企み始める貴婦人
繰り返す人生の中で、わたくしがロランと出会った周回は、今世を除けば一度きり。
「協力者は居ない」と言い放った時の、透き通る様な輝き。
「妹の命を奪われた恨みだ」と語った時の、深淵を思わせるほど暗さ。
瞳のコントラストが印象的だった事を覚えています。
夫のセルジャンが侯爵を継ぎ、生まれた2人の子はまだ幼く、忙しい日々を送っていた頃です。
突然、当家の関係者によって娘が殺された、という抗議が隣の伯爵家から寄せられたのです。
以前の人生での出来事について調べる事は叶いませんから、断言は出来ません。
けれど、わたくし以外の者も同じ様な人生を辿る事が多いですから、他の周回のロランが復讐を望まずに済んだとは考えない方が妥当でしょう。
令嬢の殺害に失敗した場合は、平民と思われたまま隣領内で処罰され、わたくし達のところまで話が回って来なかっただけだと推測されます。
実害がないからといって泣き寝入りするとは限りませんが、揉め事にするのは利が無いと判断すれば、黙っているのも貴族です。
わたくしと出会った一度は、ロランが奇跡的な成功を遂げた周回だったのでしょう。
侯爵家はタルブ夫妻を連座で失った他、自領の森林官の関係者が貴族令嬢を殺したという事で、少なくない額の賠償金を払う事になりました。
けれど、痛手だったかと言われれば、そうでもありません。
愛娘を失って傷心の伯爵夫妻は代替わりする事になり、新領主との関係は、思いの外望ましいものとなりました。
流通の多い物品であっても関税は安く抑えられ、いくつもの共同事業を始める事になったのです。
一通り契約書にサインをした後、殺された令嬢の兄は、妙にさっぱりとした表情で語ってくれました。
「本を作る方がドレスや宝飾品に使う金よりは安いから、孝行娘だと両親は言っていたけれど、社交もせず領地経営に関わるでもない。正直、どれ程の荷物になるだろうと思っていたんだ」
家として侮られないだけの金額は請求するけれど、「殺してくれて、寧ろ感謝」という心の声を隠す気もなさそうでした。
被害者の令嬢には10歳上の姉も居ました。
20も年上の男やもめとの結婚を押し付けられて公爵夫人となった女性は、微笑んでいました。
爵位は前妻の子が継いでいますから、当時の彼女は女主人ですらありません。代替わりの時に居た方が望ましい良い夫人、それだけが彼女に与えられた役割でした。
「わたくしの場合、弟が生まれるまでに6年ありましたから、最初は後継教育を施されていました」
「厳しさは期待の表れと言う家庭教師からの慰めが、先ず覆る事になりました。後継を外された後、教育は楽になりましたが、望んでいた温かさは手に入らなかったのです」
「けれど、弟もかつての自分と同じ様な扱いでしたから、わたくしの両親は愛情を表現しない人だと思う事にしたのです」
「そして、妹が生まれて、気持ちは再び裏切られました」
前公爵夫人の語る言葉に悲しみは感じられず、ただ諦念だけが伝わってきました。
男児の出生前まで後継教育を施された後に、負担は無いものの冷遇される日々を送った長姉。
家を継ぐ運命のため、ひたすら厳しく教育され続けた長男。
それぞれに自分の境遇に不満を持ち、互いを羨んでもおかしくない関係でした。
けれども、姉弟のわだかまりは、妹が生まれて吹き飛んだのだと思われます。
両親だと思っていた男女の、見た事もない笑顔、聞いた事のない甘い声。
自分達では課題を達成できなければ手に入らなかった以上を、何もせずとも与えられるだけの妹。
わたくしが知る限り、姉弟は協力し合っていました。
旨みの少ない姉の政略結婚は変えられなかったけれど、伯爵家の代替わり時期を早められる様に動いていました。
弟は嫁ぎ先での姉の境遇改善に尽力し、姉は前公爵夫人の立場で弟を支援しています。
社交界で何の力も持たない末娘を猫可愛がりしていた先代の評価より、新伯爵に対する期待の方が上です。
この姉弟とわたくしの関係性が深まったのは、ロランと出会った後の事です。
姉は同年代よりは少し上で、弟は歳下で性別も違っていましたから、事件以前に交流のきっかけがありませんでした。
ロランと出会わなかった周回では、もっと後になってから代替わりした伯爵とのやり取りがほとんどです。
今世は、どう動くのがいいでしょうね。
取り敢えず、ロランとマリーをどうにかしなくてはなりません。
「あなた、あの兄妹はどうしますの? タルブ夫妻の元に戻すのが得策とは思えませんわ」
取り敢えず、セルジャンの意向を確認しましょう。
「……考えていたんだが、タルブには親戚が居なくてな。待遇の改善を約束させて戻すのが、当面の面倒は最も少ない。事態の解決を目指すならば、僕らが引き取る方が早い。……この場合、君に監督をお願いしないといけない」
