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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第16章:古物商・九条堂の怪異仕入れ ~「遺体はいらない、首つりの縄だけ持ってこい」と言われまして~

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第1話:呪物市場と自殺の縄――絶望の結晶を巡る対話

いつも読んでいただきありがとうございます!


今回は、富士の樹海を舞台にした「呪物」ホラーをお届けします。


貧乏学生の主人公・真壁が、金のために足を踏み入れたのは、自殺に使われた「首つりの縄」を回収するというヤバすぎる仕事。


遺体はいらない、縄だけ持ってこい――。


呪いは、死者の重みとなってリュックを蝕み、やがて彼の日常に赤い痣を刻みます。


読者の皆さんの首筋にも、ひんやりとした感覚が訪れませんように。それでは、本編どうぞ!


 金がない、というのは、一種の慢性疾患だ。


 血管を流れる赤血球が、一つ、また一つと硬貨に変わって体外へ排出されていくような、緩慢な失血死の感覚。


 俺、真壁透まかべとおるの現状は、まさに末期症状と言っていい。


 大学四年の夏。

 世間では就職活動という名の集団ヒステリーが蔓延しているが、俺の懐事情はスーツを新調するどころか、明日のカロリー摂取すら危うい。


 奨学金という名の、未来の自分から臓器を担保に借りた借金は、とっくに底をついている。


 だから、俺は「掃除」をする。


 世の中には、普通の清掃業者が触りたがらない汚れがある。

 物理的な汚濁ではない。

 精神感応的な、あるいは因果律的な汚染物質。


 事故物件の吐瀉物処理?

 孤独死した老人の体液が染みた畳の搬出?


 そんなものは、まだ「衛生的」な方だ。

 そこには「死」という確定した事実しかないからだ。


 俺が扱うのは、もっと未分化で、ドロドロとした、生と死の境界線にへばりついた粘液のような「執着」だ。


 スマホが震える。

 画面のヒビ割れが、まるで神経細胞の樹状突起のように明滅している。


『九条堂』


 その文字を見た瞬間、俺の胃袋がキュッと収縮した。

 空腹のせいではない。

 パブロフの犬がベルの音で涎を垂らすように、俺の脳髄は条件反射で、これから訪れる不快な「手術」の幻臭を感じ取ったのだ。


 ホルマリンと、古紙と、乾燥した悪意の臭い。


「……はい、真壁です」


『やあ、真壁くん。元気に呼吸をしているかい?』


 スピーカーから流れてくる声は、低温で殺菌されたメスのように冷ややかで、そして艶めかしい。


 九条蓮くじょうれん

 俺の雇い主であり、この都市のうみを愛好する狂った外科医だ。


『新鮮な検体が手に入りそうなんだ。……いや、まだ「接続」されている状態かな。君の手で、切除してきてほしい』


「切除、ですか」


『そう。場所は山梨。あの、緑の腐海だ』


 富士の樹海。

 青木ヶ原。


 その単語を聞いた瞬間、俺の足元のコンクリートが、ブヨブヨとした有機的な肉塊に変わったような錯覚を覚えた。


 都市の喧騒が遠のく。

 色彩が彩度を落とし、世界が灰色と黒のレントゲン写真のように変質していく。


「……報酬は?」


『五〇万。即金で渡そう』


 五〇万。

 その金額は、俺の慢性疾患を一時的に寛解させるための特効薬だ。

 副作用がどれほど強烈であっても、今の俺には拒否権という抗体がない。


「行きます。すぐ、店に向かいます」


 通話を切る。

 夏の湿った熱気が、肌にまとわりつく。

 だが、俺の背骨には、氷柱を突き刺されたような悪寒が走っていた。


 ***


 雑居ビルの地下へと続く階段は、巨大な生物の食道に似ている。


 湿った壁面。

 明滅する蛍光灯は、不整脈を打つ心臓のようだ。

 最下層にある鉄の扉を開けると、そこは時間の墓場だった。


 古物商『九条堂』。


 店内に充満するのは、カビと防虫剤、そして線香の煙が混ざり合った、独特の芳香。

 それは、田舎の旧家の蔵を開けた時の臭いにも似ているが、もっと生理的な嫌悪感を催す。


 棚に並べられているのは、誰かの「人生の残骸」だ。


 曰くありげな掛け軸。

 髪の毛が伸びると噂される市松人形。

 誰かの歯で作られた数珠。

 赤黒い染みが地図のように広がった軍服。


 それらは単なる商品ではなく、妄執という名のウイルスを封じ込めた、危険な標本に見える。


「いらっしゃい。顔色が悪いね。死体みたいで素敵だよ」


 店の奥、帳場の暗がりから九条蓮が現れた。


 常に喪服のような黒いスーツを身に纏っている。

 肌は陶器のように白く、血管が透けて見えるほど薄い。

 整いすぎた顔立ちは、蝋人形で見るような不気味な完全性を帯びている。


 彼は手元の茶器にお湯を注いでいた。

 茶葉の代わりに、何か得体の知れない乾燥した根のようなものを煮出している。


「そのお茶、何が入ってるんですか」


「トリカブトの根をほんの少し。……嘘だよ。ただのプーアル茶だ。君も飲むかい? 胃壁が爛れるような渋みがある」


「結構です。……で、今回の『患部』はどこなんです?」


 俺は革張りのソファに浅く腰掛けた。

 スプリングが悲鳴を上げ、微かに埃が舞う。


 九条は楽しげに口角を歪め、一枚の写真をテーブルの上に滑らせた。

 それは、警察の鑑識が撮るような、無機質な現場写真ではなかった。

 おそらく、死体を発見したハイカーか、あるいは自殺志願者が最期に撮ったものだろう。


 写っているのは、鬱蒼とした森。

 そして、不自然に空中に浮遊する男の足。


 地面から数十センチ浮いた革靴は、泥と苔で汚れ、つま先がだらりと下を向いている。

 その上へと視線を移すと、写真は途切れているが、何が起きているかは明白だった。


「首吊り、ですね」


「そう。縊死いしだ。重力という地球の愛が、彼の首を抱擁した結果だね」


 九条の言い回しは、いつも脳のしわを逆撫でする。


「この遺体は、発見されてから一ヶ月ほど放置されているらしい。樹海の奥地すぎて、警察も回収の手間を惜しんでいるのか、あるいは単純に見落とされているのか」


「一ヶ月……。じゃあ、もう腐敗が進んでますね」


「肉体はどうでもいいんだ。うじ虫の餌になろうが、野犬の胃袋に収まろうがね。僕が欲しいのは、彼を物理的に、そして霊的に束縛している『アレ』だよ」


 九条の細長い指が、写真の上の「見えない首元」をなぞる。


「縄、ですか」


「正確には、ホームセンターで売っている安物のトラロープだ。黄色と黒の警告色。それが、彼の頸動脈を圧迫し、椎骨を砕き、意識を暗黒へ叩き落とした凶器であり、彼をこの世に繋ぎ止めている臍のへそのおだ」


 九条の瞳が、暗い愉悦で濡れている。


「自殺に使われた縄にはね、死ぬ瞬間の脳内麻薬物質……エンドルフィンやドーパミンと共に、強烈な『悔恨』と『安堵』が染み込むんだ。それは呪物市場では、非常に美しい結晶として扱われる」


 吐き気がした。

 こいつは、人の絶望を、極上のヴィンテージワインか何かのように語る。



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