第4話:血の黙示録
僕の喉から出た声は、二つの音程が混ざり合っていた。人間の声と、地を這う獣の唸り声が同時に響く。異形の老人 -『あちら様』の舌が僕の頸動脈に食い込み、冷たい液体が血管を逆流してくる。父の笑い声が森の木々を震わせ、小梅は踊るように火の粉を撒き散らしていた。
「そうだ……それでいい……」
母が僕の手を握る。その掌から無数の棘が突き出し、僕の皮膚に根を下ろす。視界が赤外線カメラのように変化し、周囲の生き物の体温がオーラのように見える。地中で蠢くミミズ、逃げ惑う野鼠、そして町の方向に集まる人間の群れ。全てが「餌」として認識される。
突然、頭蓋骨の内側で祖父の声が響いた。「撃て!」その瞬間、僕は意識の底から湧き上がる抵抗感で体を捻じった。『あちら様』の舌が千切れ、黒い血しぶきが月を隠す。肩にかけていたライフルを構え、薬莢に刻まれた奇妙な紋様――祖父が密かに彫ったという五芒星の刻印に祈りを込めて引き金を引いた。
爆音と共に放たれた弾丸は、空中で回転しながら炎の軌跡を描いた。『あちら様』の額に命中したはずが、弾丸はそのまま石碑を貫き、享保三年の契約文書を粉砕する。老人が初めて苦悶の表情を浮かべ、地割れから湧き出る黒い煙に包まれた。
「バカな!」父の叫び。彼の体が急速に老化し、皮膚が木の皮のように剥がれ落ちる。契約の破棄が、長年蓄積した代償を一気に引き起こしたのだ。母は崩れ落ちる父にしがみつき、二人は絡み合った根のような物体へと変容していく。
小梅が悲鳴を上げた。彼女の体から無数の白い根が噴き出し、地面に突き刺さる。「お兄ちゃん、助けて!」その叫びは本物だった。僕は火のついた松明を掲げ、妹に駆け寄る。根は炎を避けるように後退し、小梅の体が元に戻っていく。
「早く……町を……」小梅の指が川を指す。逆流していた川が突然正常に戻り、膨大な水量が一気に町へ流れ込もうとしている。血に染まった水門が軋み、決壊の寸前だ。
町へ向かう途中、変わり果てた風景が広がっていた。柿の木が肉塊のような実を付け、道路に這う蔦は血管のように脈打つ。消防車が横転し、防護服の隊員たちが透明な糸で天井から吊るされていた。町民の半数は干からびた亡骸に、残りは異形化して暴れ回っている。
水位が急上昇する川岸で、神主と出会った。彼は古い巻物を抱え、狂ったように笑っている。「全て予言通り……『血の月に古き契約破れば、清めの水は禍の如く流れん』」
水門が崩壊した。濁流が町を飲み込む。水に触れた異形化した人々が溶解し、黒い煙となって空を覆う。僕は小梅を肩に担ぎ、裏山の洞窟へ逃げ込んだ。背後で町の灯りが次々と消え、最後に聞こえたのは、あの三本指の生物の遠吠えだった。
三日後、救助隊が洞窟を発見した時、そこにいたのはボロボロの中学三年生と、記憶を失った妹だけだった。町は土石流で壊滅し、生存者は27人。公式発表では「地盤緩みによる天然ガス噴出と集団幻覚症状」とされた。
あの夜から、僕は光を浴びると皮膚が糜爛する体質になった。小梅は毎晩、寝言で「あちら様のお世話をしなきゃ」と呟く。先月、病院の検査で判明した。僕たちのDNAには、未知の生物の塩基配列が15%混入していたという。
今、廃墟となった実家の井戸を覗き込んでいる。水鏡に映る僕の背後で、三本の影がゆらめいている。小梅が近づいてきて、耳元で囁く。
「お兄ちゃん、約束だよ。千年たっても、この土地の番人をしないと」
遠くで救急車のサイレンが鳴る。もう誰にも止められない。あの時の弾丸は、契約を破棄しただけで、決して『あちら様』を滅ぼせなかったのだ。血は血を呼び、また次の契約者が現れるまで -。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
田舎の怪異譚と血の契約、家族愛と歪んだ信仰を混ぜ合わせて、「逃げ場のない終末感」を目指して書きました。
次作は、同じく和風ホラーで「狐憑き」を題材にした物語を予定していますので、よろしければそちらもお付き合いいただけると嬉しいです。
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