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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第16章:古物商・九条堂の怪異仕入れ ~「遺体はいらない、首つりの縄だけ持ってこい」と言われまして~

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第7話:呪いの進行――細胞レベルで蝕まれる器

 樹海を抜けた時、世界はあまりにも平凡な顔をして俺を迎えた。


 国道一三九号線。

 早朝の静寂の中、大型トラックが轟音ごうおんを立てて通過していく。

 その排気ガスの臭いと、タイヤがアスファルトを擦る摩擦音が、俺の鼓膜に「現実」という名の情報を叩き込む。


 俺は道路脇の待避所に停めてあった九条の車――黒塗りの高級セダンにたどり着いた。

 鍵を開け、運転席に滑り込む。

 シートの革の匂いが、ひどく懐かしく、そして人工的に感じられた。


「……生きてるな、俺」


 バックミラーに映る自分の顔は、酷いものだった。

 土気色の肌、窪んだ眼窩がんか、唇はカサカサに乾き、髪には蜘蛛の巣と枯れ葉が絡まっている。

 まるで、墓場から掘り起こされたばかりの死体のようだ。


 助手席に、リュックを置く。

 中には、石を噛ませて封印したロープ。

 あの禍々(まがまが)しい質量は消滅しているが、それでもリュックの生地越しに、微弱な電流のような痺れを感じる。


 エンジンをかける。

 ナビの画面が明るくなり、無機質な女性の声が「おはようございます」と告げる。

 その電子音声に、俺は涙が出そうになった。

 人間ではないが、人間の言葉を話すモノ。

 それがこれほど愛おしいとは。


 車を走らせる。

 風景が後ろへと流れていく。

 緑の魔境が遠ざかり、コンビニ、ガソリンスタンド、民家といった文明の象徴が増えていく。


 だが、俺の身体感覚には、奇妙なズレが残っていた。


 ハンドルを握る手。

 アクセルを踏む足。

 それらの操作はスムーズだが、自分の身体が自分のものではないような、借り物を動かしているような違和感。

 幻影肢ファントム・リムという言葉がある。

 失ったはずの手足が、まだそこにあるように痛みを感じる現象だ。


 今の俺は逆だ。

 あるはずの手足が、まだあそこに――樹海の奥底に置き忘れてきたように感じる。


 特に首だ。

 首の周りに、薄い膜が一枚張り付いているような感覚が消えない。

 エアコンの風が当たると、そこだけ冷たく感じる。

 まるで、見えない首輪をはめられているような。


「……気のせいだ。疲れてるだけだ」


 俺はカーステレオのボリュームを上げた。

 朝のニュース番組。

 昨日の株価、今日の天気、芸能人の不倫騒動。

 どうでもいい情報の羅列が、俺の脳内のノイズを上書きしてくれることを祈った。


 ***


 九条堂に戻ったのは、開店時間の少し前だった。


 シャッターをくぐり、薄暗い店内に入ると、九条蓮はカウンターで新聞を読んでいた。

 まるで俺が帰ってくることを予知していたかのように、テーブルには湯気の立つティーカップが二つ用意されている。


「おかえり。顔色が悪いね。まるで幽霊にでも会ってきたような顔だ」


 九条は新聞を畳み、薄く笑った。

 その笑顔は、実験に成功した科学者のそれだ。


「……冗談抜きで、死ぬかと思いましたよ」


 俺はリュックをカウンターの上に置いた。

 ドサリ、という重い音。

 中身は軽くなっているはずなのに、音だけは質量を持っていた。


「ほう。随分と『お土産』を詰め込んできたようだね」


 九条は躊躇ためらいもなくリュックを開け、中から厳重に目張りされたビニール袋を取り出した。

 そして、俺が石を噛ませて固結びにした部分を見て、感心したように口笛を吹いた。


「石で栓をしたのか。原始的だが、理に適っている。穴があれば通りたくなるのが彼らの習性だからね。物理的に塞ぐというのは、即物的で実にいい」


 彼は医療用のゴム手袋をはめ、慎重にロープを取り出した。

 石を取り除くと、ロープはクタッとして、ただのゴミのようにテーブルの上に横たわった。


 だが、九条の目は輝いていた。

 彼はルーペを取り出し、ロープの繊維を舐めるように観察する。


「素晴らしい。繊維の奥まで、脂と念が染み込んでいる。見てごらん、この部分。変色しているだろう? これが死の瞬間の絶頂の痕跡だ」


 俺は目を背けた。

 見たくない。

 あれが俺の首を絞めようとした凶器だという事実を、直視したくない。


「……約束の報酬、お願いします」


「ああ、もちろん。君はいい仕事をした」


 九条は引き出しから分厚い封筒を取り出し、俺の前に置いた。

 五〇万円。

 帯封のついた新札の束。

 それは俺の命の値段であり、魂を削って得た対価だ。


「ところで、真壁くん。何か『違和感』はないかい?」


 九条が唐突に尋ねた。

 手元のロープを撫でながら、視線だけを俺に向けてくる。


「違和感……?」


「例えば、身体の一部が重いとか。視界の端に何か映るとか。あるいは……誰かの声が聞こえるとか」


 心臓が跳ねた。

 俺は平静を装い、首を振る。


「いえ、特に。ただ疲れているだけです」


「そうか。ならいいんだ」


 九条は興味を失ったように視線を戻した。

 だが、その口元には、どこか意味深な笑みが張り付いていた。


「呪いというのはね、放射能と同じなんだ。直ちに影響はなくとも、細胞レベルで遺伝子を書き換えていく。君が持ち帰ったのはロープだけじゃない。君自身の『器』の変化も、今回の報酬の一部だと思っておくといい」


「……どういう意味ですか」


「そのうち分かるよ。さて、今日はもう帰りたまえ。ゆっくり休むといい。君の身体は、今、馴染もうとしている最中だからね」


 馴染む?

 何に?


 問い詰めようとしたが、九条はすでにロープの処理に没頭していた。

 ピンセットで何かを摘み上げ、小瓶に移している。

 その姿は、あまりにも冒涜ぼうとく的で、これ以上関わってはいけないと俺の本能が告げた。


 俺は封筒を掴み、逃げるように店を出た。




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