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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第14章:腐れ柿の季節に、それは啜る

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第1話:腐れ柿の季節

とある山あいの畜産地で、家畜の「干からびた死体」から始まる、中学生兄妹と一族の呪いの物語です。

腐れ柿の匂い、血を吸う「なにか」、逆流する川、そして「契約」としてのホラーを意識して書きましたので、じわじわ系・和風クトゥルフ・家族崩壊ホラーがお好きな方に楽しんでいただければ嬉しいです。


 八月の終わりに、父が牛舎で死んだ牝牛を見つけたのは、僕が中学三年生の夏休み最後の日だった。朝露がまだ草葉に光る五時半、父の怒鳴り声で目を覚ました。窓から首を突き出すと、父が鍬を地面に突き刺しながら何か呪文のように繰り返していた。母が洗濯物を抱えたまま凍りつき、妹の小梅が僕の背中にしがみついてきた。


「血が……血が全部抜けてやがる」


 父の声が震えていた。牛舎の奥に横たわる黒白の塊は、確かに昨日まで餌をねだっていた三歳牝牛だった。だがその腹は干からびた風船のようにへこみ、乳首の周りに黒い穴が無数に空いていた。蝿が血の代わりに何か粘つく液体を舐めていた。


 母が十字を切るのを見て、僕は背筋に冷たいものが走った。この家でカトリックの習慣が残っているのは母だけだった。父は鍬を引き抜き、唾を吐き捨てた。


「また野良犬の仕業かな」と僕が口にすると、父の目がギラリと光った。「犬が牛の血を全部飲み干すか?牛舎にはちゃんと鍵も掛かっていたんだぞ」


 その晩、腐れ柿の匂いが家中に充満した。裏山の柿畑が熟しすぎた果実を落とし始める季節だが、今年は異様に混じりけがある。鉄錆びた血の臭い、あるいは古い漬物樽の底に溜まった汁のような。小梅が夕飯の味噌汁を吐き出した時、母が初めて「あれ」の話をした。


「隣の藤村さんちでも先週、鶏が同じように……」


 父の箸が膳を叩きつけた。味噌汁の海苔がゆらりと揺れる。「迷信を吹き込むな。きっと新種の寄生虫か何かだ。明日役場に連絡する」


 しかし役場の獣医が来たのは三日後だった。その間に山羊が二頭、野良猫の死骸が納屋の屋根裏で見つかる。どれも同じ干からびた状態で、体に小さな穴が空いていた。穴の縁は微妙に焦げているようで、まるでレーザーで穿たれたかのようだと母が囁いた。


 四日目の夜、僕は自転車で隣町のコンビニまで買い物に出た。帰り道、林道のカーブでブレーキが軋んだ。前輪が何か柔らかいものを轢いた感触があった。降りて確認すると、それは子鹿だった。いや、子鹿の形をした革袋のようなもの。眼球は干し葡萄のように縮み、肋骨が皮を突き破って白く突き出ている。首筋に三つの穴が等間隔に並び、その周囲だけ毛が逆立っていた。


 自転車を押しながら坂を上る途中、背中に視線を感じた。振り返っても闇しかない。しかしカサカサという音が後を追う。まるで枯葉が風に舞うような、だが風のない夜だった。汗が眼鏡を曇らせ、肺が腐れ柿の臭いで灼ける。ふと気付けば、僕は小走りになっていた。


 家の門前にたどり着いた時、小梅の笑い声が聞こえた。二階の彼女の部屋の窓に、いつもより背の高い影が二つ揺れていた。


「お兄ちゃん、遅い」


 玄関で小梅が待ち構えていた。彼女の寝巻の裾が泥で汚れているのに気付いた。「どこへ行ってたんだ?」と問うと、妹は首を傾げた。「ずっと部屋で人形と遊んでたよ。ほら、新しいお友達が来てくれたの」


 その夜からラジオがおかしくなった。NHKの農業情報番組を聴いていた父のラジオから、突然砂嵐のようなノイズが迸り、アナウンサーの声が遅れて歪んで追いかけてくる。母が慌ててスイッチを切ると、裏山で獣の遠吠えのような音が共鳴した。


 明け方、僕は窓の軋む音で目を覚ました。カーテンの隙間から覗くと、柿畑の方向に人影が立っていた。小梅だろうか?だがそのシルエットは細長く、頭部が不自然に前方に突き出ている。首の角度が人間の可動域を超えているように見えた。人影はゆっくりと右手を挙げ、僕の方を指差した。その指先が三本に分かれているような気がした瞬間、雲が月を隠した。


 朝食時、小梅の茶碗に柿の種が五つ並んでいた。彼女は無心で箸を進める。「おいしい?」と聞いても、にやにや笑うだけだ。母が洗い場でつぶやいた。「この辺りには昔、血を吸う山姥の話があったわね。針のような舌で……」


 父が新聞を叩きつけた。「科学的根拠のない話をするな!きっと中国人の密猟者が…」その言葉が完結する前に、天井裏で重い物が転がる音がした。父の顔から血の気が引くのを、僕ははっきりと見て取った。


 学校からの帰り道、同級生の健太が野良犬に追いかけられた話をした。「でもな、あいつ普通の犬じゃねえんだ。後ろ足で立って走るんだぜ。それに目が……目が青白く光ってやがった」


 その夜、僕は意地になって窓の監視を続けた。午前二時頃、庭の物陰から何かが這い出る音がした。暗闇の中、三本指の手らしき影が井戸の縁を撫でる。その動作は人間というより、巨大な蜘蛛が糸を紡ぐように滑らかだった。ふと気付くと、隣のベッドで寝ているはずの小梅の姿がない。冷や汗が背中を伝う。


 階段を降りる途中、台所で水を飲む音が聞こえた。暗闇の中で小梅が流し台に突っ伏し、蛇口から直接水を啜っている。が、その背中はいつもより高く盛り上がり、首が異常に長く伸びているように見えた。


「小梅……?」


 彼女が振り向いた時、僕は冷蔵庫のわずかな光でその顔を見た。口元が耳元まで裂け、舌が蛇のように蠢いていた。しかし瞬きする間に、いつもの妹の顔に戻っている。


「お兄ちゃんも水飲む?」


 その声は確かに小梅だった。しかし床に落ちた水滴が、黒く粘ついていた。


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