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獣は夢をみる  作者: 夕露
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01.違和感

 


賑やかな教室のあとに向かうせいだろうか。いつも図書室に向かうまでの時間を静かに感じる。

廊下で通り過ぎる人が減っていけば、聞こえてくるのは窓の向こうで青春に輝く部活の声。前回、多めに借りた本は肩に食い込んで、足を重たくさせる。

それでも必ず週に1度は通ってしまうのは、図書室で過ごす居心地のいい時間のためだ。ページをめくる音、ときどき髪を揺らす風、本を動かす音。優しく穏やかに流れる時間は、家族みんなで過ごしていた時間を思いだせてくれる。



「寮があればな……」



そんな独り言が自然と漏れる。

もし校内に寮があれば、図書室と部屋の行き来がずっと楽になるだろう。あの静かな空間に毎日入り浸ることができたら、どれだけ幸せだろうか。想像するだけで、自然と頬が緩んだ。


静かな時間──静かすぎる時間。


違和感を覚えて、緋紗は廊下の窓に近づく。遠いグラウンドにはまだ部活をしている生徒がいた。今日も元気に走っていて、きっと、大きな声で号令を言っているはずだ。窓はあいていない。けれど、それでも普段は、聞こえていた。

鼻をつまんで耳抜きをする。

キュッと音が鳴って籠った感覚が消えたと思ったら、遠くのほうから声が聞こえてきた。



「耳鼻科行こっかな」



ときどき、音が聞こえにくくなるときがある。水中にいるような感覚で、そのときはいつも耳抜きをすればたいていもとに戻るが、こうも続けばどこか悪いのかもしれない。けれど以前なけなしのお金で病院にかかっても異常なしと言われただけだ。今回も無駄な出費になるかもしれないと思えば、耳に関する本でも借りたほうがいいかもしれない。

幸いなことに図書室は広く、勉強に役立つ本だけでなく漫画や小説まで幅広くそろっている。今日も図書室が閉まるまで居座ることにしよう。

そう思えば楽しみになってきて、足取りは軽くなっていく。鞄を背負いなおして曲がり角を進んで。



(誰かいる……)



人がいることは当たり前なのに、なぜか警戒してしまったのは、その人以外誰もいない広い廊下のなか、壁に半ばもたれかかるようにして歩いているせいだ。大きく息をしていて、壁におく手はそえるというものではない。調子が悪そうなのは明白だ。なんで。この先には図書室しかないはずなのに。なんで?



(……噂の狛斗くんがなにしてるんだろ)



銀色の髪が、日差しを浴びて煌めいていた。

亜紀が言っていたとおり、あれは「灰色」ではなく「銀色」と形容すべき髪色だ。見とれてしまいそうになる輝きをもっている。


(なんでだろう。初めて見る)


亜紀に狛斗くんの話を聞いた最初こそ分からなかったけど、イベントどころか日常でも騒がれていた人だから、私でも分かった。

その姿と今みる姿が、ところどころ違う。

大袈裟なほど心臓が脈打つ。


(関わらないほうがいい)


そう結論づけたのは、緋紗の直感だった。

十八年の人生だが、それなりに人付き合いの痛みや面倒を経験してきた。狛斗は最近、注目を集めている生徒で、少しでも接触すれば噂に巻き込まれることは想像に難くない。

かといって明らかに体調が悪そうな姿を見て放っておくのも後味が悪い。一番いいのは、ほかの誰かが狛斗を見つけて保健室へ連れて行ってくれることだ。

そう願っていた矢先、狛斗はゆっくりと、その場に崩れ落ちた。



「……うそでしょ」



緋紗は思わず声をだしてしまう。けれど狛斗は聞こえていないようだ。廊下に座り込んだだけでなく、床に倒れこんでしまった。

願いむなしく誰も通りかかりはしない──緋紗は鞄をおろすと、仕方なく歩み寄る。

この場合、あらゆる意味で駆け寄ったほうが正解だっただろう。

けれど緋紗は恐る恐る手を伸ばすしかできなかった。しゃがみこんで近くなった距離。声をかけようとしたが、苗字を知らない。名前を呼ぶのも憚られて伸ばした手は、銀色の髪に触れ、黒い瞳が、緋紗を映す。



「誰だ、アンタ」



意外にもはっきりした声だった。呼吸は荒いが、狛斗は緋紗の顔を正確に見上げていた。

気を失っていたらよかったと思うのは薄情だろうか。けれどもしそうだったら先生を呼んで来るだけで話は終わっただろう。

けれど起きているのだから仕方がない。緋紗は黒い瞳をまっすぐ見返して応える。



「先生呼んでくるから」



声をかけた瞬間、狛斗が手を伸ばし、緋紗の腕を掴む。



「駄目、だっ……呼ぶなっ」

「……はい分かりました、じゃあ。なんて言うと思う?」



皮肉混じりに返しつつ、立ち上がろうとした緋紗の腕をさらに強く掴んだ狛斗。苦しげに息を吐きながらも、その視線は真剣だった。


(なんで?)


必死な姿に疑問を覚えたところで、視界におかしな光景が映る。違和感に視線を映した瞬間、彼の腹部に添えられた手が目に入る。

──血まみれだった。



「え……」



白いシャツをじわりと染めていく赤色は狛斗のものだろう。血。突然のことに、パニックになってしまう。思わず辺りを見渡したが、誰もいない。


(誰かにやられた?事故?通り魔?)


