学校の人魂と夏休み
「うわああああ!喋る人魂だ!」
暑い夏休みのある日。
古い木造の校舎に、数人の男女生徒たちの悲鳴がこだました。
生徒たちが人魂を見つけたのは、
学校のあるうわさについて調査していた時だった。
その生徒たちが通う学校は、古い木造の校舎で、
怪談だの幽霊だののうわさなどが絶えない。
大抵の話は、昔から伝わる古いものなのだが、
その中で一つだけ、最近になって話題なったうわさがあった。
学校の校舎の一階にある小さな資料室。
誰もいないはずのその部屋で、しくしくと泣く声が聞こえてくるという。
怪談好きの数人の男女生徒たちは、
早速、そのうわさの真偽を確かめるべく、
夏休み中の学校に忍び込んだのだった。
忍び込む、とは言ったものの、
別に窓から隠れて学校の校舎に忍び込んだわけではない。
全員が制服を着て、堂々と正門から入り、用務員の許可も得た。
夏休み中の校内でスケッチがしたい、とか、
飼育小屋にいる動物たちの世話がしたい、とか、
普段お世話になっている校舎の掃除に来ました、とか、
生徒たちは適当な理由を付けて、用務員を言いくるめたのだった。
「入っていいのは、鍵の掛かってない教室だけだよ。」
「はーい。」
「わかりました。」
上手く学校の校舎に入り込んだ生徒たちは、
早速、件の小さな資料室を訪れた。
そこは通常の教室の半分程度の小さな部屋で、
最近の学校内の記録などが書かれた書類などが収められていた。
「ここが、泣き声の聞こえる資料室で間違いないか?」
「資料室は他にもあるけど、そっちは普段は鍵が掛かっていて入れないから、
この教室で間違いないよ。」
「泣き声かぁ・・・。」
生徒たちは誰からともなく言葉少なくなり、耳を澄ませてみた。
すると、どこか近いところからボソボソと人の声のような音が聞こえてきた。
誰かと誰かが話しているような音。
それからしばらくすると、しくしくと泣くような声が聞こえてきた。
うわさの通りの泣き声が聞こえて、生徒たちは色めき立った。
「今の、聞こえた?」
「ああ!人の泣き声だ。」
「資料室の泣き声が聞こえるってうわさは、本当だったんだ!」
だが生徒の一人が、冷静な声でたしなめた。
「うん、そうだけどさ。
なんかこれ、イメージと違うと思わない?」
「どういうこと?」
「幽霊の声とかっていうよりも、実際に誰かが喋ってるというか。
隣の部屋から聞こえてくる声じゃない?」
言われてみればその通り。
聞こえてくる泣き声には、人が会話する声が混ざり、
少なくとも一人でいるわけではないようだ。
幽霊が集まって泣いているのだろうか。
そこで生徒たちは、こっそりと廊下に出て隣の教室の様子を探ってみた。
片側の教室には今は誰もいないのでいいとして、問題はもう片側の隣の教室。
教室の扉の窓から中をこっそり覗く。
すると、二人の人影が座っているのが確認できた。
一人は先生と思われる大人で、こちらに顔を向けて座っている。
もう一人は制服を着た女子生徒。
こちらは背を向けるように座っていて顔は確認できないが、
背中を震わせてハンカチで顔を拭いている様子が確認できた。
やがて二人は話を終えたようで、教室から出ていった。
慌てて生徒たちは身を隠して、その後ろ姿を見送った。
生徒指導室。
二人がいた隣の部屋には、そう書かれていた。
その情報だけで、うわさの泣き声の正体を知るには十分だった。
生徒たちは資料室に戻って、わいわいと話し始めた。
「今の見たか?」
「見た。この資料室の隣は、生徒指導室だったんだね。」
「そう。そこで相談している生徒の泣き声が、
この隣の資料室に聞こえてきてたんだ!」
「幽霊じゃなかったんだね。」
「でも、どうしてこの教室だけ、
泣き声が聞こえるってうわさになったんだろう?
