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獣は夢をみる  作者: 夕露
1/5

プロローグ

 



「夜は気をつけなさい。目を閉じたまま歩いたら、違う世界に連れていかれるわよ」



幼い頃、母はよくそんな話をしていた。お風呂上がりの髪を拭いてくれるときや、布団をかぶせてくれるとき、友達と遊んで帰りが遅くなった日にもだ。危ない人には気をつけなさいという話にしては、あまりにも自然な語り口だったため、童話のように聞こえた。



「その世界に連れていかれたら、もう戻れないのよ」



その話はいつもどこか曖昧だった。

何故戻れないのか、どんな世界なのか、怖い場所なのか、なにを聞いても母はふいに笑って話をそらす。そして「もう遅い時間だからね」と言って部屋の電気を消すのだ。

子どもながらに抱いた奇妙な違和感は、高校生になっても、消えなかった。母はなにかを隠していた。

記憶の中の母は、心配そうに、けれど微笑んでいる。



「でも、緋紗は大丈夫──」



最近、あのときの話をよく思い出すのは、将来のことを考えて不安を覚えているせいだろうか。

目覚まし時計が鳴るよりも早く起きた緋紗は、ぼおっとした表情で体を起こす。

最近就任した職員は時間に厳しい人だ。朝食の時間にすこしでも遅れてしまえば、最悪、朝食を抜かされる。それを思えば二度寝はやめたほうが賢明だろう。



「ねむ……」



欠伸をしながら制服に着替える。

時計の音が聞こえる静かな時間。制服に袖を通しながら、耐えられないとでもいうように緋紗は小さく息を吐いた。


あともう少し。

あともう少しでこの施設から出て、生きていける。……生きていけるんだ。



「楽しみなはずなのにな」



高校卒業後の就職先は決まった。卒業もできる。

それなのに不安はなぜか強くなっていた。



「私は、大丈夫」



母は笑っている。

緋紗は鏡に映る自分の顔を見て、嗤った。











「緋紗、彼氏作らないの?」



亜紀の軽やかな声が教室の中に響く。春の陽射しが差し込む教室にふさわしい表情だ。前の席に座る亜紀は、緋紗の机に身をのりだしている。髪を指にくるくると巻きながら、にこにこと笑っている。



「またその話?」



緋紗はため息混じりに返す。何度も繰り返されてきた会話だった。にもかかわらず亜紀はいつもお決まりの調子でお決まり文句をいう。

そしてそれに返す緋紗の言葉も、決まっている。



「あー、いないからね」

「つまんなーい!」



笑い混じりのやり取りのなか、ふと亜紀の声の奥に微かな焦りを感じた。

またか、と思う。

高校生活の終わりが現実味を帯びるにつれて、亜紀とのあいだに見えない線が引かれていくような気がしていた。その線を、亜紀ははっきりと認識しているようだった。

亜紀は進学希望者だ。

お決まりのやりとりが始まったのは、たしか就職先が決まったころだった。「誰か紹介しようか」と言われたときは、思わず苦笑した。

卒業しても関係が切れないように、亜紀なりにいろいろ考えているのかもしれない。



「緋紗って綺麗なんだからその顔は活かさないと!ほら、働きだしたらそんな余裕ないかもでしょ?高校生のうちにっていうか、いまのうちにさ……って、まーたそんな顔で私を見るんだからあ」



ああコイツ頭がお花畑だなあ。そう思う気持ちが表情にまで現れていたようだ。

反論しない緋紗に亜紀は何度も文句をこぼすが、緋紗は気にもとめずに肩をすくめてみせる。お決まりの言葉を言えば、亜紀が黙って席につくのが分かっているからだ。



「面倒」

「まーたそれ?」

「多分卒業するまでこの会話はループするだろうね」

「ああー!もう!」

「はいはい」



奇声を上げて非難する亜紀を、緋紗は適当にあしらいながら次の授業の準備を始める。

次の授業を担当する先生はやる気のない先生で、居眠りを気にしない人だ。今日は夢見も悪かったうえ、窓際の隅の席は陽が差し込んで最高の寝床となれば、することはひとつだ。