少なくとも血を流しているということは、そうした誰かがいるはずだ。大きな声をだしたら犯人に見つかるかもしれない。

何度も通ってきた廊下に、いるかもしれない。



「だ、誰かに襲われたの?」

「今は、もう、いない」

「いないって……とりあえず手当」

「触るな!」



鞄の中から取り出したハンカチを見るや、狛斗はハンカチを持っていた手を振り払った。その反動で痛みが生じたのか、腹をおさえて歯を食いしばっている。その姿に心配よりも苛立ちが勝って、声をかけたことを後悔してしまう。



「さっき言ったよね。“じゃあ”で終われると思う?それで?なんで断言してるのか知らないけどさ、アンタをそうした危ない奴っていないのは本当?」

「……そう、だ」

「信じるよ?じゃあ、次。ほおっておいてほしいんだったら、そんなていたらく見せないでくれません?見ちゃったら変な罪悪感持っちゃうのはこっちなんだよね。どうでもいいだろうけど私もアンタのことどうでもいいんで、さっさと終わらせよっか」



できる限り、本心を言っているのだと伝わるように笑顔を浮かべる。

狛斗は床に倒れこんでお腹をおさえたまま、ゆっくりと頷いた。



「私はさっさと先生呼んで終わらせたいんだけど、嫌なんですよね?はい分かりました。それで?私にできることある?ないならもう、いいや。見なかったことにする」



きっと夢見るぐらい嫌な光景になってしまったが、それはもうどうしようもないから、考えてもしょうがない。今できることは、ゆっくりと頷いてから考え込むように黙った狛斗を眺めることぐらいだ。

苦し気な表情も、いい男だとさまになってしまうものらしい。亜紀がいいオジサマ認定するのもうなずける。

噂の狛斗くんと廊下で会って話をしたといったら亜紀はどんな顔をするだろう。腹から血をだして廊下に倒れていたなんて言った日には、詰め寄ってくるに違いない。


場違いなことを考えているあいだに、狛斗は気持ちを固めたようだ。


ふせていた視線を起こして緋紗を見た狛斗は、なにか言おうとして口を動かしたが、肝心の音が聞こえなかった。掠れた息のような音が聞こえるだけだ。

ゾッとする。もしかしたら思っていたよりも重症なのかもしれない。このまま失血死してしまうようなことがあったら、この場所に居合わせた緋紗はどう思われるだろうか。そもそも、だ。普通なら、見なかったことにするなんて、言うだろうか。

体を起こそうとする狛斗に気がついて緋紗は慌てて支える。今度は振り払われることはなかった。壁にもたれかかる狛斗はそれだけでも重労働だったように息が荒い。その姿を見て、ふと、壁に体を預けてでも進もうとしていた狛斗の姿を思い出した。



「もしかして図書室に行きたいの? 座りたい?」



この状態で図書室に行きたがる理由が分からず矢継ぎ早に質問をしてしまうが、正解だったらしい。狛斗は頷くと

震える手で目的地を指さす。



「……図書室の隣?」

「その、隣……準備室だ」

「準備室?なんで……ああそうだ、先生とか図書委員がいるかもね……?まあいいや、行くよ。ほら、肩に手を回して」



腹をおさえる赤い手とは逆のほうに回って壁の代わりになる。身長差のせいで歩きにくいうえ、圧し掛かってくる重さに一歩進むだけで体力を使う。熱い身体は異常なほどで、どう考えても、おかしいことだらけだ。先生たちに助けを求めるつもりなら、最初からそれですんだ話だ。

苦しそうな呼吸。うまく歩けないせいで痛むだろう傷に呻く声。五月蠅いノイズがすぐ近くで聞こえて、ぐるぐる、おかしくなってくる。


おかしなことばかりだ。

準備室の前に到着したときには汗だくになっていた。もしかして狛斗は図書委員なのだろうか。通り過ぎるだけで準備室だったということもしらない扉に、狛斗は迷いなく手を伸ばした。鍵もしていない場所だったらしい。

準備室の中は狭く、整頓されているとは言えない空間だった。書類や本が乱雑に積まれ、埃っぽい匂いが漂っている。そしてやはり、先生も図書委員もいやしない。



「……あそこ、頼む」



狛斗が指さしたのは、何も置かれていない壁だ。椅子もあるのに、また床に座り込みたいらしい。ここまでくるともうどうにでもなれという気持ちになってくる。



「はいはい、分かった」



がたいのいい男は並んで扉に入るだけでも邪魔になるらしい。2人並んでは入れないから先に準備室に入って、進路を邪魔する物をどけていく。念のため椅子を壁側においておけば、様子を見ていた狛斗と目が合う。驚いた顔と血だらけの腹がミスマッチで、緋紗は思わず自分の体を確認した。血はついていない。ホッとしてまた狛斗の杖になろうと近づけば、緋紗の行動をずっと目で追うだけだった狛斗が初めて表情を変えた。



「ありがとう……」



小さな声だったが、確かに感謝の意が込められていた。保身ゆえの行動で感謝されたいわけではなかったが、妙な気分になる。眉をさげた困惑した表情でなければ、素直に受け取れていただろうに。

けれどこれでようやく終わりだ。

狛斗は結局、用意した椅子にも座らなかったが、もうそれでいいだろう。

よろめきながら壁に手を伸ばす狛斗を見て、緋紗は汗を拭う。帰ろう。床に赤い点を見た気がしたが、気のせいだ。



「開け」



気のせいだ。

突然、なんの前触れもなく、壁がスッと消えた。

そして現れたのは、真っ暗な空間。暗い場所。ああ、これはるで。



「……中に入れてくれるか?あそこなら、寝てたら治るんだ」



──なんでやねん。

突っ込みたくなる言葉を飲み込んで、緋紗は呆然とその空間を眺める。

暗い、暗い空間。

まるで夜のような、不思議な空間。




「その世界に連れていかれたら、もう戻れないのよ」




母の声が、聞こえた気がした。






 

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