同じ注文
「唐揚げカツ丼お待ちどうさまでーす! ごゆっくりどうぞー……ん?」
昼下がりの定食屋。打ちっぱなしのコンクリートの床には油染みや足跡が薄く残っており、木目調の壁には色褪せた手書きのメニューが何枚も貼られている。
料理を客のもとへ置き、くるりと振り返ったバイトの青年は、厨房の奥にいる店長が腕を組み、眉間にしわを寄せていることに気づいた。
「あの、店長、どうかしました? 僕、何かやっちゃいました……?」
「……いや、あの客」
店長はバイトの顔をちらっと見ると、すぐにまた視線を客席の一角へ戻した。バイトもつられてそちらを見やる。
「あの客……? 唐揚げカツ丼のお客さんですか?」
「ああ。怪しいと思わないか?」
「はい? どこがですか?」
「あの男、毎日うちに来て、必ずあれを頼んでるんだよ」
「え、あー……そういえばそうですね」
「人を殺してるだろ」
「は!?」
「馬鹿、大声出すなっ」
「いや、ええ……?」
二人は黙り込み、件の席をじっと見つめた。そこでは中年の男が一人、黙々と唐揚げカツ丼を口に運んでいる。やや猫背で、目立った挙動もない。どう見ても普通の客だ。
そう思い、バイトは首を傾げたが、店長は低い声で話を続けた。
「いいか……? こんだけメニューがあるのに、唐揚げカツ丼しか頼まないんだぞ。どう考えても変だろ」
「いや、それは単純に好物なんじゃないですか? うちの味を気に入ってくれたんですよ、きっと」
「いーや、毎日食べるほどうまくない」
「いや、何言ってんですか。自分の料理でしょ」
「気持ち悪いな、あいつ」
「駄目ですって。お客さんですよ」
「警察呼んだほうがいいんじゃないか?」
「やめてくださいって。なんて通報するんですか。“毎日同じメニュー頼むから怪しい”って? 怒られますよ」
「おれの勘は当たるんだよ。刑事ならきっとわかってくれる」
「言うほど刑事って、勘を頼りにしてないと思いますけど」
「あ、さてはあいつ、取り調べのシミュレーションをしてるんだな。」
「今どき警察署でカツ丼なんて出さないでしょ。しかも、食べてるし。落ちてんじゃないですか」
「それに、あっ!」
「えっ」
店長が突然、声を上げた。バイトもびくりと体を強張らせる。男が立ち上がり、真っ直ぐ二人のほうへ歩いてきたのだ。
「あのー、すみません。さっきから、ちょっとお話が聞こえてて……」
「え、あの、申し訳ありませんでした……ほら、店長もちゃんと謝ってくださいよ」
「こ、こ、殺さないで!」
「いや、だから大丈夫でしょ」
「ああ、いいんですよ。ただ、誤解を解いておきたくて。殺人なんてしてませんから。ははは」
「ですよね、ほんとすみません。ははは……」
「じゃあ、どうして毎日同じメニューを頼むんだ……?」
「だから、それは別に普通でしょ。ねえ?」
「実は、覚えてもらいたかったんです。常連になりたくて」
「え……。へえー、理由はあったんですね。でもよかったじゃないですか、店長。いいお客さんで」
「常連客になって、サービスしてほしかったんです。『唐揚げ一個おまけにつけとくね』って。いや、二個!」
「ちょっと厚かましいですけど……」
「でも正直、味は微妙ですね。カツの衣がべちゃっとしてて」
「ちょっとサイコパスっぽいな……」
「肉の味はいいんですけどね。星をつけるなら、五つ中二つかな」
「点数までつけだした……あの、店長。いいんですか? 言わせておいて……」
「んー……唐揚げ三個おまけしよう! これからもよろしく! はははははは!」
「いいんだ……」
やがて、男が食事を終えて店を出ていくと、バイトはため息をつき、呆れたように店長に言った。
「もう、お客さんを殺人犯扱いするのはやめてくださいよ」
「ははは! 悪かった、悪かったよ。カツ丼食うか?」
「僕はいいですよ。まったく、店長の勘は当てにならないんだから」
「ははは……ん?」
「どうしたんですか?」
「いや、この冷蔵庫の肉……なんの肉だったかな。入れた覚えがないな……」
「普通に豚肉なんじゃないですか?」
「いや、んー、まあそうか……」
あやふやに頷きながら頭をぽりぽりと掻く店長。その様子を見て、バイトはぼそっと呟いた。
「店長の勘が鈍くて助かるなあ……」