第十八話 野良仙器 銀鼠 鈷月
「もう大丈夫でしょう、あと十日もすれば退院できますよ」
「有難うございます、先生」
「松葉杖は必要ですが、通院で大丈夫でしょう」
主治医から治療の経過と退院の時期を聞いた錬は心底安堵した。
未だに手足を満足に動かせない事と、まるでホテルのスイートルームの様な病室等
とても気が休まらない。
入院費は全て政府が負担すると琴音から聞いていたが、そもそも錬が政府を全面的
には信用していない。
今までの経験から、口約束など微塵も守る気が無い人間を山ほど見て来たからだ。
特に地位の高い連中ほど容赦がない。
「見積もりに入っていない?大丈夫、精算時に払うから」
「上には私が話を付けるから、ここの部分は豪華に、ね」
「今回だけだからサービスしてよ、今度必ず埋め合わせをするからさ」
しかし、いざ仕事が終わってしまえば、態度は一変する。
「追加の請求?聞いてませんよ、契約書も有りませんし」
「私は何の報告も受けていないが?君が勝手にそう思い込んだんだろう」
「いや、悪いねえ、担当が変わったんだよ、あしからず」
こんな調子で簡単に約束は反故にされ、酷い時には自腹を切らされた。
だからといって書面に起こせば、契約して貰えないのだから性質が悪い。
中には取引停止だと臆面も無く言い放つ者までいた。
「退院してから差額の請求書が来たりしないかな」
「ふふふ、大丈夫よ絶対にそんな事にはならないから、私が保障するわ」
「・・・・・・・本当に?」
「ええ勿論、逆に休業補償を請求してやったから安心してね」
「き、休業補償?」
「当然よ、再三の忠告を無視したんだからきっちり払わせるわ」
「でもそんなことしたら、秋月さんに迷惑が・・・・」
「錬の為だもの、気にしないで」
「えっ、あ、あの、色々してもらって、その、ありがとう」
「うふふ、良いのよ気にしないで」
琴音は練が目覚めてから、ほぼ毎日病室にやって来ては、甲斐甲斐しく世話を
焼いていた。
勿論仕事が有るので一日中とはいかないが、それでも多くの時間を割く事が出
来たのは、琴音が錬のサポート役の地位をもぎ取ったからだった。
かなり強引にだが、久我が沈黙していた事もあって琴音の要求が通った。
以降、一日の半分近くを練の傍で過ごしているのだ。
特に午後三時以降は、必ずだ。
「さあ、体を拭きましょうね」
「あ、あのう、やっぱり申し訳ないし自分でやりますから・・・」
「いいのいいの、私がしたいんだから気にしないで」
「でも・・・ちょっと恥ずかしいし・・・」
「ふふ、私は嬉しいの、錬の世話ができて」
「そ、そうですか・・・・」
事実、表面的には平静を装ってはいるが、琴音の心は狂喜乱舞していた。
鈍く無頓着な錬は気が付いていないが、男性に免疫の無い琴音にとって、上半
身とはいえ若い男の、それも狂おしいほど求め続けた錬の裸だ。
抱きつきたい衝動を抑え込むだけでも、多大な労力を要した。
(ああ、なんて綺麗な背中なの、それに良い臭い・・・・)
動物性タンパク質や添加物を殆んど取らない練の体にはシミ一つ無く、まるで
水生植物の様な淡く薄い体臭しかしない。
さしずめ、血の通った大理石像だ。
(あの胸に抱かれたい、抱きしめて貰いたい、ああ、狂ってしまいそう)
幼い頃から今に至るまで、生きるために動き続けてきた、働き続けてきた錬の
体は、細身ながらも強靭な力を内包しているのが一目で分かる程だ。
そして幸か不幸か錬の通っていた高校には水泳の授業が無く、祖母以外は青年
になった体を見た異性は居ない。
もし普通の青春を送っていれば、多くの女性の目に触れる事になり、幾ら錬の
容姿が十人並とはいえ放っておかれる事など無かっただろう。
「ふあぁ~」
「あら、眠くなったの?」
「うん、何だか・・・・すごく・・・・・眠い」
「今日は初めて窓を開けたから、目が疲れたのかしら」
「かも・・・・・・し・・・・・・・・」
「ふふふ、寝ちゃったわ、かわいい」
全身、それこそ目や耳にまでダメージを負った錬の病室は、昨日まで紫外線を
全て防ぐために分厚い遮光カーテンで止められていたが、症状の改善に伴って
今日は初めて窓を開けたのだ。
「ああ、ずっと見ていたいのに」
琴音はこれから錬の店に赴いて全面改装の確認をする仕事が残っていた。
錬の傍に居たいのは山々だが、優先されるべきはこちらだろう。
寝ている錬を起さない様に、照明を落とし静かに病室を後にした。
《さて、儂を認識出来るか、若造》
琴音が病室から出てから幾ばくも経たないうちに、死の淵から錬を引き戻した
存在が精神に接触してきた。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢か)
当然だが、そんな存在など見た事も聞いた事もない。
夢だと思うのが当然の反応だ。
《夢ではないわ、たわけ者が》
(・・・・・・・・・・そうか、幻聴か)
《夢でも幻聴でも無いわい》
(何かの企画なら間に合ってます)
《そんな訳あるか》
(催眠術には掛からない体質なんです、ごめんなさい)
《いい加減、諦めたらどうじゃ?》
(いやだいやだ、絶対に面倒な事になるんだ)
《何じゃ、察しが良いではないか》
(うああああああああああああん)
※
※
※
《落ち着いたかな》
(うう、何で俺ばっかり・・・・・)
《仕方なかろう、儂の声を聴く事が出来る存在などお前ぐらいじゃ》
(俺にそんな特殊能力なんて無い)
《特殊能力などでは無い、お前は穢れに染まっておらんのじゃ》
(穢れ?)
《お前、肉が食えんじゃろう》
幼い頃から野菜、それも山野草中心の物しか口にしていなかった錬は、仙籍の
入口に立っているらしい。
(それだけなら、他にも、例えば菜食主義者とか・・・・)
《主義主張などと言う欲が有る者が仙気など纏えるものか》
(でも、それなら、あ、いや、でも)
《そしてもう一つ、孤高であること、お前、基本孤独であろう》
(余計な御世話だ!好きで孤独だった訳じゃ無い!)
《怒るな、孤高で無欲で穢れの少ない人間なぞ、この国に幾人も居らん》
(じゃあ、そっちに行けよ)
《無理じゃな、皆よぼよぼの爺婆ばかりじゃ》
(むう・・・・・・)
しかし、ふと疑問に思った、こいつは何でそんな事を知っている?
自分は一体何と会話をしてるんだ?
余りに自然な日常会話風なので気づかなかったのだが・・・・。
(そもそも、お前は何者なんだ?)
《お前とは随分な言い草だな、命の恩人に対して》
(まあ、確かに死の縁に声を掛けて貰ったが・・・・)
《阿呆、その前からじゃ、分からんのか》
(????????)
《菓子器の呪詛を封じておったのは儂じゃ》
(あの銀色の根っこか!)
《根っことは失礼な奴め、我が名は”銀鼠 湖月” 古の盟約を守る仙器じゃ》




