侯爵家の若夫妻
企みは概ね計算通りだったと言っていいでしょう。
名目上の爵位はともかく、隣領の実権は既に代替わりしています。
公爵夫人は、弟君の嫁探しに奔走しています。
間近と目されていた公爵家の代替わりは、延期になったそうです。義理の息子の結婚と同時を予定していたのが、婚約者のご令嬢が未熟だと、今の公爵が判断されたとか。弟君の執務の手伝いまで行って、忙しくてしょうがないと愚痴をこぼしつつ、笑みが絶えません。
楽しそうで何より。わたくしも協力した甲斐がありました。
彼女達には言いませんが、伯爵家の末娘にとっても、今回が恐らく最も望ましい結果です。
以前のループを思い返してみましたが、わたくしの記憶の限りでは、令嬢の人生は悲劇で閉じていました。
幾つかパターンはありましたが、末子の惨死をきっかけに隣領の伯爵が突然代替わりを行い、新当主がセルジャンを頼る展開になりがちでした。
妹令嬢の死因は、本の配布中の領民による殺害がほとんどだったと思います。
ロランの身元が判明しなかったループもあるのかもしれませんが、わたくしが確認できた限りでは、犯人は隣領の平民で間違いありません。
社交界には出てきませんでしたが、伯爵令嬢の領民に対する素行が好ましくなかった可能性もあります。
あるいは、隣領の平民の中に、ロランとマリーの様な理由で恨みを抱く者が居たかもしれません。
哀れかもしれませんが、伯爵家の末娘は、実は誰からも望まれなかった存在の様に感じられました。
「侯爵様、奥様、おはようございます!」
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「ええ、おはようございます」
ある日、セルジャンと庭を歩いていると、ロランとマリーに会いました。
将来どうするかは、まだ様子見のまま教育中です。ある程度好きにさせているので、今は庭師から植物の事を教わっている様ですね。
因みに、タルブ夫妻は更迭済み。理由は、6歳の子を下着姿で外に出した事から管理能力を不安視されたため、領主一族権限で行っています。
あちらの世界でも、親に殺された子の人権は大人よりも軽い様でしたが、こちらの世界にはそもそも人権の考え方がありません。
タルブは罪に問われたのではなく、領主に疎まれただけ、という形です。
「……あの子の瞳は、あんな色だったか?」
2人から離れたところで、セルジャンがポツリと聞いてきました。
「ロランの事ですね? 光の加減でかなり色味が違って見える様です。こちらに引き取ってきた頃は、下を向いてばかりでしたから、暗く濁っていましたわ。今は、人の顔を見て話せるようになっていますから、若葉の色ですわね」
俯きがちだったロランは、ちゃんと前を向く様になり、瞳の色が明るく見える時の方が多くなりました。
マリーも少しずつ笑顔を取り戻しつつあります。
まともな親に育てられた人なら、「この様子なら、あの兄妹はもう大丈夫」と思ってしまうのでしょうね。
けれど、2人の苦難はまだこれからです。
自我を形成して世の中との関係を築き始める大事な幼少期を、他ならぬ親に否定されながら過ごしてしまうと言う事は、心に障害が残る様な育てられ方をしたという事です。
残った後遺症は、本人達が一生かけて向き合っていくしかありません。
しかも、体の怪我と違って、周囲はほとんど助けになれないのです。
兄妹は、美しい見目をしています。
印象的な瞳で、精悍に育つと分かっているロラン。
お淑やかで、海を想わせる瞳のマリー。
これから、多くの人が彼らに好意を寄せてくる事と思われます。
それは果たして、2人にとって幸運な事なのでしょうか。
きっと、彼らに群がる者達が、色々な事を言ってくるでしょう。
「何故、そんなに他人に警戒しているの?」
「どうして、ご両親と一緒に暮らさないの?」
「本当に、そんな事があったの?」
「お父さんお母さんの事を悪く言っちゃだめだよ」
「もうご両親を許してあげて。その方が、あなたの為だよ」
今日、聞いてきた者に納得してもらえるまで話をしたとしても、また明日、別の誰かに同じ説明をしなくてはならない。
兄妹の様な育ち方をした相手に初めて会った人達は、たった一度きりの質問だと思うのでしょう。
けれど、ロランとマリーは、入れ代わり立ち代わり現れる人々から、繰り返し同じ会話を求められ続けます。
親に愛されて育った者は、愛されなかった者へ、持てる者の傲慢を振りかざしている事に気が付きにくいものです。
美しい兄妹に心惹かれ、彼らにとって特別な存在になりたいと思う者は、2人の苦しみを取り除きたいと願ってしまうでしょう。
ロランとマリーが、親を憎む事で居心地の悪い思いをしているなら、許させようとしてしまうのだと思います。
けれど、兄妹と親しくなるには、恐らく順番が逆です。
2人も別に親を憎みたくて憎んでいるのではありません。
許せない事をされたから、許すべきでない事を謝ってもらえないから、受け入れられないのです。
無二の人に出会えたら憎しみが消えてなくなるなんて、おとぎ話です。
親を許せない自分を受け入れてくれる者でなければ、唯一の相手になど成り得ません。
果たして、あの2人にそんな相手は現れるのでしょうか。
「……まあ、兄妹だから、出会いが無くとも孤独は免れますわね」
「マルグリット? 何か言ったかい?」
溢した独り言に、セルジャンが振り返りました。
「いいえ、ちょっと諦めただけですわ」
「え!? 何を? 何を諦めたんだ?」
「いえいえ、大丈夫ですわ」
「いやいや、何を?」
「いえいえ」
「いやいや」
「いえいえ」
「いやいや」
「……」
「……」
同じ応答を繰り返しながら、夫と邸に戻ります。
わたくしは、ロランとマリーの幸せを心から願っておりますわ。
読んで下さってありがとうございました。