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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第14章:腐れ柿の季節に、それは啜る

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第3話:契約の代償

 麻袋から現れたのは人間だった。いや、人間の形をした何かだった。痩せ衰えた老人の体に、鹿の角のような突起が額から生え、皮膚は鱗と毛皮がまだらに混じり合っている。その目 -瞼のないアーモンド型の眼球が青白く輝き、三本指の手が鎖に絡みついていた。


「これが『あちら様』です」


 父の声は渇いた風の音のようだった。異形の老人が首を傾げると、関節からバリバリと木の裂けるような音がした。小梅が階段を駆け下りてきて、嬉しそうにその生物の手を握った。触れた瞬間、小梅の指先が透明になり、皮膚の下を黒い血管が蛇のように這った。


「やっと会えたね」小梅の声が老人と重なり、井戸の水が沸騰し始めた。母が縁側に膳を運び、生きた鶏を捧げるように差し出した。鶏が暴れる前に、老人の舌が伸びた。針金のように細長く、先端が三又に分かれた舌が鶏の首筋を貫き、瞬時に干からびた皮袋に変えた。


 僕は物置に引き返し、ライフルに残った弾丸を込めた。手汗で銃身が滑る。祖父が猪を撃ったというこの銃が、あの生物に通用するか。窓の外で不自然な沈黙が広がり、蝉の声も蛙の鳴き声も消えていた。


 夜明け前、家中が騒ぎ声で満たされた。母が狂ったように畑を掘り返し、父が山刀を振り回して柿の木を切り倒している。小梅の部屋からは獣の唸り声が響く。僕はライフルを抱えたまま裏山へ逃げた。


 健太の家が全焼したのはその日の午後だった。黒煙が町の空に立ち上る中、消防車のサイレンが虚しく響く。現場から運び出された遺体は、健太の家族全員が首に三つの穴を残して干からびていたという。町の掲示板には「新型ウイルス注意」の張り紙がされ、役場の職員が防護服で消毒作業をしていた。


 夕暮れ、廃墟となった牛舎で父を見かけた。異形の老人と向かい合い、地面に奇妙な模様を描いている。円環の中に五芒星、その各頂点に干からびたカエルが釘で打ち付けられていた。老人が父の額に触れると、父の髪の毛が雪のように白くなり、目尻から黒い液体が流れ落ちた。


「お前も早く気付くべきだ」


 突然背後で母の声がした。振り向くと、母の首が180度回転し、背中側に顔がある状態で立っていた。口元が耳まで裂け、血糊のようなもので笑っている。「この土地は昔から『あちら様』のもの。僕たちはただお預かりしてただけなのよ」


 逃げる途中で川に躓いた。水が相変わらず逆流し、水面に映った僕の顔が老人に似てきている。頬骨が突出し、歯が鋭く尖っている。恐怖で喉が締め付けられる感覚の中、対岸の藪から動物の死骸が流れてきた。人間の子供の服を着た山羊の亡骸だった。


 夜、屋根裏で物音がする。忍び寄ると、小梅が異形の老人と向かい合って座っていた。間に置かれた皿には、黒く凝固した血の塊。小梅が自分の指を噛み切り、滴る血を皿に落とす。老人がそれを舐めると、小梅の傷口から新たな指がニョキリと生えた。


「お兄ちゃんも仲間になりたいでしょ?」小梅が振り向いた。首がフクロウのように後ろまで回り、目が猫のように光る。「だって、もう逃げられないもの」


 次の朝、町の中心部で集団昏睡事件が起きた。コンビニの前で主婦たちが突然崩れ落ち、意識を失う前に皆同じことを呟いたという。「三本の……三本の……」


 学校は臨時休校になった。田辺先生が理科室で変死したとの噂。実験用のウサギ全ての血を飲み干し、自分の腕に注射器を突き刺したまま発見されたらしい。職員室の窓ガラスには、内側から血文字で「月満ちるまで」と書かれていた。


 神社の神主が家を訪ねてきた。父が玄関で怒鳴り合う声が聞こえる。「……昔の契約を果たす時が来た……お前たちが祟りを封じたはずでは……」「遅いんだよ!」父の声が金属音に変わる。「もう『あちら様』は目を覚ました。血で穢された土地を、元の姿に戻すだけだ」


 神主が青ざめて去った後、境内の狛犬が全て首を折られていた。参道の石段には獣の足跡が残り、その爪痕は三本指だった。


 満月の夜、家中の鏡が割れた。破片の中に映る僕の姿が、次第に骸骨のように痩せ細っていく。腹が渇き、冷蔵庫の生肉に手を伸ばす自分がいた。母が背後で笑う。「ほら、もう変わり始めてる」


 裏山から地鳴りが響いた。地震計が反応しない揺れ。窓の外を見ると、逆流していた川が空中に竜巻のように立ち上り、その渦の中心に異形の老人が浮かんでいる。無数の動物の亡骸が渦に巻き込まれ、月が血のように赤く染まっていく。


 父が呼ぶ声が頭蓋骨に直接響く。「来い。『あちら様』に挨拶をするんだ」足が勝手に動き出す。階段を降り、裏口へ。小梅と母が松明を持って待っていた。その炎は緑がかっており、煙が生きたように蠢く。


 森の奥で祭壇が設えられていた。異形の老人を中心に、父が掘り出したという古い石碑が円陣を成す。碑文には「享保三年 村中誓約」とある。供物として、近隣から消えた野良猫や、健太の家族の遺品が積まれている。


「我が子よ」父の目が猫のように縦に細くなる。「お前にはこの土地を継ぐ使命がある。『あちら様』の血を受け、永遠の守り手となるのだ」


 老人が近づき、舌を伸ばして僕の首筋をなぞった。鋭い痛みと共に体温が奪われていく。視界が赤く染まる中、遠くで消防車のサイレンが響く。町の複数の場所から火の手が上がり、空が血の海に飲み込まれていく。



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