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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第16章:古物商・九条堂の怪異仕入れ ~「遺体はいらない、首つりの縄だけ持ってこい」と言われまして~

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第2話:禁忌の手術――首吊り縄の「ゲート」

「場所の特定は?」


 俺は事務的な口調を努めて維持する。

 感情を交えれば、この狂気に飲み込まれる。


「ここだ」


 九条はタブレット端末を取り出し、地図アプリを表示した。

 青木ヶ原樹海。

 等高線が複雑に入り組んだそのエリアの、遊歩道から大きく外れた一点に、赤いピンが刺されている。


「GPSロガーの情報だ。以前、この近くで行方不明になった『同業者』が残したログの最期の地点だよ」


「……同業者?」


 聞き捨てならない単語に、俺は眉をひそめる。


「ああ、気にしなくていい。彼は回収に失敗しただけだ。精神的な免疫力が低かったのかな。森の『声』に耳を傾けすぎて、自分が人間であることを忘れてしまったらしい」


 九条は事もなげに言う。

 まるで、実験動物が死んだことを報告する科学者のように。


「君は大丈夫だ。君には才能がある。恐怖を感じながらも、金のためにそれを無視できるという、素晴らしい資本主義的な鈍感さがね」


 褒められている気がしない。

 だが、俺の脳裏には、アパートの督促状と、空っぽの冷蔵庫の映像がフラッシュバックする。

 生存本能が、恐怖という警告信号を強引にねじ伏せる。


「ターゲットは、推定四五歳の男性。佐久間健一。リストラと借金を苦にしての逃避行だ。車のトランクには、家族との写真と、消費者金融のカードが散乱していたそうだ」


 ありふれた悲劇。

 陳腐な絶望。

 だが、だからこそ、その念は粘着質だ。

 特別な人間が抱く高尚な恨みよりも、凡人が抱く「なんで俺だけが」という理不尽な怒りの方が、呪いとしてはタチが悪い。


「樹海はね、真壁くん。巨大な脳ミソなんだよ」


 九条は唐突に言った。


「溶岩の上に広がる森。磁場が狂い、方向感覚が失われる。そこでは、人間の意識と無意識の境界が曖昧になる。自分が考えていることと、他人の残留思念が混ざり合うんだ」


 彼はカップの中の黒い液体を揺らす。


「君が回収に行くのは、単なるロープじゃない。樹海という巨大な脳のシナプスに絡みついた、悪性の腫瘍だ。それを摘出してくるんだ」


 俺は溜息をつき、覚悟を決める。


「わかりました。その腫瘍、切り取ってきますよ。……道具は?」


 ***


 九条がカウンターの下から取り出したのは、無骨なリュックサックと、銀色に鈍く光る高枝切りバサミだった。


「ハサミ……?」


「遺体が高い位置にある可能性があるからね。それに、直接手で触れるのはお勧めしない。感染うつるからね」


 感染る。

 その言葉が、物理的なウイルスではなく、精神的な汚染を指していることは明白だった。


「いいかい、真壁くん。作業の手順は三つだ」


 九条は子供に言い聞かせるように指を立てる。


「一つ。GPSを過信するな。磁場の乱れで狂うことがある。自分の足跡と、マーキングテープを信じろ」


「二つ。遺体には敬意を払うふりをして、無視しろ。彼らは君に話しかけてくるかもしれないが、それは脳が見せる幻聴だ。返事をすれば、君の脳波は彼らに同調してしまう」


 そして、九条は三本目の指を立て、声を一段低くした。


「三つ。これが最も重要だ」


 彼は俺の目を覗き込む。

 その瞳の奥には、底のない井戸のような暗闇が広がっている。


「縄を切る時、絶対に『輪』の中に指や体の一部を入れるな」


「……輪の中に?」


「そう。首吊りの輪っかだ。あそこはね、この世とあの世を繋ぐゲートなんだ。排気口と言ってもいい。切断した瞬間、そこから何が吹き出してくるか分からない。もし指を入れていたら……君の指ごと、あるいは君の魂ごと、あちら側に引きずり込まれるぞ」


 ぞわり、と総毛立つ感覚。

 首筋を、見えない指で撫でられたような気がした。


「了解しました。……輪の外から、切る。それだけですね」


「そうだ。簡単な手術だよ。成功すれば五〇万。失敗すれば……まあ、僕が君の遺品を買い取ってあげるよ」


 冗談に聞こえないのが、この男の恐ろしいところだ。


 俺はハサミとGPS、そして幾つかの「魔除け」と称されたよく分からない小瓶が入ったリュックを受け取った。

 ずしりと重い。

 それは物理的な重量以上の、運命の重さのように感じられた。


 店を出ると、外はすでに夕暮れだった。

 空が赤黒く膿んでいる。

 ビルの影が伸び、アスファルトの上を黒い触手のように這い回っている。


 俺は深く息を吸い込んだ。

 排気ガスの臭い。

 これが「現世」の臭いだ。

 これを最後に、俺はあの緑の迷宮へと潜る。


 樹海。

 死にたがりたちの聖地。

 そして、呪われたガラクタの埋立地。


「……行くか」


 俺は呟き、駅へと向かう足を速めた。

 背中のリュックの中で、高枝切りバサミの刃が、カチリと微かな音を立てた気がした。

 まるで、これから切断する「何か」を待ちわびて、舌なめずりをしているかのように。



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