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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第20章:その殺人鬼を、死刑にしてはいけなかった。封印された呪いが解き放たれ、都市が白い手形に埋め尽くされるまで

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第7話:地下二階のアトリエ――第二作品「氷の姫」

 鏡の中の男が、ニヤリと笑った。

 僕が笑ったわけではない。

 僕は無表情でネクタイを締めているのに、鏡像の「僕」だけが、口角を吊り上げて嗤っているのだ。


「……身嗜みは完璧だよ、レン」


 鏡の中の僕が喋る。声は僕のものだが、抑揚が違う。もっと傲慢で、粘り気のある声。


「ああ、ありがとう」


 僕は平然と答えた。

 最初のうちは驚いたが、もう慣れてしまった。

 これは解離性同一性障害などではない。

 もっと高次な、霊的な同居だ。

 彼――いや、彼ら――は、僕にインスピレーションを与えてくれるミューズであり、共犯者だ。


「今日の彼女は、どうするつもりだ?あのライターの小娘」

 鏡の男が問う。


「夏希さんのことか。彼女はまだだ。まだ熟していない」

「勿体ぶるなよ。あの生命力……絶望で染め上げたら、さぞ美しい色になるぞ」


「急かすな。彼女は特別なんだ。僕の最後の傑作にするつもりだ」


 ピンポーン。

 インターホンが鳴った。

 鏡の中の男は、「楽しんでおいで」と言わんばかりにウィンクをして、スッとただの僕の反射に戻った。


 僕は深呼吸をして、努めて「普通の好青年」の仮面を被り、玄関へ向かった。


「こんにちは、黒崎さん!取材の続き、いいですか?」


 扉を開けると、夏希が太陽のような笑顔で立っていた。

 彼女が持ち込む外の空気は、カビ臭いホテルの中には眩しすぎる。

 だが、そのコントラストこそが、僕の創作意欲を刺激する。


「どうぞ、夏希さん。散らかってますが」


 リビングに通し、コーヒーを淹れる。

 夏希は部屋を見回し、テーブルの上に置かれたスケッチブックに目を留めた。


「わあ、これ、新しいデザイン案ですか?」


 彼女が指差したのは、僕が昨夜、半ばトランス状態で描いたデッサンだった。

 硝子ガラスの棺の中で眠る女性の絵。

 その周囲を、氷の結晶のような装飾が取り囲んでいる。


「……ええ。『永遠の眠り』をテーマにした客室の構想です」

「すごい……なんだか、怖いけど綺麗。この女性、本当に眠ってるみたい」


 夏希の無邪気な感想に、僕は背筋がゾクゾクするのを感じた。

 君だよ。

 そこに描かれているのは、未来の君だ。


「夏希さん」

「はい?」


 僕は彼女の正面に座り、その目をじっと見つめた。

 手首の白いアザが熱い。

「白い手」が、僕の喉を使って言葉を紡ぎたがっている。


「僕はね、ずっと探していたんです。僕のこの美学を、本当に理解してくれる人を」


「美学……死が生の完成形、というお話ですか?」


「そうです。世間は僕を狂っていると言うかもしれない。でも、君ならわかってくれる気がする」


 僕は身を乗り出し、彼女の手をそっと握った。

 夏希の手は温かかった。

 脈打つ血流。柔らかな皮膚。

 これを、冷たく硬質な硝子に変えたいという欲望が、奔流となって押し寄せる。


「君を、僕の最後の美にしたい」


 言葉が、勝手に口をついて出た。

 それは、最大級の殺害予告であり、歪みきった求愛だった。


 夏希は一瞬きょとんとして、それから頬を赤らめた。


「えっ……それって……その、プロポーズ的な……?」


 彼女は、言葉の裏にある真意に気づいていない。

 芸術家特有の、キザな口説き文句だと勘違いしているのだ。


「ふふ、まあ、そんなところです。僕の人生をかけた、最後のプロジェクトのパートナーになってほしい」


「黒崎さん……」


 夏希は照れくさそうに視線を逸らした。

 まんざらでもない反応だ。

 彼女は、この危険な男の、危険な魅力に惹かれ始めている。

 蛾が、炎に飛び込むように。


「でも、今はまだ記事を書くだけにしておきますね。私、公私混同はしない主義なので!」


 彼女は明るく笑って誤魔化したが、その瞳の奥には、僕への執着の火が灯っていた。


