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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第20章:その殺人鬼を、死刑にしてはいけなかった。封印された呪いが解き放たれ、都市が白い手形に埋め尽くされるまで

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第9話:裏切る右手――愛する者を「素材」に変える瞬間

(視点:黒崎蓮)


 外の騒ぎが、遠い世界の出来事のように聞こえる。

 サイレン、怒号、銃声。

 それらは全て、僕のオペラを盛り上げるためのバックミュージックに過ぎない。


 僕は地下の金庫室の前に立っていた。

 かつて病院の重要書類や、あるいはもっと貴重な「標本」を保管していたであろう、分厚い鉄の扉。

 その中に、夏希さんを閉じ込めた。


「黒崎さん!開けて!お願いだから!」


 中から扉を叩く音と、彼女の悲痛な叫び声が聞こえる。


「出して!あなたは操られてるのよ!その日記を読んで、正気に戻って!」


 扉の小窓から覗くと、彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕を睨みつけていた。

 その表情。

 恐怖と、怒りと、そして僕への憐れみが混ざり合った、複雑な色彩。

 ああ、なんて美しいんだろう。


「操られている?違うよ、夏希さん」


 僕は扉に額を押し付け、愛を囁くように語りかけた。


「僕はね、やっと本当の自分になれたんだ。君が持っているその日記の主……神代先生の理想が、僕の中で花開いたんだよ」


「そんなの……ただの人殺しじゃない!」


「人殺し?なんて貧困な語彙だ。僕は救済者だよ。そして君は、僕の唯一の理解者だ」


 僕はポケットから、小さなリモコンを取り出した。

 金庫室の空調制御装置だ。


「君を殺したりしない。そんな野暮なことはしないよ。君だけは生き残って、僕が成し遂げた『偉業』を世に伝えてほしい。君の文章で、このホテルの美しさを永遠に残してほしいんだ」


 それが、僕が彼女に用意した特等席だった。

 死のアートの一部になるのではなく、それを観測し、記録する語り部としての役割。

 これこそが、僕なりの最大の愛情表現だった。


「だから、そこで静かに待っていてくれ。全てが終わるまで」


 そう言って、僕は立ち去ろうとした。

 その時だった。


『……違うな』


 脳内に、冷たいノイズが走った。

 あの声だ。神代の声。いや、無数の「白い手」たちの集合意識だ。


『甘いぞ、レン。観客など不要だ』

『全ての生者は、素材に過ぎない』

『彼女も……美しい死顔を見せてもらわねば』


「待て。彼女はダメだ。彼女は僕のものだ!」


 僕は抵抗した。

 だが、僕の右手が、僕の意志を裏切った。

 勝手に動き出し、リモコンの「ガス噴射」のボタンへと指を伸ばす。


「やめろ!やめるんだ!」


 左手で右腕を掴み、必死に止める。

 だが、右腕はまるで鋼鉄の棒になったかのように動じない。

 手首の白いアザが、灼熱するように熱い。

 肉が焼けるような激痛と共に、白い手が僕の神経をジャックしていく。


『我々の芸術に、例外はない』


 ピッ。


 無情な電子音が響いた。

 金庫室の通気口が開く音がする。


「いやあああ!なにこれ!?ガス!?」


 中の夏希が叫ぶ。


「違う!僕じゃない!逃げろ、夏希さん!」


 僕は扉を開けようとした。

 だが、今度は足が動かない。床から伸びた無数の白い腕が、僕の足首を掴み、地面に縫い付けていた。


「くそっ……!神代、約束が違うぞ!」


『約束などしていない。お前はただの「手」だ。我々の代行者に過ぎない』


 ガラス窓の向こうで、夏希が喉を押さえて苦しみ始めた。

 ピンク色のガスが充満していく。

 彼女が倒れ込む。

 その目が、僕を見ていた。

 憎しみでも恐怖でもない。

「助けて」と訴える、信頼の残滓を宿した目で。


 僕の心の中で、何かがパリンと割れた。

 それは、僕がギリギリで保っていた自我の殻だった。


 絶望。

 愛する人を、自分の手で殺してしまうという究極の絶望。

 それが、僕の心を完全に粉砕した。


 そして、その砕け散った隙間に、どす黒い喜びが津波のように押し寄せてきた。


(ああ……苦しむ顔も、また美しい……)


 それは僕の感情なのか?それとも奴らの?

