第5話:ジョバンニになれますか?――演出家の真意と過去の亡霊
稽古三日目。
照明事故の騒動も収まり、稽古場にはまたいつもの緊張が戻っていた。
――だが、その緊張の向こうにあるのは、ただの演技ではない。
この舞台には、何かが“渦巻いて”いる。
私はそのことを、肌で感じていた。
この日の稽古では、ジョバンニとカンパネルラの“別れ”の場面を重点的に練習した。
「……僕は、もう一度君に会いたいよ、カンパネルラ……!」
私は叫んだ。喉が裂けそうなほどの声で。
だが、神林監督の表情は変わらない。
他の俳優が何をしても、小さく頷いたり指示を出したりするのに、私にだけは反応がない。
それは無視ではなかった。
“測られている”。――そう直感した。
稽古後、神林に呼び止められた。
「マリア。ちょっといいか」
人気のない照明室。そこに、彼はいた。
薄暗い室内に立ち、手に脚本を持ったまま、私を見下ろす。
「……聞きたいことがある」
「なんでしょう」
「お前、本当に“ジョバンニ”になれると思ってるか?」
唐突な質問だった。
だけど、その意図はすぐに分かった。
この物語の主人公・ジョバンニは、ただの“少年”じゃない。
彼は孤独で、貧しくて、誰にも理解されず、
それでも“誰かのため”に祈ることができる――そういう“強さ”を持った魂だ。
神林は、それを試している。
私は一呼吸置いて、答えた。
「……なれます。……なります。私が、ならなきゃ意味がないから」
神林の目が細くなる。
「なぜだ?」
「私には、信じていた人たちに裏切られた過去があります」
私は目を伏せずに言った。
「それでも、私は誰かの心に届く演技がしたい。“失われたもの”のために立ちたい。……それが、今の私の生きる理由です」
神林はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……俺の息子も、ジョバンニのような奴だった」
その言葉に、私は驚いた。
「……息子さん?」
「五年前。事故で死んだ。俳優志望だったが、現場で“枠を奪われた”って理由で、ある女優に潰された。……結果的に、命を落とした」
彼は、私を見た。
「俺がこの『銀河鉄道の夜』を何度も上演するのは、“あいつに託せなかった言葉”を、舞台の中に生かしてやりたいからだ」
重たい過去。演出家の“亡霊”。
「俺は、憎んでる。今も、あの女優を。そして、ああいう“人を潰してのし上がる奴ら”を」
その言葉は、私の胸に深く突き刺さった。
私もまた、そうして潰された一人だから。
神林は、最後に言った。
「この舞台は、俺にとって“弔い”だ。……だが、お前が本当に“本物のジョバンニ”になれるなら、俺は初めて……息子を手放せる気がする」
私は、静かに頷いた。
「私がやります。この命で――あなたの息子さんの魂ごと、舞台に乗せます」
「……なら、信じてみるか」
神林が初めて、微かに笑った。
それは、重く閉ざされた扉が、わずかに開いた瞬間だった。
私はこの舞台で、すべてを懸ける。
演技に。復讐に。そして、自分自身の救済に。
誰かの人生を壊してのし上がった人間たちに、
本物の“演技”で、罪の重さを突きつけてやる。
それが私の復讐。
そして、私が女優である理由。
幕は上がる。
そのとき、過去も未来もすべて――この舞台に捧げる覚悟だ。