目を瞑って腕を組んでいたセルジャンが向き直り、少し意外な事を言いました。
「あなたは兄妹の証言を信じていますのね」
2人からは改めて話を聞き、今は別室で休ませています。
立ち会った護衛や侍女の中には、実母のする事として信じられないという感想を溢す者も居ました。
わたくしは、自身の経験から有り得る事だと思っていましたが、セルジャンが信じなくても仕方ないとも考えていました。
「貴族ならば、親子である事も仕事の様なものだからな。命懸けで産む羽目になったからこそ、我が子を恨んでいる婦人の話を聞いた事もある。『我が子を愛さない親は存在しない』という言葉は、おとぎ話の様なものだと思っているよ」
吐き捨てる様なセルジャンに、わたくしも共感があります。
「あの2人は、わたくしが面倒みますわ」
わたくしの言葉にセルジャンが「頼む」と短く返してきました。
侯爵家の養子には出来ませんから、行く末は考えなくてはなりませんが、当面はこれで良いでしょう。
まだ幼い兄妹の事はもう良いとして、令嬢の方はどうしましょうか。
令嬢の姉兄や以前の周回のロランの様な恨みは持ち合わせていなくても、好ましく思える相手ではありません。
原因である令嬢の両親には、表舞台から早く去ってもらいたい。
しかし、わたくしが画策するのは、それこそ危険です。最悪、隣領と争いになります。
では、どうするか?
先ずは調べてみましょう。
隣領で探すのは少々骨が折れますが、配布できるほどの数の同じ本を作る事ができる工房は限られます。
人を手配し、動きを見張らせておきましょう。
領の視察を終えた後は、領地経営についての引継ぎ教育を受けながら、社交に精を出しました。
嫁いだ後の立場での地盤固めも重要な仕事です。
その中で、公爵の後添いである夫人との関係構築に力を注いだとしても、不自然というほどではありません。
隣領の次期当主と関係良好な姉に近付くのは普通。
生さぬ仲の義理の息子に代替わり予定のため、現在の身分に見合うほどには重要視されていない夫人に、敢えて近付くのも有りでしょう。
そして、件の令嬢が書いた最初の本を手に入れました。
正規の注文は20冊だったそうですが、その後で3冊ばかり同じ物を作らせました。
口止めもしていないかったのですから、代金を払えば工房は逆らえませんわ。著作権なんて言葉もありませんしね。
早速読みます。
……想像以上に不快な内容でしたわ。
「マルグリット。そこに置いてあったから読んでしまったが、この酷い本は、一体、何だ?」
自室に持ち込むのが不愉快で置き捨てていたら、セルジャンも同じ感想を持った様です。
話が短くて内容の把握に時間がかからない事を、欠点と感じる日が来るとはね。
「それは、隣領伯爵家の末のご令嬢がお書きになった物ですわ。行く行くは領民に配布の予定があるようです」
予定の話は、繰り返しの事情で分かっただけですが。
「……これを?」
セルジャンが引き攣っていますわ。
件の令嬢は、現時点ではまだ12歳。年齢的な文章力は、平民ならば優れていると言えるでしょう。
問題は、やはり内容ですね。
「伯爵夫妻は、末のご令嬢を殊の外可愛がっていて、嫁がせる気も無いとか」
これもロランと出会った周回の情報ですが、夫人からの裏も取っています。
令嬢には、貴族に必要な教育が施されていないのです。
本の前半部分には主人公が実の親から虐げられている描写があり、終盤で解決します。
両親の行動の理由として、心神喪失状態であった事が明かされます。2人の治療は成功し、彼らが自身の行いを過ちとして悔いる様子が描かれていました。
ところが、虐待だとされた描写の中に、現在の貴族の間で教育として普通に行われている内容がありました。
当たり前です。
令嬢の姉兄の実体験を元にした記述なのですから。
つまり、令嬢は、自身の両親が意識的に我が子へ行っていた内容が、倫理的に異常な範疇であるという本を書いてしまっているのです。
親である伯爵夫妻が監修しているはずなのに、世に出てしまうというのが、さらに問題です。
わたくしは件の本を、今回初めて読みましたが、要は社交界に出回っていた事が無かったのでしょう。娘を溺愛する現伯爵夫妻も、最低限の分別はあるでしょうから。
という訳で、令嬢の本を貴族の間に広めようと思います。
読んで下さってありがとうございます。
セルジャンのセリフの「婦人」についてです。
夫人と婦人の違いは、結婚しているかどうか以外にも敬称であるかどうかの違いがあり、身内に夫人は使えません。
母親よりはもっと遠い相手ですが、セルジャンの親子関係も結構希薄な感じです。




