第1話:科学と恐怖が交錯する夜のこっくりさん
現代日本の地方都市に暮らす若者三人は、満たされない日常の閉塞感と退屈に苛まれていた。享楽主義者の五十嵐茜(24歳)が提案したのは、昔ながらの降霊術ごっこ「こっくりさん」。契約社員の佐倉悠人(25歳)は、科学的な「潜在意識説」を盾に霊的な恐怖を打ち消そうとするが、儀式は開始直後から彼らの予期意向を超えて暴走する。
硬貨は、誰も知るはずのない裏切り者の名前を綴り、ついには彼らの未来に対し、憎悪に満ちた呪詛「シネ」を吐き出す。パニックに陥った彼らが儀式を強行終了させようとすると、硬貨は「トマルナ」(止まるな/Stay)と帰還を拒否。ルールを破り、呪いの媒体である硬貨を三日以内に使うこともできなかった彼らを待ち受けていたのは、互いへの不信感と、精神の破滅だった。
これは、狐狗狸という低級霊の仕業なのか、それとも、人間の恐怖と悪意が凝縮され、自己呪縛(自己暗示)として完成してしまった「終わらない」永続的な悪夢なのか。
救いの光が差し込むことのない、極限の陰鬱ホラー。
【注意喚起】
※本作をお読みになる前に※
ジャンル: 本作は、陰鬱なバッドエンドに分類されるホラーです。主要登場人物が精神的な異常をきたし、救われない結末を迎えます。
テーマ: 作中に登場する「こっくりさん」は、科学的には参加者の潜在意識や不覚筋動による心理的現象だとされています。しかし、霊魂の存在を匂わせることで心理的な不安を煽り、集団パニックや集団ヒステリーの温床となる危険性が指摘されてきました。実際に、過去にはこれを信じた子供たちがパニック状態に陥ったり、精神的に不安定になったりする実害が出たため、多くの学校で禁止された歴史があります。
ルール: 作中に登場する儀式のルール(途中で硬貨から指を離さない、硬貨を三日以内に使う、文字盤を48片に破り捨てるなど)は、呪いや低級霊の憑依を防ぐとされるものです。
興味本位でコックリさんを真似る行為は、絶対に避けてください。
現代日本の地方都市、築浅のマンションにある、五十嵐茜の狭い一室。エアコンが故障しており、真夏の生暖かい湿度がこもっているその部屋で、佐倉悠人(25歳、ITサポート契約社員)、五十嵐茜(24歳、フリーター)、そして三輪詩織(26歳、専門学校講師)の三人は、重い沈黙の中で時間を潰していた。彼ら全員が、現代社会の急速な流れから取り残され、未来に対する漠然とした閉塞感と、満たされない現状に対する不満を抱えていた。悠人は、契約社員という不安定な立場と、終わりの見えない単調な仕事から来るストレスにより、常に精神的な疲弊を感じていた。詩織は、専門学校での人間関係の摩擦と、生まれ持った極度の感受性の強さにより、部屋に漂うわずかな気怠さすらも不安として受け取ってしまう状態にあった。
午後8時を過ぎても、会話は弾まない。誰もがスマートフォンを眺めているが、その指の動きは意味のある情報を求めているわけではなく、ただ時間を消費するための儀式でしかなかった。この停滞した空気と退屈を嫌う享楽主義者である茜は、何か刺激的なものを求めていた。彼女は、都市伝説やゲームといった非日常に興味を示すタイプだ。
茜は突然、スマホを放り出し、畳に書かれた無数のシミを指でなぞりながら、低い声で言った。「ねえ、そういえばさ、昔流行ったアレ、やってみたくない?」。
悠人は不機嫌そうに答える。「アレってなんだよ。変な動画でも見つけたのか?」
「違うよ、もっと面白いの。こっくりさん」。
その言葉が出た瞬間、部屋の湿度が数度下がったような、肌を粟立たせる感覚が三人を襲った。この言葉は、昭和から平成にかけて多くの学校で流行し、多くの子供たちをパニック状態に陥らせた「霊的ゲーム」の代名詞である。こっくりさんは、西洋の「テーブル・ターニング」を起源に持ち、狐、狗、狸の霊を呼び出して問いかけに答えさせると信じられていた降霊術ごっこだ。そのブームの裏側には、常に「呪われる」「精神に異常をきたす」といった危険性が指摘されていた。
茜は悪戯っぽく笑い、「どうせ誰かの潜在意識が動かしてる心理ゲームだろ?昔の人はすぐに信じたけどさ、私たちがやったら、誰が動かしてるか当てられるかもよ」。
この茜の軽い提案こそが、彼らが逃れられなくなる悪意の予兆そのものであった。
***
茜の提案に対し、三人の間で緊張が走る。
詩織は、不安を感じやすい感受性の強さゆえに、瞬時に拒絶の姿勢を見せた。彼女の顔はすでに青ざめている。「ダメだよ、絶対。途中でやめたり、バカにしたりすると大変なことになるって、昔から言われてるじゃない。呪われるらしいし、精神的に不安定になるって噂もあるんだよ」。詩織は、遊び半分で霊的な扉を開くことの危険性を直感的に察知していた。実際に、コックリさんを信じすぎた子供たちがパニック状態に陥ったり、異常な行動を起こしたり、精神に異常をきたしたりする例が続出し、学校で禁止された歴史がある。
しかし、悠人は詩織の恐怖を冷静に退けた。彼は現状に不満を抱えるリアリストであり、オカルトに対しては半信半疑ではあるものの、科学的な解釈を盾にして心の片隅にある恐怖を打ち消そうとした。
「おい、落ち着けよ詩織。あれは霊の仕業じゃないって、もう解明されてるだろ」。
悠人は、こっくりさんの現象が、参加者の潜在意識が反映され、無意識に動かしてしまうという「潜在意識説」、あるいは、同じ姿勢を取り続けることで筋肉が疲労し、本人が無意識下で動いてしまう「不覚筋動」によって引き起こされる心理的なトリックだと説明した。
「要するに、みんなで指を乗せてると、無意識に体が動いてしまう心理的現象、イデオモーター効果ってやつだ。誰も意図的に動かしてなくても、集団心理で動いたように感じるだけ。昔の人が狐狗狸の霊なんて信じたのは、その動揺が起爆剤になって、無意識のうちに答えをなぞってしまうからだ」。
悠人の科学的な解説は、詩織の霊的な恐怖を完全に払拭することはできなかったが、茜は悠人の論理的な説明に飛びついた。退屈を打ち破るための「ゲーム」として、この儀式を正当化できる理屈が欲しかったのだ。
「ほら、詩織も聞いたでしょ?ただの心理ゲームだよ。誰か一人の知識や予期意向で動くんだってさ。面白そうじゃない」。
結局、詩織は二人の強引さに押され、涙目でしぶしぶ参加を承諾する。
儀式の準備は進められた。彼らは白いノートの裏紙を破り、その中央上部に朱色のマーカーで鳥居(⛩)を描いた。鳥居の左右には「はい」「いいえ」の二文字。その下には、平仮名の五十音表がびっしりと記され、さらに下には数字(0から9)が書き込まれた。準備された媒体は、まさに昔の学校で流行した典型的なこっくりさんのセットである。
そして、準備の仕上げとして、10円玉が鳥居の中央に置かれた。
「始める前に、ルールを確認しよう」と、茜がやや興奮気味に言った。「絶対に途中で手を離さないこと。呪われちゃうからね」。その言葉は、まるでゲームのスタートボタンを押すかのように、部屋の緊張感を最大まで高めた。