先生に叱られたり、生徒が泣いているのは、他にもありそうだけど。」
すると生徒の一人が得意げに答えた。
「そこはそれ、生徒指導室ということが関係しているだろうね。
生徒指導室といえば通常、愉快ではない話をするところだから。
それともう一つ、泣き声が聞こえるうわさには理由があるんだ。」
「この資料室だけが特別な理由?何だろう。」
「それはね、この教室の大きさと壁を見ればわかる。」
生徒はコンコンと壁を叩いてみせた。
小さな資料室も校舎の他と同じく古い木造だが、
その片側、生徒指導室の側の壁は、叩くと軽く薄っぺらい音がした。
「この資料室と隣の生徒指導室はね、元々は一つの教室だったんだろう。
それを後から壁で仕切って、資料室と生徒指導室にしたんだ。
後から作った壁は薄いから、隣の教室の声が聞こえやすいってわけ。」
「なるほどねぇ。そういえばこの資料室、普通の教室より狭いものね。」
生徒たちは、泣き声が聞こえる資料室のうわさの真相を解明して、
うんうんとお互いに頷き合った。
謎が解けて、皆が満足していた、その時。
「しくしくしく・・・。」
すすり泣くような声が聞こえてきた。
「・・・ねえ、なにか聞こえない?」
「ああ、泣き声が聞こえる。」
「また隣の生徒指導室の声か?」
「いや、そんなはずはないよ。
さっき先生たちは出ていったから、今は無人のはずだ。」
「じゃあ、この声って・・・?」
すると、資料室の奥の暗がりに、ポゥっと青白い炎が灯った。
「しくしくしく・・・、誰か私の話を聞いて下さい。」
生徒たちは青白い炎を見て凍りつき、やがて悲鳴とともに解凍された。
「うわああああ!喋る人魂だ!」
誰もいないはずの学校の資料室。
そこで聞こえる泣き声のうわさの真相を知った生徒たち。
一件落着のはずだったのに。
聞こえるはずのない泣き声の先には、青白い人魂が浮いていた。
「人魂だあ!」
「逃げろ!」
「待ってください!私の話を聞いて下さい!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う生徒たち。
それを静止したのは、当の人魂だった。
生徒たちは我先にと教室の扉に駆け寄り、しかし人魂の声に後ろ髪を引かれた。
「待ってください!私はあなたたちに危害を加えるつもりはありません!」
「・・・本当に?」
「本当です!」
生徒たちはいくらかの冷静さを取り戻し、人魂に向き直った。
「それじゃあ聞くけど、お前は幽霊なのか?」
「・・・わかりません。」
「いつからここにいるの?」
「わかりません。気が付いたら、ここにいました。」
「体はどうしたの?」
「それもわかりません。意識だけがここにあります。
動くことは・・・できるようです。」
青白い人魂が、ふわりふわりと辺りを舞ってみせた。
「なるほど。本物の人魂みたいだ。
それで、僕たちに何の要求があるんだ?」
「私は、自分が何者なのか、どうしてこんな姿になったのか、
未練でもあったのか、何もわかりません。
だから、あなたたちに、私が何者なのかを調べて欲しい。
そして、わたしの未練を晴らして欲しいのです。」
人魂に顔はないけれど、その声色には懸命さがあった。
生徒たちは顔を見合わせた。
「人魂なんて実感がわかないけど、こうはっきりと見せられちゃあな。」
「元々、泣き声の正体を調べに来たわけだけど、
この人魂が泣き声の正体だった可能性もあるか。」
「だったら、成仏させてあげるのが、うわさの本当の解決になるかもね。」
「調査中のうわさを未解決で放って置くのも気分がよくないね。」
「よし、じゃあみんな異論はないな?
