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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第21章:ノックの音が聞こえても、決して外を覗いてはいけない。〜呪物回収屋と聴覚過敏の少女が迷い込んだ、狂気の孵化器〜

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第3話:坊やを待つ老婆と殺された犬

 声のした方向は、集落の西側だった。小さな畑が広がるエリアで、数件の家が点在している。


 到着したときには、すでに数人の住民が集まっていた。みな高齢者で、薄暗がりの中、無言で一点を見つめている。


 その視線の先に、一人の老婆が地面に跪いていた。彼女は何かを抱きしめながら、小刻みに体を震わせている。


 近づいて、俺は息を呑んだ。


 老婆が抱いているのは、小さな犬の死体だった。首が不自然にねじれ、舌がだらりと出ている。明らかに絞め殺された跡だ。


「また……またか……」


 住民の一人が呟いた。声には疲労と、諦めに似た感情が込められていた。


 老婆は泣き声を上げず、ただ無言で犬を抱きしめ続けている。その姿は、すでに泣く感情さえ枯れ果てているように見えた。


「おばあさん、大丈夫ですか?」と俺が声をかけると、老婆はゆっくりと顔を上げた。


 目の焦点が合っていない。彼女は俺たちを見ているが、本当に見えているのかわからない。


「……坊やが、帰ってきたのよ」


 かすれた声が、夕闇の中に消えていく。


「ずっと待ってたの。でも……でも……」


 彼女の視線が、懐中の犬の死体に落ちる。


「……違う。これは坊やじゃない。何か別のものが……私の坊やを、違うものに変えちゃった……」


 住民たちが動き出した。老婆の腕から犬の死体を優しく引き離し、誰かが老婆の肩を抱いて家の中へ導き始める。すべてが無言のうちに行われる。この光景が、何度も繰り返されてきた儀式のように滑らかだった。


 一人の男性が俺たちの方に近づいてきた。先ほど集会所で会った老人だ。


「見せてすまなかったな」


 彼は深く息を吐いた。


「松田のばあさんは……三十年ずっと、あの夜に取り残されたんだ。息子さんを亡くしてから、ずっと……」


「その息子さんは、事件の犠牲者ですか?」と俺が尋ねると、老人は硬くうなずいた。


「ああ。まだ十歳だった。黒澤家の次男と仲が良くて……あの夜、一緒に遊びに行ったまま、帰らなかった」


 彼の目が遠くを見つめる。


「発見された時、二人は……いや、もういい。昔の話だ」


 しかし、老人は続けた。


「お前さんたち、明日には出ていくんだろう?なら忠告しておく。夜は絶対に外出するな。どんな音が聞こえても、どんな光が見えても、決して外を覗くな」


「なぜですか?」と火野が聞く。彼女の声には、いつもの無愛想さの奥に真剣な響きがあった。


 老人は彼女をじっと見て、ゆっくりと言った。


「この集落には、まだあの夜が終わってない者がいる。時間が止まったままの者がな。そんな者たちが、夜になると彷徨うんだ」


「亡くなった方の霊が……?」


 老人は首を振った。


「霊かどうかは知らん。だが、確かにいる。動いている。時々、誰かの家の戸をノックする。声をかける。中にいる者は、息を殺してやり過ごすしかない」


 彼の話は迷信に聞こえた。だが、その表情には確かな恐怖が刻まれている。これは作り話ではない。彼自身が何度も経験した現実なのだ。


「では、あの犬は……」


「松田のばあさんが飼っていた。十年以上も一緒だった。それが今朝、縁側でこんな姿で見つかった」


 老人の目が暗くなる。


「誰がやったのか、誰にもわからん。ばあさんは家に一人きりだ。周りの家もみな高齢者ばかり。夜中に何かが忍び込み、そして……」


 言葉が途切れた。


「お前さんたちも気をつけろ。よそ者は、特に狙われやすい」


 そう言い残すと、老人は他の住民たちの後を追った。薄暗い路地に、彼らのシルエットが吸い込まれていく。


 火野が俺の袖を引いた。


「帰ろう。もう暗くなった」


 彼女の顔が青白く見える。ヘッドホンの隙間から、微かに音楽が漏れているが、そのリズムがいつもより速い。緊張しているのだ。


 黒澤家の調査は明日に延期し、旧公民館へ戻る道を急いだ。


 道中、首の痣が疼き続けている。熱は引くどころか、次第に強くなっているように感じる。


「おい、火野」


「なに?」


「さっきの老人の話……本当に霊の話だと思うか?」


 彼女は少し間を置いて答えた。


「わからない。でも、何かが確かに動いている。土地の“声”が、最近どんどん騒がしくなっている。三十年前の事件当時と同じ周波数で……」


「それって、事件が再発するってことか?」


「そうかもしれない」火野の声が低くなる。「あるいは、一度終わらなかったものが、また動き始めたかだ」


 公民館が見えてきた。しかし、入り口に何かが置かれているのに気づいた。


 近づくと、それは小さな人形だった。藁でできた粗末なものだが、首に赤い紐が巻かれている。


 そしてその横に、石が一つ置かれていた。石の下には、紙切れが押さえられていた。


 拾い上げて懐中電灯で照らす。そこには、くしゃくしゃな字で一言書かれていた。


「出て行け」




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