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貴族令嬢を殺した男※

第1話とは別の周回の話です。


 俺の名は、ロラン。妹はマリー。

 家名は無い。

 俺が16歳になった時、12歳だった妹を連れて、家と親は捨てて来た。


 

 俺達の母親はクズだった。

 何か気に入らない事がある度に、俺達に「生まれてこなければ良かったのに」「死んでしまえ!」と怒鳴りつける。

 しかも、夜までずっとだ。

 クズから逃げた後に見つかると「まだ生きてたのか! さっき死ねって言っただろ! 早く死ね!」と叫ばれる。


 下賤な女の言葉の様に聞こえるが、貴族の端くれと言っていい身分だった。

 父親だった男もだ。爵位は無いが、高位貴族の遠縁で、森林官をしていた。

 森林官は仕事の必要上、担当の森の近くに屋敷があり、家族で住む。

 そのせいで、クズの怒鳴り声は他人に聞かれなかった。


 クズがいつ頃から、俺達を罵っていたのかは、記憶が無くてはっきりしない。

 多分、赤ん坊の頃からだったんだろう。


 標的になるのは、妹の方が多かった。

 妹は祖母に似ていたらしく、クズはそれが気に入らなかったみたいだった。

 でも、あんまり関係ないかな。

 

 俺がコップでも倒して、クズの機嫌を損ねると、妹も怒鳴られた。

 妹の所作が祖母の何かを思い出させれば、俺も一緒に罵られた。


 一見すると痩せていて体力も無さそうなのに、始まると、朝から晩まで叫び続ける事が出来る。

 無駄な能力だ。


 食事を抜かれた事は無いし、着る物も清潔だった。

 けれど、いつもクズの顔色を窺ってなきゃならない生活は、心を削った。


 何をしたらクズの機嫌を損ねるのか分かっていれば、対処も出来たかもしれない。

 ……見当もつかなかった。

 

 食器をひっくり返して金切り声をあげられる時もあれば、同じ事をして笑顔で許される時もあった。

 笑って褒められた手伝いを、似たような時にやってみたら、怒鳴りつけられた。

 黙って座っていただけだった妹が、いきなり頬を叩かれた事もある。

 

 結局、俺達は、クズの憂さ晴らしの道具だっただけなんだよ。


 父親だった男は、何も言わず、ただ見ていた。

 

 俺が耐えられたのは、妹のマリーが居たからだ。

 クズの癇癪が始まると、俺はマリーを連れて逃げる。

 どうせ、別々に居たって、変わりやしないんだ。それなら、一緒に居た方がマシだ。

 逃げ込む場所は寒い事も多かったから、マリーの温かい体が引っ付いているのは助かった。

 

 父だった男は、10歳になった俺を仕事場へ連れ出す事にした。

 俺はマリーも連れて行こうとした。

 ……無理だった。

 クズに対しては弱気なだけの男は、俺達には強い態度を取れるのだ。

 仕方なく、マリーをクズの元に置いて出かける日々が続いた。

 

 そして、ある日。

 調査の仕掛けのため森に残った男と一旦分かれて、荷に入れそびれた昼食の用意を取りに戻った。

 そこで俺が見たのは、下着姿で屋敷の外に蹲るマリーの姿だった。

 

 慌てて駆け寄ると、生け垣の中から出て来たマリーが俺にしがみつき、声もなく泣き出した。

 聞くと、クズにやられたと言う。

 

「お前みたいな子が生まれると分かっていたら、産まなかった」

 クズのいつもの罵りに、「生んで欲しいなんて、頼んでない!」と返したらしい。

 

「だったら、出ていけ!」

「出て行く前に、お前を育てるのにかかった金を返せ!」

「この服は、私が買ってやったんだ。置いて行け!」

 クズはそう言って、マリーから無理やり服を剥ぎ取って外に追い出したそうだ。

 

 森林官邸に人の訪れは少ないが、全く居ない訳じゃない。

 まだ6歳とは言え、女の子がそんなあられもない格好で、人目に付くかもしれない場所に追い出されて、心が傷つかない筈はない。

 屋敷の周辺は比較的安全だが、危険な獣が近寄らない保証は無い。

 

 クズは、マリーがどうなっても、それこそ、死んでも構わなかったんだ。

 少なくとも、そういう行為だった。

 

 俺は、マリーに自分の上着を着せ、森に居た男を頼った。

 男は、困った様に眉を下げると、俺達に夜まで待つ様に言った。

 ……我慢しろ、という事だった。クズは、俺達に食事だけは欠かさなかったからな。


 俺はマリーを連れて、近くの町に向かった。

 せめて昼間だけでも、妹を預かってくれる所が必要だと思ったから。


 しかし、誰も居なかった。


「我が子に『死ね』なんて言える母親が居るはずない!」

「嘘をつくな! 親が自分の子どもにそんな事をする訳がない!」

「我が子を愛さない親なんか、居ないんだよ!」


 話を信じてもらえなかったんだ。

 あの2人は外面だけは良い。

 特にクズは、困っている相手には取り分け丁寧に振舞う。

 ……屋敷に戻れば、自分が申し出た親切を、まるで強請られたかの様な愚痴を口にするのに。


 俺の必死の訴えも、幼い妹の涙も、何も意味が無かった。

 母親から酷い扱いをされているという噓なんか、一体どんな得があって言うというのか。


 ……心が死んだ様に感じた。

 生みの親に否定された者は、他の人間からも受け入れてもらえないのだろうか。


 屋敷に連れ戻された後、クズはいつも通り、喚き散らしていた。

 男は、来月の予定を心配していた。結婚したばかりだと言う次期領主夫妻が来訪するのだ。彼らの耳に今日の醜聞が届いてしまわないかだけが、男の関心事だった。

 

