表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第20章:その殺人鬼を、死刑にしてはいけなかった。封印された呪いが解き放たれ、都市が白い手形に埋め尽くされるまで

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

106/113

第8話:狂気の美学、絶対零度の保存術

(視点:滝川夏希)


 カビと、古いインクの匂いが鼻をつく。

 私はホテルの書斎の奥、本棚の裏に隠されていた狭い小部屋に身を潜めていた。

 懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

 心臓が早鐘を打っている。

 もし今、あの美しい顔をした狂気のオーナーに見つかったら……。


 震える手で、見つけたばかりの革表紙の手帳を開く。

 表紙には、金箔が剥げ落ちた文字で『実験記録1945・神代巖』と記されていた。


 ページをめくる。

 走り書きのような筆跡は、最初は理性的だった。


『○月×日。被験者の精神状態は安定。魂の質量を計測する試みは順調だ』

『肉体は魂の牢獄である。死とは解放であり、芸術的な昇華だ』


 読み進めるうちに、背筋に氷を流し込まれたような悪寒が走った。

 神代巖。戦時中、この場所にあった医療施設で院長を務めていた男。

 彼は患者を治療していたのではない。

「いかに美しく死なせるか」という実験を繰り返していたのだ。


 記述は次第に狂気を帯びていく。


『○月△日。あの子たちの悲鳴は、なんと甘美な音楽だろう。シュートへ滑り落ちる際の、骨が軋む音。これぞシンフォニーだ』

『「白い手」が見える。彼らは私の同志だ。彼らが手伝ってくれる』


 そして、最後の日付。1945年8月14日。

 終戦の前日だ。


『明日、戦争が終わるらしい。だが、私の芸術を凡俗な連中に汚させるわけにはいかない』

『今夜、全てを完成させる。残った患者23名と、職員たち。全員で地下の楽園へ往くのだ』

『魂を抽出した純粋な死体のみが、永遠に残る』


 手帳の最後は、赤黒いシミで汚れていて読めなかった。

 血だ。

 彼はここで、集団自殺という名の虐殺を行い、自らも命を絶った。


「嘘でしょう……」


 私は口元を押さえた。

 黒崎さんが語っていた「死の美学」。

 それは彼オリジナルの思想ではなかった。

 この土地に染み付いた、70年前の亡霊の妄執そのものだ。


 黒崎さんは、ただの建築家じゃない。

 あの「神代」という男の意志を継ぐ器として、選ばれてしまったんだ。


 その時。

 廊下の方から、コツ、コツ、という足音が聞こえた。

 優雅で、リズムの整った足音。

 黒崎さんだ。


「夏希さん?どこに隠れているんですか?」


 壁越しに聞こえる声は、恋人に語りかけるように甘く、優しかった。


「かくれんぼは終わりですよ。……あなたに見せたいものがあるんです」


 私は手帳を抱きしめ、息を殺した。

 逃げなきゃ。

 でも、出口は彼が来る方向にある。


 足音が近づいてくる。

 コツ、コツ、コツ……。

 そして、書斎のドアノブがゆっくりと回る音が、雷鳴のように響いた。


 ガチャリ。


「……みーつけた」


 ドアの隙間から差し込んだ光が、私の顔を照らす。

 逆光の中に立つ黒崎さんのシルエット。

 その背後に、無数の「白い影」がゆらゆらと揺れているのが見えた。



 ***



(視点:三島雪乃)


「突入!!」


 私の号令と共に、特殊班の隊員たちがバリケードを破り、ホテルのエントランスへ雪崩れ込んだ。

 サイレンの音が森の静寂を引き裂く。

 だが、その勇ましい光景は、一歩足を踏み入れた瞬間に異様なものへと変貌した。


「な、なんだここは……!」


 先頭を走っていた隊員が、悲鳴を上げて立ち止まる。

 ロビーの空間が、歪んでいる。

 直線であるはずの柱が飴細工のように曲がり、床が波打っているように見えた。

 平衡感覚が狂う。


「怯むな!確保だ!」


 私は叫んだが、自分の声が水中にいるように籠もって聞こえた。


「無線が……繋がりません!ノイズが酷くて!」

「おい、壁が!壁から何か出てるぞ!」


 部下の報告に目を向けると、剥がれかけた壁紙の隙間から、白い煙のようなものが滲み出し、人の手の形をとって蠢いていた。

 一人の隊員が、その手に足首を掴まれ、派手に転倒する。


「うわあああ!放せ!冷たい!」


「しっかりしろ!幻覚よ!」


 私は拳銃を構え、その「白い手」に向けて発砲した。

 パン!

 乾いた銃声。しかし弾丸は虚空を突き抜け、壁に穴を開けただけだった。

 物理的な攻撃が通じない。


「係長、ここはマズいです」


 藤堂が私の袖を引いた。

 彼の顔は蒼白で、脂汗が滝のように流れている。


「霊道の向きが、めちゃくちゃだ。空間そのものが、我々を『消化』しようとしてる」

「消化って……どういうことよ」

「この建物は巨大な胃袋なんです。入ってきた異物を、恐怖で溶かして喰らおうとしてる。……核を、核を壊さないと」


 藤堂はブツブツと呟きながら、ふらりと隊列を離れた。


「藤堂!どこへ行くの!」

「法則がわかりました。この建物の血管……地下へ続く『道』が」


 彼は何かに憑かれたような目で、厨房の奥へと走っていく。


「待ちなさい!単独行動は許可してないわ!」


 私が追いかけようとした瞬間、ロビーのシャンデリアが轟音と共に落下した。

 ガシャーン!!

 クリスタルの破片が飛び散り、私と藤堂の間の道を分断する。


「藤堂!!」


 埃の向こう側で、藤堂が振り返った。

 その背後、暗闇の奥から、白衣を着た男のような影がぬらりと立ち上がり、彼を包み込もうとしていた。


「係長……逃げてください。奴は、生者と死者の境界を消そうとしている……」


 それが、彼の最後の言葉だった。

 次の瞬間、藤堂の体は闇に引きずり込まれるようにして、視界から消えた。


「嘘……」


 私は唇を噛み締めた。

 こんな非科学的なことがあってたまるか。

 妹の時と同じだ。

 目に見えない何かが、また私の大事な人を奪っていく。


「許さない……黒崎蓮、絶対に捕まえてやる」


 私は恐怖を怒りで塗りつぶし、シャンデリアの残骸を乗り越えた。

 もう、法の手続きなどどうでもいい。

 これは戦争だ。生者と、この土地に巣食う死者たちとの。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