第6話:雪乃の疑惑
警視庁捜査一課、三島雪乃のデスクの上には、冷めたコーヒーと山積みの資料が散乱していた。
蛍光灯の白い光が、彼女の疲れた顔色をさらに悪く見せている。
「……また、増えてる」
雪乃はタブレットの画面をスワイプしながら、独り言ちた。
都内近郊で行方不明になった20代から30代の女性リスト。
ここ数ヶ月で、その数が異常なペースで増加している。
家出、ストーカー被害からの逃避、あるいは自殺志願。
動機はバラバラだが、彼女たちには奇妙な共通点があった。
「最後の足取りが、西東京エリアに向かっている」
そしてもう一つ。
彼女たちがSNSに残した最後の投稿や検索履歴に、あるキーワードが頻出していた。
『癒やし』『再生』『生まれ変わり』。
そして極め付けは、都市伝説掲示板の書き込み。
『森の奥の白いホテルに行けば、楽になれる』
「星見ヶ丘ホテル……」
雪乃はその名を口の中で転がした。
かつて廃墟マニアの間で有名だった心霊スポット。
最近、奇特な資産家によって買い取られ、リノベーション中だという噂は聞いていた。
「係長、ちょっといいですか」
声をかけてきたのは、部下の藤堂だった。
48歳のベテラン刑事だが、出世には縁がない。
ヨレヨレのスーツに無精髭。いつも眠そうな目をしているが、勘だけは鋭い。鋭すぎるせいで「オカルト刑事」と陰口を叩かれることもある男だ。
「何?藤堂さん」
「そのホテルの件ですよ。私も気になって、昨日、非番のついでに近くまで行ってみたんですよ」
藤堂は眉間を揉みながら、嫌そうな顔をした。
「中には入ってません。敷地の外から眺めただけです。でもね……」
「でも?」
「あの建物は、生きてますよ」
雪乃は呆れて溜息をついた。
「またそれですか。私は事実と証拠しか信じません」
「いや、比喩じゃないんです」
藤堂は真顔で詰め寄った。
「建物全体が、巨大な胃袋みたいに脈打ってるのが見えたんです。あそこには、とんでもない数の『何か』が集まってる。普通の霊道とか、そんなレベルじゃない。蠱毒の壺だ」
「蠱毒……?」
「虫を壺に入れて共食いさせる、あれです。あそこでは、何かが、何かを喰って育ってる。……吐き気がして、私は十分もそこにいられなかった」
藤堂の顔色は、確かに悪かった。
脂汗が滲み、手が微かに震えている。
演技でここまでできる男ではない。
雪乃は、妹のことを思い出した。
幼い頃から「変なものが見える」と泣いていた妹。
雪乃はそれを「ただの神経質」だと突き放し続けた。
結果、妹は誰にも理解されない孤独の中で、自ら命を絶った。
遺書には『お姉ちゃんには見えない世界が怖かった』と書かれていた。
(私は、また見落とそうとしているのか?)
雪乃はかぶりを振り、合理的な思考を取り戻そうとした。
「……藤堂さんの直感は、捜査の参考にはします。でも、令状を取るには物的証拠が必要です」
「わかってますよ。だから、これを」
藤堂が一枚のプリントアウトを差し出した。
それは、建築資材の納入リストのコピーだった。
裏ルートで手に入れたものらしい。
「星見ヶ丘ホテルの改修工事で発注されたものです。内装材や配管に混じって、これが大量に注文されてます」
雪乃は指差された項目を見て、眉をひそめた。
「液体窒素ボンベ……それに、強化ガラスケース?ホテルに何のために?」
「オーナーの黒崎蓮は、建築家ですよね。奇抜なオブジェでも作るつもりなのかもしれませんが……量が多すぎます。まるで、巨大な冷凍倉庫でも作る気だ」
「あるいは、死体安置所か」
雪乃の口から、不穏な言葉が滑り落ちた。
行方不明の女性たち。
巨大な胃袋のようなホテル。
そして、遺体を保存するための設備。
パズルのピースが、不吉な絵柄を描き始めている。
「黒崎蓮……洗ってみる必要がありそうね」
雪乃はジャケットを掴んで立ち上がった。
藤堂が「行くんですか?」と不安げに尋ねる。
「まずは周辺の聞き込みからよ。あなたの言う『生きてる建物』がどんな顔をしているか、拝ませてもらうわ」
雪乃の瞳に、狩人の光が宿った。
だが彼女はまだ知らない。
その建物が、獲物を待ち構える捕食者の口を大きく開けていることを。




