短編を書きたい彼女と、構って欲しい俺
「はぁ~……」
同棲中の彼女が、パソコンの前で大きなため息をついた。
「どうかしたのか?」
パソコン画面をのぞき込もうとすると、体全体で隠した。それでピンとくる。
「なんだ、小説を書いてるのか」
彼女は五年以上前から、無料小説サイトに自分の書いた小説を投稿している。人によっては、書籍化して作家になる人もいるらしいけど、彼女にそれは無理だろう。悲しいくらいに読まれてない。
でも俺は、彼女の書いている小説が好きだ。とても彼女らしい世界を作り上げている。文章が上手いかと言われたら違うけれど、その世界観が好きだ。
ただ、彼女は俺に読まれることが恥ずかしいらしい。俺がパソコン画面を覗こうとすると、いつも隠してしまう。
「……見ないでよ」
「別にいいけどさ、投稿されれば見るぞ」
「……ああもうバカっ!」
「なんでバカなんだ」
言い返して、でも彼女のため息の理由は分かった。小説が行き詰まっているだけだ。それなら、俺が心配することじゃない。
「焦らなくていいけどさ。続き、楽しみに待ってるから」
「残念でした。今は短編を書いてるの」
「……なんだそうか」
ちょっとガックリきた。別に短編がダメとは言わないけど、一読者としては長編の続きを読みたい。短編を書いている余裕があるなら、続きを書いてほしいと思う。
「あのね、長編ばかり書いてると疲れてくるの! 気分転換に短編書くのも必要なんだから!」
「はいはい、そうですか。……ってじゃあ、あのデカいため息はなんなんだよ」
なんで気分転換の短編を書いてるのに、ため息なんだ。書きたいように書けばいいんじゃないだろうか。
「そうなんだけど……。名前、考えるのがメンドイ」
「は?」
「短編って、つまり新しい話を書くわけだから、登場人物たちの名前を考えなきゃなんないんだけど、それがメンドイの」
「……テキトーにつければいいじゃん」
「その適当が難しいの!」
そして、彼女はパソコン画面から体をどかした。珍しい。読んでいいってことだと思って、画面をのぞき込む。
『今日は学園の卒業パーティーだ。婚約者とともに参加するのが当たり前のパーティーなのに、私の婚約者であるエー王子はエスコートしてくれなかった。それなのに、王子の隣には別の女性がいる』
「何このエー王子って」
「うるさい」
名前だけじゃなく、色々ツッコミどころがあるけど、先を読む。
『「皆のもの、良く聞け! 私はこの場で宣言する! 公爵令嬢のビーとはこの場で婚約を破棄し、子爵令嬢のシーと新たに婚約を結ぶものとする!」』
ああ、なるほど。名付けが面倒で、A、B、Cにしたわけか。その後も読んでいくと、国王がDになってて、突如現れた隣国の王子がEになっている。
とりあえず最後まで読んで、俺は言った。
「名付けを気にする前に、もうちょっとオリジナリティーがあった方がいいと思うんだけど」
どこかで読んだような話、そのままだ。彼女じゃない誰かが書いたものなら、全く気にせずに読む。でも彼女の作品として見たとき、その世界観が好きな俺としては、正直読んでて楽しい話じゃない。
「いいじゃない! こういう話の方が読まれるみたいだし! 私もたまにはポイントザクザク稼いでみたいのよ!」
「……うーん、まぁそうしたいなら、いいけどさ」
テンプレ的な話が好きな人が多いことを、否定はしない。
「それで、これを投稿するのか?」
「このままで投稿できるはずないでしょ! 名前! 何か良い案ない?」
「……あのなぁ」
そもそも長編の続きを書けば、名前に悩むこともない。
それにネットで調べれば、たくさん出てくるんじゃないだろうか。その中から選べばいいだろうに、と思うけど。
「せっかく、ABCDEって名前になってるんだから、それを頭文字にした名前にでもしたら?」
どんな小説であっても、アドバイスを求められることなんて初めてだ。だから、思いついたことを言ってみたら、食いつきが良かった。
「あっ! なるほど! 頭いいじゃない! なるほどそっか。じゃあエーは……エーリアンとか?」
「……ちょっとタンマ」
それじゃ宇宙人だ。
「ビーは、ビークトリア。シーはシーモ、あ、それはダメかな。よし、シーア!」
「…………」
女王の名前と電子書籍サービスのサイト。クレーム一歩手前な気はするけど、ダメってことはない、のか?
「ディーは……ディックローブ? あれ、でもディックローブって聞いたことある気がするけど、何だっけ?」
「……ディックローブって言葉は、多分ないんじゃないか?」
巨大怪獣か光回線か? でも、三分間ヒーローは彼女は見てないから、光回線のほうか。っていうか、何かからもじらないと、名前が浮かばないんだろうか。
「そお? あとイーは……そうね、イーオンとか?」
「……うんまぁいいんじゃない」
半分どうでも良くなって、俺は同意した。数ある無料小説の中で、無名の人間が書く小説だ。問題になることもないだろう。
「うわぁ助かっちゃった。じゃあ私は続き書くから、あっちいって」
「…………」
それは冷たくないだろうか。一応でも、アドバイスしたのに。
俺を無視してパソコン画面に向き合っている彼女に、手を伸ばした。俺の中の、構って欲しいモードに、スイッチが入ってしまったことを自覚した。
「ひえっ?」
「気にしなくていいよ。小説書いてて?」
後ろから肩の辺りに手を回しただけ。腕は動くし、パソコンを打つのに支障はないはずだ。
「か、かけるわけ、ないでしょ!」
「そう?」
慌てる彼女が可愛い。ちょっとイタズラ心で、耳にフッと息を吹きかけると、面白いくらいに顔が真っ赤になった。
「なにするのよ!」
「大丈夫。話を書き始めたら、イタズラはしないから」
「集中できないの! いいから離れろ!」
「どうしようかなぁ」
笑ったら、彼女が俺の手の甲を思い切りつねってきて、手を離してしまう。
「イタッ」
「フンッ」
痛がる俺に、彼女は得意そうに笑う。
小説じゃ、こういう場面でつねってくる女性ってあまりいないよなぁと思う。結局、男に抱きしめられて大人しくする女性が多い気がするけど、現実はそう上手くはいかない。
「せっかく天気いいしさ、ちょっと出かけよう」
「えー……」
「いいだろ別に。予定たててのデートじゃなくてさ。ちょっとその辺ブラブラするだけのデートだって」
俺の構ってモードが落ち着くまで、パソコンから引き剥がしたい。彼女の作る話は好きだけど、それ以上に彼女自身が好きなんだから。
「……もう。せっかく今日は小説書こうと思ったのに」
文句を言いつつも、彼女はパソコンの電源を落とした。しっかりシャットダウンしたってことは、もう今日は書かないで俺に付き合ってくれる気だ。
うん、それでいい。
俺はニンマリ笑った顔を見られないようにして、出かける準備を始めたのだった。