 領主の嫡男と新妻のどちらかだけでも会って掛け合えないかと考えたが、叶わなかった。

 男が人を雇い、俺達を閉じ込めたからだ。

 姿を見る事も出来なかった。当主家の花嫁が、黒い髪と赤い目をしているという噂を聞けただけだった。

 町の人間は皆、クズ達の味方だから、俺が起こしたささやかな騒動の話が伝わる事もなかっただろう。

 

 それからの日々は、それまでと変わりなく、地獄だった。

 マリーの表情が無くなっていくのに、何も出来なかったのがやるせない。


 俺は密かに金を貯め、逃亡先を調べる。

 クズの暴力は、ほとんど言葉だけだったから、妹の協力もあって順調に進められた。


 

 そうして俺の16歳の成人を機に、森を通って隣の領の街に逃げ出した。

 

 平民だと言う割に読み書きに不自由の無い俺達兄妹は、不審には思われただろうが、大きな街だったことが幸いする。

 急拡大によって人手不足となった商会に拾われ、会長の屋敷で妹と世話になった。

 2年ほど金を貯め、少女らしくなってきた妹と部屋が分けられる様に、小さな借家に引っ越した。

 さらに2年後、16歳になった妹も、同じ商会に勤める事になった。


 マリーに表情が戻ってきてホッとした。

 自分でも金を稼げるようになってから、少し明るくなった。

 ずっと俺頼りなのが申し訳ないと言っていたからな。

 家事をやってくれているから全然足手まといではないと、いくら伝えても納得はできないらしかった。

 

 勤め先の商会経由でもらった本を、マリーは嬉しそうに読んでいる。

 どちらかと言えば引っ込み思案で大人しい妹にとって、屋敷の蔵書だけは心残りだったと思う。

 そうでなくとも危険な逃避行に、高価で足の付きやすい本など持って来られなかったからな。


 職人の手で一冊ずつ作られる本が、無料で手に入ったのは、領主の娘の書いたものだからだ。

 俺達が居る伯爵領の当主家には、3人の子が居るそうだが、末子は溺愛されているという噂だ。

 流石に領民の全てに行き渡る様な事は無いが、折に触れて、読み書き出来る者に配られている。令嬢が書いたものだからか、主人公も女性で、若い娘に優先的に配布されているのだ。


 批判を公にする事が許されない書物を領民に押し付ける行為には危ういものも感じるが、懸念すら表明する事は出来ない。マリーにとって望ましいものであればいいと願うばかりだ。

 家族に恵まれなかった少女の物語らしく、妹は日々の仕事が終わった後の僅かな時間に、夢中になって読んでいる。

 

 しばらくして、マリーの様子がおかしくなった。

 食が細り、表情が暗い。

 もらった本をいつも手にしているが、読んでいるのでもない。

 どうしたのか聞いても、俯いて首を横に振るばかりだ。


 ある日、悩みを聞きだすのではなく、例の本を貸してくれと頼んでみた。

 どう考えても、本の内容が原因だと思えたからだ。

 妹は、ほんの一時、考え込む仕草をしたかと思うと「明日なら」と答えた。

 その様子は、至って自然に見えた。

 

 どうにかして、別の誰かに本の内容を知らせてもらえば良かった。

 何に悩んでいるか、他に聞きだす方法は本当に無かったのか。

 どうして、そのまま一人きりにしてしまったのか。

 事が起こっている時に、気付く事は出来なかったのか。

 

 いくら後悔しても足りる事は無い。


 翌朝、妹の体は天井から吊り下がった、ただの物になっていた。

 


 その後の事は、あまり記憶に無い。

 大きな事から細々とした事まで助けてくれた商会長の奥さんに、辛うじて礼を言っていた気がする。


 気が付くと、主の居なくなった妹の部屋で、1人寝ていた。

 これだけはと、懐に仕舞っていた妹の遺書を、改めて開いた。


「わたしの心には、常に自分に対する『生まれて来なければ良かったのに』という思いがありました。周囲の期待に応えられなかった時、取り分け、大好きな兄に迷惑をかけてしまった時、強く感じました」


「頭では、間違った思いだと分かっていました。母がわたし達兄妹にかけた呪いなのだと。親が我が子にする事として、決して許してはならないものの結果だと理解していました」


「けれど、親しくなった人にも同意してもらえた事がありません。『生まれて来なければ良かったのに』という思いが間違いだと言ってくれる人も、『お父さんお母さんを恨んだり、ましてや憎んだりなんて、してはいけないよ。自分を否定する事になってしまうからね』と言うのです」


