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ようこそ、"そちら側"へ ~逃れられない怪異の招待状~  作者: silver fox
第20章:その殺人鬼を、死刑にしてはいけなかった。封印された呪いが解き放たれ、都市が白い手形に埋め尽くされるまで

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第4話:憑依の完成

 その夜、夏希が帰った後、僕は再び地下へと降りた。

 外は激しい雷雨になっていた。

 地下室の空気は、昼間よりも濃密で、ねっとりと肌にまとわりつく。


 手首の白い手形が、火傷のように痛む。

 いや、痛みではない。

 これは渇きだ。

 僕の中の何かが、決定的に欠落していて、それを埋めるものを求めて叫んでいる。


「……ここに、いるんだろう?」


 僕は虚空に向かって問いかけた。

 地下二階。あの巨大なシュートの前。


『……レン……』


 声が聞こえた。

 耳からではない。脳髄に直接響くような、無数のささやき声の集合体。

 男の声、女の声、老人の声、子供の声。

 それらが重なり合い、不協和音となって僕の名前を呼んでいる。


『お前は……知っている……』

『美しさを……本当の……救済を……』


 視界がぐにゃりと歪んだ。

 コンクリートの壁が溶け出し、白いタイルへと変わっていく。

 鼻をつく消毒液の匂い。

 錆びたシュートが、真新しいステンレスの輝きを取り戻す。


 幻覚だ。

 ここは、戦時中の秘密施設。

 白衣を着た医師たちが、慌ただしく行き交っている。

 彼らの手には、メスや注射器が握られている。

 そして、ストレッチャーに乗せられて運ばれていく、痩せ細った人々。

 彼らは皆、恐怖に歪んだ顔をしているのではない。

 薬物によって意識を奪われ、人形のように静かな表情で、シュートへと投げ込まれていく。


『我々は……実験体ではない……』

『我々は……芸術だ……』


 無数の手が、床から、壁から、天井から伸びてきた。

 白く、細く、美しい手。

 それらが僕の体に触れる。

 足首を掴み、腰を這い上がり、胸を撫でる。


 恐怖はなかった。

 むしろ、待ち望んでいた抱擁だった。


『お前の母さんも……綺麗に死なせてやっただろう?』


 その言葉に、僕は目を見開いた。

 母の自殺。あれは、母の意志ではなかったのか?

 浴槽の中で、手首を切った母。

 その背後に、白い手が視えた記憶が、封印された引き出しから溢れ出した。


 そうだ。

 あの日、母の手首を引いたのは、この「手」だった。

 そして僕は、それを見ていた。

 幼い僕は、母が死にゆく様を見て、泣くどころか、そのあまりの美しさに魅入っていたのだ。


「そうか……あれは、君たちの作品だったのか」


 僕は膝をつき、涙を流した。

 悲しみではない。

 感動の涙だ。

 母をあんなにも美しく永遠のものにしてくれた、その芸術的な手腕への賛美。


『お前も……作りたいだろう?』

『最高の……死を』


 無数の白い手が、僕の顔を包み込む。

 冷たい指が、僕の瞼を、唇を、喉を愛撫する。

 僕の輪郭が溶けていく。

 黒崎蓮という個が消滅し、この場所に積層した数百の怨念と融合していく感覚。


「ああ、作りたい……」


 僕は、もはや自分の意思かどうかも定かではない言葉を紡いだ。


「僕の手で、彼女たちを救済したい。あのライターの彼女も、今日すれ違った女性も、全てを」


『ならば……契約は成立だ』


 ズズズ……と、白い手たちが僕の体内へと潜り込んでいく。

 皮膚の下を這いずり、筋肉を食い破り、骨に絡みつく。

 激痛が走るはずの現象が、至高の快楽へと変換される。


 僕は立ち上がった。

 雷鳴が轟き、地下室の照明が一瞬消える。

 非常灯の赤い光だけが残った空間で、僕は笑っていた。


 鏡がなくてもわかる。

 今の僕の瞳は、もう人間のそれではない。

 深く、暗く、そして美への狂気だけを映すレンズ。


 僕は自分の両手を見つめた。

 薄暗い赤色の光の中で、僕の手は、白く発光しているように見えた。


「さあ、始めようか。僕のアトリエで」


 地下のシュートが、ゴウッと低い唸り声を上げて風を吸い込んだ。

 それはまるで、これから始まる祝宴を待ちわびる、巨大な怪物の産声のようだった。



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