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第十二話 重い想い 秋月 琴音



残された錬は秋月 琴音に両手を掴まれたまま、未だに現実に戻れずにいた。


「練!しっかりして、練、練!」

「ひいっ、あういっ、いや、いやだっ、たすけて・・・」

「大丈夫だから!もう大丈夫だから・・・・」

「あ、うあ、あああああ」


優しい言葉が少しづつ鼓膜を越えて、錬の脳に足跡を残してゆく。


「安心して、奴らはもう居ないわ」

「あ、あ、あぁぁ・・・・・・・・」

「だから、ねっ、ゆっくりでいいの、私を、周りを見て、ほら」


眼球を覆っていた黒く冷たい表皮がポロポロと剥がれ落ちて行く。


「・・・・・・・・・・・うっ」

「わかる?私だけよ、他には誰も居ないの」

「たす・・・・・・かった・・・・・・の?」


今の今まで、練は心を閉ざし目と耳から入ってくる情報を拒絶する事で心の崩壊を

必死に防いでいた。

周りから見れば滑稽にさえ見えるだろうが、心に深く刻み込まれた恐怖心は一瞬で

練から行動と思考の自由を奪い去ってしまう。

頭では解っていても、心が付いて来ない、自分ではどうしようも無いのだ。


「そうよ、もうあの男は二度とあなたの前に現れないわ、安心していいのよ」

「でも、きっとまた・・・」

「いいえ、物理的に不可能だから」

「物理的に?」

「そう、物理的に」

「聞かない方が良いのかな?」

「ううん、練が望めば何時だって教えてあげるわ」

「取り敢えず、聞かない事にするよ、碌な事にならなさそうだ・・・」

「ふふふ、そう?でも、立ち直ったみたいじゃない?」

「あれ、うん、そう・・・・・・みたいだ」

「良かった、でもごめんね、遅くなって」

「いえ、あの・・・・それよりも・・・・・ですね」

「うん?何かしら?」

「・・・・・・・・・・誰?」

「・・・・・・・・・・・あらら、失礼」


練は琴音とは初対面なのだが、琴音は練の事を良く知っている。

空腹と虐待に地面を這いずり回った父親との幼少期も、祖父母に引き取られた幸せ

な数年も、そして今に至る悪意の塊の様な運命の巡り合わせも全て調べ尽くした。

知らないのは、練の肉体的特徴くらいだ。


(結ばれた時の感動は取っておきたいもの)


ハッキリ断言できる、秋月 琴音は練の立派な変態ストーカーだ。

それも、有り余る財力と権力と大学在学中に司法試験に合格する程の明晰な頭脳を

併せ持つ、恐らく世界最強で最悪のストーカーだ。


「私の名前は、秋月 琴音、貴方の直属の上司になるの、よろしくね」

「じゃあ、久我さんの」

「ええ、あの馬鹿で分からず屋の阿呆は確かに私の上司ね」

「あの馬鹿・・・・」

「練も丁寧に接する必要なんてないのよ、久我なんて」


練も心の中では、とうの昔に呼び捨てだが、それを口に出す勇気も気概も無い。

だから,それを平然と口にする琴音に共感すると同時に警戒した。

この女性は絶対自分より上位の存在だと、対応を誤れば破滅が待っていると。

実際は、練が怒鳴ろうが蔑もうが、下手をすれば手を上げようが、笑ってその全て

を嬉々として受け入れる変態だ。

練が本当に警戒しなくてはならないのは、睡眠中に琴音の襲撃を回避する事だ。


「そ、そうは言っても、上役ですから・・・・」

「そうね、でも、酷い扱いをされたら、必ず私に報告してね」

「は、はい・・・・・・」

「生まれた事を後悔させてやるから、ね」

「は、は、は・・・・・・・・・」


練は既にこの秋月 琴音と名乗る女と、知り合いになった事を後悔し始めていた。

しかし、助けて貰ったのも事実だ。

あの父親を遠ざけてくれたのだ、琴音を受け入れるべきだと、納得した。


「とにかく、有難うございました、これからも宜しくお願いします」


この決断が、練の私生活を激変させる事になる。

許可を貰えたと思った琴音は、行動の基準を全てを練に振り替えた。

優先するのは練ただ一人、今日も、明日も、明後日も、練の望むまま、練の事だけ

を考えて生活できる、いや、仕える事が出来る、その事に狂喜していた。


(朝は優しく起こしてぇ、歯磨き粉も付けてあげてぇ、顔を拭くタオルを渡すの、

 そして朝食は彼の為に厳選した最高の食材を使ってぇ、最高の料理を作ってぇ、

 玄関で行ってらっしゃいのキスをしてもらってぇ、部屋を綺麗に掃除して、ああ

 寝室は特に念入りにするわ、そして帰ってきた彼に聞くの、食事にする?お風呂

 にする?それとも、わ・た・し?って。

 これは定番よね、外せないイベントなのよね、そして、”まずはお前だ、琴音”な

 んて言われちゃったりなんかして、その場で押し倒されて、あ~んな事や、

 こ~んな事もされちゃってぇ・・・・えへ、えへ、うへへへへへ)


暴走した琴音の妄想が止まらない。

そんな碌でもない仮想を表情には一切出さずに微笑む様は、ある意味、特殊能力の

部類に入るだろう。

練に微塵も違和感を感じさせない、匠の技と言っても過言では無い。


「勿論よ!こちらこそヨロシクね!」

「はい」

「ああもう、話したい事が沢山あるのに、これから野暮用が一つあるのよ」

「仕事・・・・ですか?」

「その様な物よ、時間が無いの、もう行かなきゃ」

「が、頑張ってください・・・・・・」

「ええ、じゃあまたね、私の練」


そう言って、琴音は足早に練のアパートを後にした。


「わ、私の?どう言う意味なんだ?」


残され、困惑した練だが、琴音の野暮用とは、今まで足取りが掴めなかった、

もう一人の厄介者についてだった。



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