僕たち、人魂のために協力してあげよう。」
「本当ですか!ありがとう!」
こうして、生徒たちと人魂の、長くも短い夏休みが始まった。
人魂が何者なのか、人魂となった未練は何なのか。
生徒たちの調査の日々が始まった。
夏休みの間、生徒たちは都合がつく限り学校に通った。
そして資料室の人魂と会って話をした。
人魂が何者なのか。人魂となった未練は何か。
しかし人魂自身は、それをほとんど覚えていないようだった。
「すみません、お役に立てなくて。
私が何者なのか、写真でも見せてもらえばわかると思うのですが・・・。
未練があるとすれば、それが晴らされたらわかるでしょう。」
「いずれにせよ、僕たちが足で調べるしかないみたいだね。」
「お手数をおかけします。」
そうして生徒たちは、人魂のために、学校について調べることにした。
人魂が学校に出た以上、学校と関係があると考えられたからだ。
ちょうど、人魂が現れたのは資料室だったのも都合がよかった。
過去の卒業アルバムを人魂に見せて調べてみる。
「あなたはこの生徒?」
「う~ん、違いますね。これは私ではありません。」
「じゃあこっちは?」
「これも違うようです。」
資料室には過去、五、六年分の卒業アルバムが収められていた。
それに写っている生徒の顔写真を人魂に見せていく。
しかし誰も心当たりがある生徒は見当たらなかった。
生徒たちは腕組みをする。
「う~ん、これ以上古い卒業アルバムとなると、
ここじゃない大きい資料室に行かないと見られないなぁ。」
「あそこは鍵が掛かってるから、僕たちじゃ入れないよ。」
困る生徒たちに、人魂がおずおずと切り出した。
「お手数をおかけして、すみません。
でも、古い卒業アルバムを探しに行く必要はないと思います。」
「と、いうと?」
「おぼろげですが、ここにある卒業アルバムに、私が写ってると感じます。」
「そっか。じゃあ、もっと細かく見ていこう。」
そうして生徒たちと人魂の調査は続いた。
夏休み中の学校は人が少なくて、
だから時には生徒たちは人魂と遊んだりもした。
隠れん坊をしたり追いかけっこをしたり。
「あはは、こっちこっち!」
「人魂くん、そこに隠れてるでしょ。光ってるから丸見えだよ。」
「それはずるいですよ~。」
人魂の正体が大人なのか子供なのかはわからない。
しかし、生徒たちと一緒に遊ぶ人魂は、心から楽しそうにしていた。
楽しい日々は長くは続かない。
夏休みももうすぐ終わろうとしていた。
生徒たちは相変わらず学校に通い詰めていたが、
人魂の正体も未練もわからないままだった。
ある日の夕刻。
急な夕立に遭った生徒たちは、追いかけっこを止め、
校舎の中に避難した。
雨漏りする天井を見上げながら、土砂降りの雨を見ていた。
「急に降ってきたね。」
「人魂くんが雨で消えてしまわなくてよかった。」
「それは大丈夫です。
私、屋根のあるところから出られませんから。」
「あれ?そうだったのか?」
「はい、そうみたいです。私も最近、気が付いたんですが。」
「屋根のあるところから、出られない、か・・・、待てよ。」
何かに気が付いた生徒の一人が、手近な卒業アルバムに手を伸ばした。
パラパラとページをめくって、人魂に見せる。
「人魂くん、この写真に写ってないかい?」
その生徒が見せたのは、ある年度の集合写真だった。
学校の校庭らしき場所で、校舎を背景に先生と生徒が全員揃って写っている。
その写真をじっと見つめて、人魂は答えた。
「言われてみれば、この写真に私が写ってるように感じます。」
「じゃあ、人魂くんはこの学年の生徒ってこと?」
「いや、そう決めつけるのはまだ早いよ。
今度はこっちの写真を見てくれないかい?」
生徒が開いて見せたのは、別の卒業アルバムの別の年度の集合写真だった。
先程の集合写真と同じく、校庭で撮られた写真のようだ。
人魂はじっと写真を見つめて、ふるふると体を震わせた。
「あっ、はい。この写真にも、私が写っているのを感じます。」
矛盾する人魂の答えに、生徒たちは当惑した。
「それっておかしくない?