「……緋紗、寝る気満々でしょ」

「んー? 私真面目だし、そんなことする訳ないじゃん」

「はいはい、今度、男紹介するから」

「はいはい。今度、私の女友達を紹介するよ」

「また逃げる気だ」

「チャイム鳴ったよ。席戻らないと」



緋紗は微笑みながら「バイバイ」と手を振る。亜紀は口を尖らせて不満を訴えたあと、「次は逃がさない」と不穏な捨て台詞を吐いてようやく自分の席に戻っていった。

今日は前の席の人が休みで助かった。あのまま会話が続いたら、気まずい思いをする羽目になっていたに違いない。

そう思うのに、席に座った亜紀がウィンクをしてきたのを見てしまうと、笑ってしまう。


先生が来て、授業が始まる。

緋紗は教科書とノートを開くと、腕枕に頭をのせて特等席からの眺めを堪能した。



「──もう!今日の授業中、ほとんど寝てたでしょ!!」

「そんな私を見てる亜紀もどうよ」

「ああ言えばこう言うんだからー。だから彼氏ができないのかもよ?」

「それは上々」

「ああ!ここは『なによそれー!』って怒るところでしょ!怒ってよ!」

「そういう趣味は特にないんだけど……」

「どんな趣味!?って、怒られたいわけじゃ、そうだけど……って違う!離れないでえ!!」

「うわ、怖」



慌てた亜紀がプロレスのような勢いで緋紗にタックルする。緋紗の腰に回された手は、どれだけ力を入れてもびくともしない。

そういやこいつ、握力測定で30とか出してたっけ。

緋紗は亜紀を引き剥がすのを早々に諦めた。へたにはぐらかすよりは、満足するまで話を聞くほうがいいだろう。

終礼も終わって、バイトのない今日は、寄りたいところがある。



「あー、なんでそんなに私に彼氏作ってほしいとか言うんですかー」

「だって……ぜんっぜん相手が想像できないし、緋紗の照れる顔とか見てみたいし」

「ははは、黙ろうか」



この気持ちが伝わればいいなと思いながら、緋紗はわざと不自然なほどにっこり笑って亜紀を見下ろす。だが、亜紀はそれくらいでは挫けない。



「やーん!緋紗の笑顔、久しぶりに見たあ」

「駄目だこいつ」

「でもさ、本っ当に、なんで彼氏作らないの?」



亜紀の懲りない質問に疲れを覚えるのは、いつだって緋紗だ。

クラスメイトも同じ話を聞いているはずなのに、「またか」ではなく「しょうがないな」と好意的に受け止められるのは、亜紀がマスコットのように可愛がられているからだろう。

訳隔てなく接する人柄、可愛らしい容姿、なにをしでかすかわからない天然さは、見ていて飽きない。

クラスメイトも「しょうがないなあ」と微笑む。その波に乗って、緋紗もつい微笑んでしまう。



「必要性ある?」

「ひ、必要性か」



緋紗が放った一言は、亜紀だけでなく、クラスメイト(主に男子)も黙らせた。

一部の女子からは「おお」「流石」と称賛の声があがる。


「好きな人ができて、それで付き合うっていう流れは分かるけど、わざわざ作るっていうのは分からない」

「ま、まあそうかもだけどー。でもさ!狛斗はくとくんとかカッコよくない!?」

「え、誰?」

「絶対将来いいオジサマになるって!狛斗くんが40代だったら私の守備範囲なのになあ」



亜紀は恋愛対象は40歳からだと堂々と宣言している。

教職員が聞き流したい発言のひとつだが、それも亜紀が受け入れられる理由だろう。

果たして高校生で「いいオジサマ認定」された狛斗くんは幸せなのか不幸なのか。



「てか狛斗って誰?」

「……っ! え? ほら、白いメッシュ入ってる銀髪の子!」

「銀髪? 白メッシュ?校則ゆるいとは思ってたけど、そこまでいくとすごいね。銀っていうか灰色じゃない?」

「銀色だってば!」

「で、メッシュ入りと」

「そー!名前もカッコいいでしょ!こう書くんだよ!」



キラキラ素材でデコられた携帯を取り出し、亜紀はご丁寧に漢字まで教えてくれる。

狛斗。

聞き覚えのある言葉だ。体育祭などのイベントでよく黄色い声で聞こえて──そうだ、見たことがある。同学年でよく噂される煌びやかな集団の1人だ。確かほかにも2人はいたはずだ。



「狛斗くん知らないならぜんくんも知らない?那智なちくんは?」

「おお、全員そろった」

「え?」

「ううん、こっちの話」

「もー!また真剣に聞いてないんだから……もう、知らないよ?」



拗ねたような口ぶりが、今日はどこか違うように聞こえて、亜紀を見る。

それは正解だった。いつもなら口を尖らせて拗ねていた亜紀が、なぜか私を見て大人びた表情で微笑んでいる。



「亜紀?」

「緋紗は事なかれ主義だもんね」



雰囲気の違う亜紀に戸惑って声をかけると、見間違いだったのかと思うぐらいいつもの表情に戻って、チクリと刺してきた。



「……まあね。それじゃ、私、図書室に行くね」

「うん!いってらっしゃい!」



突然の切り返しでも、亜紀はいつもどおり見送ってくれる。

以前、図書室に行く私を妨害する亜紀に耐えかねて怒ったことを覚えているせいだろう。そのはずだ。



「楽しんで!」



違和感にふたをして、重たい鞄を持つ。








 

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