熱くなった。

 まるで、そこに見えないロープが巻き付き、ゆっくりと、しかし確実に締め上げているかのように。


 俺は布団の隙間から、天井を見上げた。

 木目の顔が、ニタリと笑った気がした。


 俺の「掃除」は終わっていない。

 あるいは、一生終わらないのかもしれない。

 俺という人間が、完全に「あちら側」に引きずり込まれて、誰かに回収されるその日まで。


 部屋の空気が、樹海のあの湿った臭いに変わっていくのを感じながら、俺は目を閉じた。


 闇の中で、カチリ、と高枝切りバサミの音がした。


(完)



お付き合いいただき、本当にありがとうございました!


今回のテーマは「呪いの伝播」と「現代の闇」。


自殺の怨念が残る呪物は、回収した人間を新たな「器」として選びます。真壁の恐怖と絶望が、皆さんの心にも伝わったなら嬉しいです。


ちょっとでも「面白かった」「次も読みたい」と思っていただけたら、下の評価(星)やブックマーク、感想で応援いただけると飛び跳ねて喜びます! 皆様の応援が、僕の創作のエネルギーです!


次章の予告

さて、次のお話は、メンヘラの呪いのマネキン人形がテーマです。孤独な青年に取り憑いた、球体関節人形の歪んだ愛と、逃れられない呪いのサイコホラーにご期待ください。


また次の物語でお会いしましょう!


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