 もう区別がつかない。

 涙を流しながら、僕は口元を歪めて笑っていた。


「……そうだね。例外なんて、美しくない」


 僕の意識は、白い霧の中に溶けていった。


 ***


 私は、地下階段を降りていく。

 もはや足取りに迷いはない。

 私の名は黒崎蓮であり、神代巖である。

 二つの魂は完全に融合し、一つの「目的」に向かって収束していた。


 地下三階。

 図面には存在しない、このホテルの最深部。

 かつて廃棄用シュートの終着点だった場所。


 重い鉄扉を押し開ける。

 そこに広がっていた光景は、まさに地上の楽園だった。


「素晴らしい……」


 広大な地下空間。

 その中央には、天井まで届く巨大なオブジェが鎮座していた。


 素材は、骨だ。

 70年前に私が共に旅立った23人の患者たち。

 彼らの白骨が、幾何学的に組み上げられ、巨大な螺旋階段のような塔を形成している。

 肋骨のアーチ、大腿骨の柱、頭蓋骨の装飾。

 それらはカルシウムの白さを保ち、地下の湿気の中で妖しく光っていた。


 そして、その「骨の塔」の所々に、新しい花が飾られていた。


 檜風呂で白磁の肌を手に入れたサユリ。

 冷凍庫で永遠の氷像となったミキ。

 その他、ここ数ヶ月で行方不明となった数名の女性たち。


 彼女たちは、骨の塔の各層に、最も美しいポーズで配置されていた。

 まるで、舞踏会の最中に時を止められたかのように。

 防腐処置とガスの効果で、彼女たちは生きている時よりも鮮やかに、その存在を主張していた。


「先生、お待たせしました」


 私は誰に言うともなく呟いた。

 いや、私自身に言ったのだ。


 私は塔の最上段へ向かって歩き出した。

 そこには、ただ一つ、空席の玉座が用意されている。

「女王」のための席だ。


 ズズズ……と、地下の闇が蠢く。

 壁一面に張り付いた無数の「白い手」が、拍手をするようにわさわさと揺れた。


『完成だ……』

『あと一つ……最後のピースを……』


 そう、あと一つだ。

 夏希。

 彼女の魂は、今頃ガスによって肉体から剥離しかけている頃だろう。

 生と死の狭間で揺らぐ彼女の肉体こそが、この塔の頂点に相応しい。


 私は自分が着ていたジャケットを脱ぎ捨てた。

 シャツのボタンを引きちぎる。

 胸の皮膚に、直接メスで刻んだような傷跡が浮かび上がる。

 それは複雑な呪術的文様を描いていた。


「蓮という器は、よく馴染んだ。現代の技術と私の理論が融合すれば、死は克服できる」


 私は骨の塔に触れた。

 冷たい骨の感触を通して、70年前の同志たちの歓喜が伝わってくる。

 彼らは死んでいない。

 この「集合体」の一部として、永遠に意識を共有しているのだ。


「さあ、迎えに行こうか。私の花嫁を」


 私は踵を返した。

 その時、背後で爆発音が響いた。

 金庫室の方角ではない。

 上だ。

 地下への入り口が爆破されたのだ。


「……警察か。野暮な客だ」


 だが、焦る必要はない。

 彼らがここへ辿り着く頃には、儀式は終わっている。

 この地下空間全体にガスを充満させ、彼らもまた、この展覧会の「常設展示物」に加えてやればいい。


 私は笑った。

 口が耳まで裂けるような感覚。

 私の影が、巨大な怪物のように壁に伸びていた。


「展覧会の、開幕だ」


 私は両手を広げ、虚空に向かって指揮棒を振る仕草をした。

 地下の底から、死者たちの合唱コーラスが低く、重く、響き始めた。



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