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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第21章:ノックの音が聞こえても、決して外を覗いてはいけない。〜呪物回収屋と聴覚過敏の少女が迷い込んだ、狂気の孵化器〜

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第2話:黒澤家へ向かう黄昏

 集会所の隣にある、旧公民館を宿泊所として使わせてもらうことになった。電気は通っているが、暖房は古い石油ストーブだけ。布団はカビ臭く、畳の色は茶色く変色していた。


 火野がすぐにヘッドホンを外し、手袋をしたまま床に手を当てた。彼女の能力の発動だ。目を閉じ、呼吸を整える。


 数秒後、彼女の鼻から鮮血が一滴、畳に落ちた。


「っ……」


 彼女が目を開けると、顔色が青ざめている。すぐにまたヘッドホンを被り、薬を一粒追加で飲んだ。


「何か聞こえた?」と俺が尋ねた。


 火野は首を振り、拭った血をティッシュに包みながら答える。


「……騒がしい。多くの声が、一度に泣き叫んでいる。年代も感情もバラバラで……整理できない」


 彼女の能力は、土地に刻まれた強い感情を“聴く”ものだ。この場所には、相当な量のトラウマが蓄積されているらしい。


「事件の痕跡か?」


「それだけじゃない。もっと最近の……つい数日前の恐怖も混ざっている」


 俺は窓の外を見る。もう夕暮れが近く、山の輪郭が紫色に溶け始めていた。家々の窓に、ぼんやりと灯りが点る。だが、その数が少ない。廃屋の多さを改めて実感する。


 スマホを取り出し、九条に状況報告する。電波は一本かろうじて繋がっている状態だ。


『残留思念の濃度が高いのですね。火野さん、無理は禁物ですよ。彼女のセンサーがオーバーヒートすると、回収作業そのものが不可能になりますから』


 九条の声は、相変わらず冷静だった。


「で、肝心の呪物はどこだ?早く教えてくれよ」


『まだ特定できていません。ただし、事件の中心となった家はわかっています。かつて“黒澤”という家が、集落の東端にありました。今は廃屋ですがね』


 画面に地図が送られてきた。集落の一番外れ、山に食い込むような場所に印がついている。


『三十年前、あの家の家長を含む一家四人が、最初に変死を遂げたと言われています。死因は……公式記録では一酸化炭素中毒ですが、現場では不可解な爪痕と、全員が押入れに押し込められるようにして発見されました』


「押入れに?」


『ええ。しかも外から鍵がかけられていた。中からはかけられないタイプの鍵で』


 寒気が背筋を伝う。首の痣が、また微かに疼いた。


『その後、一夜のうちに集落の他の家々でも事件が発生。発狂した者が火を放ち、ガス栓を開け放し、あるいは忽然と消える……合計十三名が亡くなりました。生き残った者たちは、事件の詳細を語ろうとしません。警察の記録も曖昧で、結論が出ないまま迷宮入りしています』


「で、俺たちはその事件の何を回収するんだ?」


『“事件そのもの”ですよ』


 九壁透は思わずイヤホンを見つめた。


「……何だって?」


『稀なケースですが、物理的な物体ではなく、ある“現象”が呪物化することがあります。この集落に蔓延する集団パニックの“種”が、まだ休眠状態で存在している。それを回収したいのです』


 九条の声に、いつもより少しだけ高揚が混じっているように聞こえた。


『歴史に刻まれた集団的狂気……それはまさに、生きた芸術です。朽原地区は、その結晶を三十年間、孵化させずに温め続けてきた孵化器のようなもの。我々はその卵を、そっと取り出すだけです』


 狂気の比喩に、俺はため息をついた。


「どうやって回収する?」


『まずは黒澤家の廃屋を調査してください。火野さんの能力で、事件当時の“音”を可能な限り聴取する。その中に、狂気の引き金となった核があるはずです』


 通話を切ると、部屋には重い沈黙が流れた。


 火野がコートをしっかりと纏い、俺の方を見た。


「行くの?」


「夜まで待つわけにはいかねぇ。明るいうちに下見だけでもしておきたい」


 彼女は少し考え、うなずいた。


「……私も同行する。一人でここにいるよりマシ」


 外に出ると、すでに夕闇が迫っていた。山間部は日が暮れるのが早い。懐中電灯の光を頼りに、東端に向かって歩き始める。


 路地はさらに細くなり、両側の家々は完全に廃墟と化しているものも多い。窓ガラスは割れ、屋根には穴が開いている。ところどころに、おぼろげに「立ち入り禁止」と書かれた札がかけられているが、文字は風雨で滲んで読めない。


 歩いていると、またしても視線を感じる。振り返ると、路地の角から灰色の頭が引っ込むのが見えた。あの老人か、それとも別の住民か。


「監視されてるな」


「当然よ」と火野が低い声で言う。「よそ者、それも若い二人組が、事件のあった家に向かうんだから」


「事件について、地元の人間から聞き出せないか?」


「無理だと思う。彼らが口を閉ざす理由は二つ。外に知られたくない秘密があるか、あるいは……本当に何が起こったか、自分たちも理解していないかだ」


 鋭い指摘だ。集団パニックというのは、後から振り返れば不可解極まりない現象だ。その渦中にいた者でさえ、なぜあんな行動を取ったか説明できないことが多い。


 ふと、火野が足を止めた。


 彼女が路傍の祠を見つめている。小さな石祠で、中には何も祀られていない。だが、その前に新しい花が一輪、水に挿して置かれている。


「……つい最近、誰かが供え物をした」


「事件の犠牲者か?」


「そうかもしれない。でも……」火野が首をかしげる。「この花、変だ」


 懐中電灯を近づける。確かに、どこから摘んできたかわからない野の花だが、茎が黒ずんでいる。腐り始めているのに、無理やり水に挿してあるように見える。


「急いで供えたのか、それとも……」


 言葉を続ける前に、遠くから叫び声が聞こえた。


 人間の声ではない。動物か?だが、すぐに違うとわかった。あまりにも悲痛で、言葉にならない悲鳴だった。


 二人は顔を見合わせ、その方向へ走り出した。



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