第三話 過去② (絶望と級友)
錬が就職した会社は、ブラック企業に分類される類の物で、残業などは連日が
当たり前、休日出勤は何時もの事、そういう会社だが、とにかく給料だけは良
く、残業代もキッチリ出る事が、この会社を選んだ理由だ。
それに同時期に入社した者たちが、次々に辞表を提出する中、錬だけが残った
のも給料の高さもそうだが、身体的、精神的にも、余裕で耐えられたからだ。
「おい滝津、この資料を明日の朝までにまとめておけ」
「はい、わかりました」
「この程度の事、わざわざ聞いてくるな!無能が!」
「すいませんでした」
「明日からの三連休は、お前が会場の設営に行ってこい」
「了解しました」
徹夜も二日程度であれば、余裕でこなせた。
他人からの罵倒や誹謗など、聞きなれた物でしかない。
例え50連勤だろうが70連勤だろうが全く気にしない。
こんな事は、小学校のころから幾度も経験したことだ。
そんな錬でも人間関係の破綻には弱かった。
「もういいわ、別れましょ」
「そんな・・・・理沙」
「あれぐらいのネックレスも買ってくれないんじゃ、一緒に居る意味無いわ」
「でも、先月、イヤリングを・・・・」
「たった五万ぽっちじゃない、これだから高卒の安月給は駄目なのよ」
「でも、流石に三十万は・・・・」
「ねえ、このバックわかる?」
「い、いや」
「セリーヌよ、値段は五十万円」
「ごじゅう!」
「分かるでしょ、あんたとは住む世界が違うのよ」
錬は先ほど高校時代から付き合っていた彼女に別れを切り出されていた。
入社してから事あるごとに、プレゼントをねだられ、それも最近、どんどんと
高価な物を要求されるようになった。
一人暮らしの生活費だって必要だし、隣町の祖父母に温泉旅行をプレゼントし
たばかりだ。
幾ら錬の給料が良くても、限界がある。
それでも、生まれて初めて出来た恋人につくしてきたつもりだった。
だが、彼女にとっては取るに足らない何の価値も無い物だった。
「・・・・・・わかったよ」
「理解した?それじゃあ、もう電話して来ないでね、サヨナラ~」
一度も後ろも振り返らず、軽い足取りで去ってゆく理沙の後姿を、錬は呆然と
見送っていた。
未練ばかりが残る錬だが、他人から見れば、二人の関係は、やっと手を握った
程度の到底恋人どうしなどとは言えぬ代物だ。
良く言って、親しい友人程度、高額な贈り物をやり取りする関係ではない。
まるでキャバクラ嬢に貢ぐ残念な男その物だが、純粋な錬にはそれがわからな
かった。
「・・・・・・俺は・・・・・・理沙の何だったんだろう」
目の前が真っ暗になった錬は、ふらふらと夜の道を帰っていった。
傷心を必死に抑え込もうとあがいていた錬は、その僅か二日後、更なる傷を刻
み込まれる事になった。
「理沙・・・と颯太?お前ら、何で・・・・・」
「ありゃりゃ、見つかっちゃったか」
「当たり前じゃない、わざわざ帰り道で待ってたんだもん」
「そりゃそうか、ぎゃははは」
残業をやっと済ませて帰宅途中だった錬の目の前に、級友だった野口 颯太が
理沙の腰に手を廻したまま現れたのだ。
「浮気していたのか‥‥理沙・・・・・」
「あ~違う違う、お前が浮気相手なの」
「はっ?」
「お前が、浮気相手なんだよ」
「意味が・・・・・わからない」
「俺達は高校の時から付き合ってたんだよ、マ・ヌ・ケ」
酷い話だった。
理沙が錬に交際を申し込んだのも、思わせぶりな態度をとり続けたのも、会う
たびにやたら高価なアクセサリーをねだったのも全て颯太の命令だった。
理沙は錬の恋人でも無ければ、友人でさえ無かった。
ずっと騙されていた哀れな男と、騙す事に慣れ切った女優並みの演技力をもつ
毒女。
ただ、それだけの関係だった。
「ごめんね~、でも夢を見たんだからいいよね~」
「いや~、おかげで、良い臨時収入になったぜ」
「まあ結局、全部ホテル代になったんだけどねっ♡」
「どんだけ好き者なんだよ、おまえ」
「良いじゃない、こんな不細工の相手をしてたんだよ、ご褒美、ご褒美」
「・・・・・なんで・・・・・・こんな・・・・・・」
「お前が気に入らないんだよ」
「気に・・・・いらない?」
「ああそうだよ、目障りなんだよ、貧乏人が!」
颯太の主張は理不尽を通り越して、まるで被害妄想患者の物だった。
外見も実家の経済力も、そして学歴さえも、颯太の方が遥かに恵まれている。
ブランド物に身を包み、父親は地元の中堅クラスの会社の社長で、当然ながら
高い金を払って、そこそこの大学に籍を置いている。
現に、マンションで一人暮らしをしているし、安くはない高級車を乗り回して
いるのだ。
高校時代にしても、学業もスポーツも僅かだが颯太の方が勝っていた。
では何が気に入らなかったのか、
それは、錬が貧しかったから。
筆記道具は鉛筆と消しゴムだけ、それも大事に使いすぎて、今時見ないような
小さい物ばかり。
ノートは白い部分が無いほど書き込み、鞄などは自分の体よりも大事に扱った
他人には只の文具だが錬にとっては、かけがえのない宝物なのだ。
当然だが、今時の高校生なのに、携帯の一つも持っていない。
そして、そんな錬の境遇もクラス中が知っており、皆が皆錬の事を気に掛け、
事あるごとに手を貸そうと、差し伸べようとした。
「この参考書、俺はもう使わないからやるよ」
「放課後、茶道部に来なよ、お茶をたててあげる、お菓子もあるわ」
「カラオケに行こうぜ、奢るからさ」
だが颯太は、皆の関心を集める、そんな錬が疎ましかった。
自分がクラスの中心でないと、気が済まない。
だが、全てに恵まれていた颯太が錬を蔑ろにすれば、クラス中から非難される
危険が有った。
どんなに気に入らなくても、表向きは優しい級友を演じる必要がある。
ジレンマに嵌った颯太は理沙をけし掛け、陰で笑う事で溜飲を下げていたのだ
「そんな下らない理由で・・・・・・」
「うるさい!貧乏人は惨めにゴミ箱でも漁っていれば良いんだよ」
「・・・・・・・・・・友人だと思っていた」
「幻想だ、そんなもん」
「騙される間抜けが悪いのよ、ねえ颯太♡」
「ああ、滑稽だったぜ、道化師くん」
「・・・・・・・・許さない」
「ほう、ならどうする」
「それは・・・・・・・・・・・」
怒りに任せて言った物の、具体的な報復手段など全く思いつかない。
挑発されても、返す言葉さえ、持ち合わせていない自分が情けなかった。
「ほれ見ろ、お前に出来る事なんか、何にもねえよ」
「・・・・・・・くそっ」
「まあ精々一人で頑張りな、負け犬君」
「じゃあね~負け犬君、バイバイ~」
散々錬をなじった二人は満足したのか、そのまま夜の街に消えていった。
「・・・・・・・いつか、後悔させてやる」
だがこの後、錬に降りかかる災厄は、こんな生易し物では無かった。