この写真とさっきの写真は、別々の年度の卒業アルバムだよ。
同じ生徒がいるわけがない。」
「すると人魂くんは、落第した生徒ってこと?」
「いや、そうじゃないと思う。」
「わかった!先生か!」
「いや、それも違う。先生は別の人だから。」
「じゃあ、この中の誰が人魂くんなの?」
どうやら気が付いたらしい生徒が、改まって言った。
「みんな、そもそも考えてみて。
普通、人魂って、亡くなった人がなるものじゃない?」
「まあ、それはそうかも。」
「でも、ここにある卒業アルバムは最近のものばかり。
誰かが亡くなっている様子はない。」
「そんなことがあれば、先生が教えてくれるものね。」
「人魂は亡くなった人がなるもの。
ここには亡くなった人は写っていない。
でも、人魂くんはここの複数の写真に写っている。」
「そういうことだね。
だから、考えられることはもう一つ。
人魂くんは人じゃない。物に宿った魂が人魂になったんだ。」
「物?」
「卒業アルバムに複数写っている物。
しかも古い物といえば・・・!」
生徒たちの視線が人魂に集中する。
人魂はゆらゆらとゆっくり身を燃やし、そして静かに語った。
「・・・ありがとう。
あなたたちのおかげで、私は自分が何者なのか、わかりました。
私はこの学校の校舎、建物自体に宿った魂だったのですね。」
「やっぱりそうだったか。
人魂くんが何者なのかわかってよかった。」
「記憶はどう?何か覚えてる?」
すると人魂は、ふるふると炎を揺らせて思案して答えた。
「そうですね、考えてみると、思い当たることはあります。
私は長い間、たくさんの生徒たちがこの学校で過ごすのを見てきました。
生徒たちは皆、数年で卒業してしまいます。
そうでなくとも、私は学校そのもの。
生徒たちと語らうこともできません。
それが私は悲しかった。
私も誰かと一緒にお喋りをするような、学校の生徒になりたかった。
そう思った時、私はあの資料室にいました。
しくしくと泣いている私の目の前に、あなたたちが現れました。
私は嬉しかった。
どんな姿であれ、この学校の生徒たちに、私を認識してもらえたのだから。
だから私は、あなたたちを呼び止めました。
あなたたちに、私の友達になってもらえるように。
その未練は、晴らされていたようです。」
人魂は言葉を区切った。
蘇った記憶に心を馳せているようだった。
真相を知らされた生徒たちは、言葉がなかった。
人魂などという非現実的な存在にも理由があった。
理由がもたらす結果を、生徒たちは予感していた。
「人魂くんはどうなっちゃうの?」
「感じます。
私はもうすぐ消えるのでしょう。
でも、未練はありません。
あなたたちと過ごす夏休みは、とても楽しかった。
もう、思い残すことはありません。
ありがとう。
さあ、あなたたちはここから立ち去ってください。
そして帰るのです。あなたたちのいる場所に。」
そう言い残して、人魂は校舎に溶けるようにして消えてしまった。
こうして、泣き声が聞こえる教室のうわさは終わった。
だが、生徒たちはまだ知らなかった。
人魂になる、人魂が消えるとは、どういうことなのかを。
それから間もなくして夏休みが終わった。
久しぶりに学校に登校する生徒、そして久しぶりではない生徒たち、
その双方が校庭に集められ、朝礼が始まった。
寝ぼけたような生徒たちは、先生の言葉で叩き起こされることになった。
「間もなく、この学校の校舎は老朽化のために取り壊しになります。」
大抵の生徒には、校舎が建て替えられるだけの話。
しかし、夏休みの間、人魂と一緒だった生徒たちには、全く違う意味になる。
校舎の取り壊し。
それは即ち、あの人魂の体が死ぬということ。
いや、それはもう済んでいたことなのだ。
人魂として体から抜け出るということは、体はもう死んでいる。
今、目の前に建っている校舎はボロボロで、既に老衰で死んでいたのだ。
死んで魂となった学校の校舎が、人魂となって生徒たちの前に現れたのだ。
だからもう死んでいることは取り消せない。
せめて未練を晴らして自由にさせてあげること。
それができたことに、生徒たちは安堵し、しかし寂しさを感じていた。
古くなった校舎が取り壊される日。
校舎の前には、あの人魂と一緒だった生徒たちが集まっていた。
目の前では、重機が獣のように校舎を食い千切っていく。
それを止めることはできない。止める意味もない。
なぜなら、あの校舎はもう死んでいたのだから。
生徒たちは誰からともなく自問する。
「僕たち、人魂くんと友達になれたのかな?」
「それは決まってるさ。」
「だって人魂くんは、未練を晴らして成仏できたんだから。」
「・・・うん。」
生徒たちは手を繋いで、古くなった校舎の最期を見ていた。
夏の終わりの夕日に照らされ、影が長く伸びている。
校舎の影がかじり取られていき、やがて最後のひとかけらが失われた。
生徒たちは手を合わせ、線香をあげて学校の最期を見届けた。
その影には、ここにはもういない、もう一人の影も映っていた。
終わり。
終わりゆく夏休みと学校のうわさをテーマにしました。
学校の校舎自体に魂が宿るというのは以前から考えたのですが、
今回はその魂に終わりが来る時の話を考えてみました。
土地の命は長いけれど、建物の命は案外短いもの。
だから建物に宿る魂の命も、遠くない先に尽きる時が来る、
という話になりました。
お読み頂きありがとうございました。