第十六話 遭遇と瀕死と呪器 滝津 練
「何だこりゃ、意味がわからん・・・」
錬は手元にある落札した器を手に首をかしげた。
一山幾らで売られたガラクタの山の中でも、一番無価値に思える物だ。
丸い漆仕立ての大きな蓋もの、直径は八寸約24cm、小ぶりの菓子器で間違い無い
のだが、あちこち漆が剥げて木肌が見えている。
おまけに所どころ穴が開いて中が見えていていては、役に立たない。
「ほかは唯のガラクタ、やはりこいつが呪物本体だ、しかし異様だな」
蓋は木釘で留められ、更に銀色の金属が細い木の根か蔦の様に絡みついていた。
それも、まるで何者かが此の菓子器を鷲掴みにして押さえつけている様に見える。
美しさの欠片も無い。
器としても使えない。
歴史的価値も無い。
更に言えば、
「材質は・・・・錫か何かだが・・・・・」
木製の器に巻き付いている金属は、金でも銀でもない。
素材としての価値さえ無い。
だから一山いくらで売られたのだが、今回は非常に有り難かった。
もしこれを単品で出され、それを落札する羽目にでもなれば周りからの視線は非常
に鬱陶しい物になるのは間違いない。
(あいつの審美眼はどうなっているんだ?)
呪物など、物語の中でしか聞いた事の無い者にとって、錬の行動が理解できないの
は仕方がないにしても、能力までも疑問視されるのは我慢できない。
それでなくても、美術品の目利きが疑問視されているのだ。
(もしかすると、あいつ物凄いブス專じゃないのか?)
(そう言えば、キャバクラに誘っても来たためしが無いな)
今でもこのような的外れな陰口が横行しているのだ。
更なる燃料投下は避けたい。
「いまでで一番のガラクタだぞ、これ」
じっと見ていると、まるで心臓を取り巻く血管にも見えてきて嫌悪感が湧いてくる
「こんな物はとっとと処理してしまうに限る」
経験の浅い練には、この嫌悪感が呪物自体が発している事に気が付かなかった。
いつもの様に曼荼羅の中心に菓子器を置いて処理を始めた途端に、留められていた
筈の蓋が開き、呪詛本体が溢れ出したが、いつもの霧状では無く明らかに液状だ。
つまり下級などでは無く最低でも中級以上、下手をしたら上級にまで届くかも知れ
ない危険物だ。
とてもでは無いが、ここの設備で抑え切れない。
「これ・・・・は・・・・・・まず・・・・」
突然襲ってきた強烈な霊圧に練の心臓は異常な程圧迫され、耐えきれなかった体中
の血管が破裂、目や耳どころか全身の毛細血管からも出血し始めた。
「・・・・・・・・・・・・・ガハッ」
耐えきれず膝をつこうとした瞬間、大量の血を吐いた錬はその場に崩れ落ちた。
この時、血圧は300を超え、吐血で血液の三割を失った。
既に錬は黄泉の坂を転がり落ち始めていたのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
夢を見ていた。
暗い闇の中を深く、どこまでも深く深く落ちていった。
時折、赤くぼんやりとした光が練の横を通り過ぎて天に昇っていった。
(ああ、寒いなあ)
沈むほど、落ちるほど、体はどんどん冷たくなってゆくが、痛みも無ければ苦痛も
全く感じない。
ただ寒い、それだけだ。
このまま深い水底で眠りにつけたら、どれ程幸せだろうか。
苦痛に苛まれる事も、自己嫌悪に陥る事も、笑われる事も、蔑まれる事も無い。
このまま落ちて行けば永遠の安寧が手に入る。
誰に聞いた訳でも無いのに、魂の契約なのだろうか、錬はそれを知っていた。
(ああ・・・もうすぐだ・・・もうすぐたどりつける)
《愚か者めが!》
何処からか錬を叱責する声が聞こえてきた途端、体が沈まなくなった。
(じゃましないでくれるかな)
《たわけが、お前が向かっているのは黄泉の闇じゃ!》
(そうか・・・おれはしぬのか・・・・そうか・・・やっとか)
錬には生に対する執着心が無かった。
錬の過去は殆んどが惨めな闇ばかり、ただ単に自殺する勇気が無かったから今まで
生きて来ただけだ。
欲望の赴くまま自分を捨てた母親、腐肉を漁るハイエナの様な父親、片親だ放置子
だと蔑み忌避した子供達、厄介者の浮浪児と関わりさえ嫌った周囲の大人達。
空腹などと言う生易しい物では無い、飢餓という地獄に苛まれ続けた少年時代。
初めて出来たと錯覚した友人と恋人は悪意の塊で出来た幻だった。
唯一の心の支えだった祖父母は、下種なホテルマンのせいでもうこの世に居ない。
そして今、碌でもない契約を結んだ挙句に死にかけているのだ。
これ程の苦痛に満ちた人生、何処に救いがある?
生にしがみ付く理由が何処に有ると言うのか・・・。
(たのむから・・・ほおっておいて・・・くれないか)
《まだ言うか!》
(もう・・・つかれた・・・わかって・・・くれ)
《お前が死ねば悲しむ者も居ろう》
(はは・・・そんな・・・ひと・・・いない・・・よ)
《お前が知らぬだけじゃ》
(じょうだん・・・みたことも・・・・ない)
《ならその目で確かめてみよ!》
突然目の前に現れた水面が揺れると、病室らしき場所と、横たわる管だらけの自分
の姿がうつった。
だが、それよりなにより練が驚いたのは、意識のない自分の手を握って涙を流し続
ける秋月 琴音の姿だ。
(どうして・・・かのじょが・・・ないているんだ)
《知りたければ本人に聞け》
(きけといわれても・・・・)
《ゴチャゴチャ煩い男じゃのう》
(そんなこといわれても・・・)
《とっとと自分の居るべき場所へ戻れ!》
大声で叱責された練は激しい頭痛と共に急速に意識が覚醒した。
薄っすら目を開けた錬が見たのは、あの水面に映ったのと同じ琴音の涙だった。
「・・・・・・・・・あき・・・・づき・・・・・さ」
「練!」
「な・・・・ん・・・で・・・・・・・・ないて・・・・」
「あ”っ、あ”、あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”」
号泣などと生易しい物では無い、いわば慟哭だった。
(戻ってきた!戻ってきてくれた!ああ!ああ!練!練!ああ!)
座っていた椅子から滑り落ち、冷たい床に膝をついても尚、錬の手を握り溢れ出る
涙で役に立たなくなった視界ごと頬でその生を確認しながら、安堵と歓喜に打ち震
えた。
錬を永遠に失うかも知れない恐怖の闇の中、頼りなく揺れる淡く細い糸を握りしめ
て唯ひたすら祈り続けた。
戻って欲しいと。
その願いが今、叶ったのだ。
「練・・・・・・・・・」
「は・・・・・・・・・・い・・」
「ああ・・・・練・・・」
「・・・・・は・・・い」
「生きてる・・・・・」
「・・・・は・・い・・・・」
「戻ってきて・・・・くれた」
「・・・・・・・はい」
「ああ、錬、錬」
「はい・・・・はい!」
看護士が気付くまでの数十分間、この二人の会話は続いた。
一方的で歪な想いに、確かな絆が生まれたのは今この時だった。