「焦りませんよ。時間はたっぷりある」


 僕は微笑み返した。

 そう、急ぐ必要はない。

 まずは手近な材料で、技術を磨くのだ。

 地下には、一昨日チェックインした、もう一人の「お客様」が待っているのだから。


 ***


 地下二階の奥。

 元は食肉用の冷凍保管庫だった部屋。

 分厚い断熱扉を閉めると、そこは外界から隔絶された極寒の世界となる。


 室温マイナス20度。

 僕の吐く息が白く凍る。

 防寒コートを着ていても、骨の髄まで冷える寒さだ。

 だが、中央の椅子に縛り付けられた女性には、薄いネグリジェ一枚しか与えられていなかった。


 彼女の名はミキ。30代半ばの、美容整形中毒の女性だった。

『老いるのが怖い』『今の美しさを留めておきたい』

 チェックインの際、彼女はそう漏らしていた。


「寒い……出して……お願い……」


 ミキの唇は紫色に変色し、全身がガタガタと激しく震えている。

 まつ毛には霜が降り、涙も頬で凍りついていた。


「大丈夫ですよ、ミキさん。あなたの願いを叶えてあげているんです」


 僕はカメラのレンズ越しに彼女を覗いた。

 シャッターを切る。カシャ、という乾いた音が、静寂に響く。


「老いとは、酸化であり、腐敗です。でも、氷の世界では時間は止まる。あなたは今、永遠の若さを手に入れようとしている」


「い、や……しにたく、ない……」


「死ぬのではありません。保存されるのです」


 僕は壁のレバーを引いた。

 天井のスプリンクラーのようなノズルから、ガスが噴射される。

 前回とは違う成分。

「サクラサク」と名付けられたそのガスは、低温下で反応し、細胞内の水分を結晶化させずにガラス化する特殊な混合気体だ。


 シューッ……。

 淡いピンク色のガスが、ミキを包み込む。


「ゴホッ、ゴホッ……あ、あ……」


 彼女の震えが、徐々に小さくなっていく。

 ガスの作用で、意識が急速に遠のいているのだ。

 そして、驚くべき変化が起きた。

 紫色だった唇に、鮮やかな赤みが戻り、肌が透き通るような桜色に染まっていく。

 生きている時よりも、遥かに血色が良く、それでいて作り物めいた美しさ。


「すごい……」


 僕は思わず息を呑んだ。

 彼女の体は、氷像のように硬直しつつあった。

 恐怖に歪んでいた表情筋が緩み、ガスによる陶酔感で、恍惚とした笑みを浮かべたまま凍りついていく。


 ピキッ、ピキ、ピキッ……。

 微細な音が聞こえる。

 皮膚の表面が薄い氷の膜で覆われ、ダイヤモンドダストのようにキラキラと輝き始めた。


 完全に動きが止まった。

 彼女は、椅子に座ったまま、永遠の「氷の姫」となった。


 僕は彼女を椅子から外し、あらかじめ用意しておいた強化ガラスのケースへと運んだ。

 ケースの中は真空になっており、腐敗も融解も許さない。

 LEDライトを点灯させる。

 冷たい光に照らされた彼女は、現代アートのオブジェそのものだった。


「完璧だ……」


 僕は再びカメラを構えた。

 様々なアングルから、彼女の死顔を撮影する。

 この写真は、僕の個人的なコレクションであり、地下で蠢く「彼ら」への報告書だ。


「どうだ、神代かみしろ先生。あなたの理論は正しい」


 僕は独り言を呟いた。

 神代巖かみしろいわお

 この場所で人体実験を行っていた主犯格の医師の名前が、自然と口をついて出た。

 僕の中の記憶が、彼とリンクしている。


『悪くない……だが、まだ足りない』


 脳内で声が響く。


『魂の抽出が不完全だ。もっと……もっと絶望と愛が入り混じった、濃厚な魂が必要だ』


「わかっている。次はもっと上手くやる」


 僕はガラスケースに手を触れた。

 冷たい感触。

 その向こうで微笑むミキの瞳が、僕を見つめ返しているように見えた。


 背後で、重い扉が開く音がした。

 誰もいないはずなのに。

 いや、いるのだ。

 あの白い手たちが。無数の見えない観客たちが、このアトリエに集まってきている。


 僕は振り返り、闇に向かって一礼した。


「次回の展覧会にご期待ください。メインディッシュは、まだこれからですから」


 ホテルの外では、サイレンの音が遠く聞こえていた。

 警察が近づいている。

 それすらも、この狂気の舞台を盛り上げる演出の一つのように思えた。




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