第九話 女郎蜘蛛 佐久間 留美
「ギャラリー柊さんだったわね、一度うちの店にも寄って頂戴、ねっ」
「すいません、俺、お酒が飲めないんです」
「違うわよ!」
豊満な胸や細い腰を殊更強調した、濃い紫基調の衣装から、てっきりキャバクラか
何かの営業だろうと、勘違いした練は悪くない。
留美にしても、地元でなければ態々こんな恰好はしない。
とてもでは無いが、遠出が出来る恰好では無い。
普段のスケベ爺なら、その激しく主張する豊満な胸一つで事足りたのだが、今回は
若い年下の練が相手なこともあり、少々気合を入れすぎた事が裏目に出た。
「私の店は福岡市に在るの、はい、これ名刺」
「はあ、今度、時間が有れば・・・・・」
「よろしくね~、絶対に来てよね」
「は、はあ」
何とか誤解を解く事が出来た留美は、ほくほく顔で名刺を渡した。
(ふふふ、店は自宅も兼ねてるからね、引っ張り込めればこっちの物よ)
だが、一週間たっても二週間たっても、練は訪れなかった。
「なんばしよっとね、あん人は!」
つい、エセ博多弁が出るほど、留美は頭に来ていた。
今までの男なら、すぐ翌日に、遅くとも三日程度で必ず訪店していたのが、待てど
暮らせど、無しの礫なのだ。
ハッキリ言って、留美は自分の容姿には、それなりの自信が有ったし、練も胸を見
て居た事も有って、確実に網に掛かったと思っていたのに、この有様なのだ。
更に言えば、自信満々過ぎて携帯番号も聞いてない、メアドも交換していない。
「ねえ、どうして店に寄ってくれなかったのかしら?」
「あ、どうも、ちょっと忙しかったもんで」
「一か月の間、ずっと?」
「え、えっと、あ・・・・はい」
「そう、まあいいわ今日は大丈夫なんでしょ」
「あっ、そ、その、今日も」
「な~んにも、落札してないわよねぇ~」
「うっ」
実際、今日の競売品の中には呪物は無かった。
品物の価値が一定レベル以上の物しか取り扱わない様、会主が主導しているのが
原因だが、それ故に練とは縁遠い市場とも言える。
何も競り落とさなくても不思議では無いのだが、その事を留美に突かれたのだ。
「夕食ぐらいは、付き合ってくれるわよね」
「・・・・・・・・はい」
「良いレストランを知ってるのよ」
「あ、あのう」
「うん?なに?」
「俺、肉も魚も卵も含めて、動物性の物が食べられないんです」
「菜食主義者なの?それとも戒律か何か?」
「いいえ、体が受け付けないだけで・・・」
「お酒も駄目だったわよね、普段何食べてるの?」
「野菜と穀物と、あと山菜などですかね」
「へ~、まるで修行僧ね」
「すいません、ですので御迷惑かと・・・・・」
そして、留美はある事に気付き、唐突に練の襟元に顔を近づけた。
「な、何を!」
「へ~、ふ~ん、ほ~お、やっぱりね」
「ええと何か問題が?」
「何でもないわ、気にしないで」
留美が確認したのは、練の体臭だ。
当然というか必然と言うか、完全な菜食主義者の様な練の体臭は非常に薄い。
ほぼ無臭と言っても過言ではない。
並みの菜食主義者とは一線を隔す、その事で留美は俄然、練に興味を持ち始めた。
(囲い込んで、私が一流の男に育てようかしら・・・・・)
留美は練を鴨にするより、燕にする事を選ぼうとしていた。
「そうだ、お豆腐専門の料亭が有るのよ、そこにしましょう」
「あ、いえ、そこまで」
「ここまで譲歩したのよ、付き合って貰うからね」
「ええと、その・・・・・わかりました」
食事中はもっぱら留美が一方的に練に質問する形で終始したが、答えられない事の
多い練は、曖昧な返事でその大半を誤魔化したのだが、それが返って余計に留美の
興味を引いてしまっていた。
「へ~、じゃあ、君はおじい様の跡を継いでハタ師になるの?」
「それが理想ですが、今の俺にそんな能力は無いです」
「そうね、特にこんなに情報が溢れた世界じゃ厳しいわね」
今では、品物の値段に地域差が殆んど無い。
北も南も、九州も東北も、大阪も東京も、そして都会も田舎も差異は無い。
検索すれば事が済むのだ。
余程の目利きでも無ければ、経費さえ稼げないだろう。
「今日は楽しかったわ、次は私の店にいらっしゃいな」
「は、はい」
「ふふふ、素直な男は、す」
「なんだ、貧乏人の滝津じゃないか、まだ生きてたのかよ」
突然無遠慮に割り込んできた声に留美の言葉が遮られた。




