第3話:監督に呼び出された夜――“本物の演技”に興味はあるか?
オーディションから数時間後。
私はまだ、その余韻に包まれていた。
演技を終えてからの空気――まるで一瞬、時間が止まったような感覚。
その中で、唯一動いていたのは、監督・神林圭吾の瞳だけだった。
そしてその日の夕方、所属事務所を通さず、一本の電話が入った。
「神林監督が、あなたに会いたいと。……今日の演技を見て、“直接話がしたい”そうです」
スタッフの声は、明らかにいつもと違っていた。
“ただの新人”に、個別で会いたいと言われるなど、異例中の異例。
場所は、都内某所の小劇場。
神林が育てた数々の俳優たちが稽古を積んできたという“原点の場所”だった。
午後八時。私は一人、その劇場を訪れた。
劇場と言っても、客席は三十もない。
舞台も木の床で、照明は天井の裸電球だけ。
でも、そこには確かに“演技の神様”が住んでいる気がした。
「来たか」
舞台の真ん中に、神林圭吾が立っていた。
黒のタートルネック。鋭い目。タバコの匂い。
「……驚きました。わざわざ個別に呼ばれるなんて」
私がそう言うと、神林はふっと笑った。
「俺はな、本物だけを撮りたい。だから見逃さないようにしてる。“本物”がオーディションに紛れてる可能性があるからな」
彼は私の方へ一歩、踏み込んできた。
「お前、“感情”を知ってるな。普通の女優は“表現”しかしないが……お前は“生きてた”」
――生きてた。
それは、私が海外の舞台で何度も言われた言葉。
演技を演技にしない。
そこに、魂があるかどうか。
「今度の舞台、『銀河鉄道の夜』。お前に“ジョバンニ”をやらせたい」
「えっ……?」
私は一瞬、耳を疑った。
『銀河鉄道の夜』。宮沢賢治の不朽の名作。
孤独な少年ジョバンニが、幻想の夜を旅する物語。
そのジョバンニ役に――私を?
「性別は関係ない。必要なのは、“孤独を演じられる者”だ」
神林の言葉は静かで、重かった。
「この舞台はテレビ放映もある。……だが、お前がこの舞台で“本物”を見せられたら、芸能界の空気は変わる」
私は、飲み込んだ。
「本物の演技に、興味はあるか?」
彼の目は試していた。だが、同時に求めてもいた。
私は答えた。
「あります。……私、もう二度と“あの頃”には戻りたくないんです」
「いい目だ。……演技は、そういう“闇”がないと光らん」
劇場のライトが、ゆっくり落ちる。
その中で、神林の声が響いた。
「ジョバンニのセリフ、覚えてるか?」
私は頷いた。
そして、静かに口を開いた。
「……カンパネルラ。僕たち、ほんとうに一緒に行けるのかい……?」
台詞が、劇場の空気を変える。
またあのときと同じ。世界が、静かになる。
私は思い出した。
――これが、私の居場所だ。
もう誰にも、奪わせたりしない。
暗がりの中で、神林はふっと笑った。
「面白くなってきたな」
舞台『銀河鉄道の夜』。
その開演が、私の本当の“復讐”の始まりになる。