「では、親に否定された子はどうすればいいのでしょうか?」


「親の言葉を否定せずに、自分を肯定する事は出来ない。そんな者は、存在していてはならないのでしょうか?」


「悩んでいる時に、領主様のお嬢様から御本を頂く事が出来ました。わたしの体験とは少し違うけれど、ありのままの自分を親に受け入れてもらえなかった少女の話です。やっと、兄以外でわたしと同じ気持ちの人と出会えたと思いました」


「けれど、違いました。全く逆だったのです」


「領主様のお嬢様のお書きになったものです。何か言う事は出来ません」


「大好きな兄さん。今まで助けてくれてありがとう。最後まで足手まといな妹でごめんなさい。もう、これ以上、兄さんに迷惑をかける事は出来ません。マリーはいなくなります。ごめんなさい」



 のろのろと起き上がると、机に置いてあった本を手に取る。

 頁をめくる。


 ……こんな物を、妹は読んでしまったのか。


 

 主人公は普通の平民という事になっていたが、貴族か裕福な家の娘でなければ辻褄が合わない。

 家庭教師による厳しい教育は、傷痕にならない配慮がされているとは言え、鞭を振るわれる事もある。

 マナーに及第点をもらえねば、親と会話する事も許されない。

 周囲の要請を受け入れる訓練として、些細なものであっても自分の好みとは逆のものを強いられる日々を送っていた。

 自らを取り巻く環境を悲しく思いつつも、前を向いていこうとする主人公。


 マリーが夢中になっていたのは、この辺りまでだろう。

 話は陳腐な急展開を迎える。

 

 おとぎ話に出てくる様な魔法使いが突然やってきたかと思うと、我が子への酷い扱いは呪いのせいだったと、降って湧いた様な理屈が語られる。

 呪いが解けて優しくなった両親と過ごす事になり、幼い時からの長年の怒りと悲しみが、淡雪の解ける様に無くなっていくという娘。

 

 説教くさく、我が子を愛さない親は存在しないのだから、親を愛し返せない子は生きている値打ちが無い、と締めくくられていた。


 読み終わった瞬間、体から溢れ出した怒りで、周囲が炎に包まれるのではないかと思うほどだった。


 

 あのクズのせいで、俺達の自己肯定感は限りなく低い。

 生みの親に出生を否定されるとは、自身に存在価値が無いと思い込む様な洗脳教育を受ける、という事だからだ。

 

 クズと一緒に居た時間の長い妹は特に重症で、少しでも他人に迷惑をかける度、「わたしなんか、生まれて来なければ良かったのに」と震えていた。

 俺がいくら励ましても、ほとんど響かなかった。

 実際のマリーは、商会長夫妻が養女にする事を真剣に検討するくらいに気立ての良い娘だったのに。

 

 俺がましだったのは、他ならぬマリーのおかげだ。

 何もしていない妹が、俺のした事で怒られる。クズがしている事は理不尽なのだと気付けた。

 自分より幼い女の子を、あの酷い環境から助け出す事が出来た。それが、俺の値打ちだった。

 

 妹が居なくなった今、俺に生きる価値はもう残っていない。

 このまま消えてなくなろうかと思っていたが、命の使いどころを見つけた。


 マリーを死に追いやった言葉を、書いた者を、許さない。


 

 無尽蔵の活力を与えてくれる様な怒りの炎の熱とは裏腹に、頭の芯は酷く冷えていた。


 俺は商会での仕事に復帰した。

 必要以上に焦る必要はない。先ずは、準備が必要だ。

 最終的には商会へ迷惑をかけない様に辞めるつもりだが、情報を集めるために、しばらくは利用させてもらう。

 

 件の作者は伯爵家の末娘。

 俺の2歳上の22歳と聞いた時は慌てた。適齢期どころか嫁ぎ遅れと言っていい。いつ結婚して、手の届かない何処に行くか分からない。

 

 しかし、婚約者どころか、嫁ぐ話もないらしい。

 親が溺愛していて、そのまま手元に置いておくつもりだ、という噂だった。

 聞かせてくれた相手とは、馬鹿にした話だと語り合った。貴族の結婚など、仕事の内だ。事実、当人の姉の結婚相手は、格上の公爵とは言え20歳も年上の男やもめだった。

 義務を果たさず、周囲に対する自分を省みる事なく、権利だけを行使する者だという思いが強まる。


 一応、領主の娘が書いた他の本も確認した。全部で4種類らしい。

 ……代わり映えしなかった。主人公の名と色味、魔法使いではなく魔道具や何かであるだけの、間違い探しの様な差。判で押した様な締めくくり。

 前半部分の妙な現実味を不思議に思うが、きっと誰かから聞いた話なのだろう。その誰かの感想は聞きたい気がした。

 

 ほしい情報は、拍子抜けするほど簡単に手に入った。

 仇は特に何をするでもなく生家に寄生して、最近は年に1冊の本を書き上げ、領地を順に巡る様に配っているのだという。

 前回の順番がこの街であり、マリーに本が渡ったのも順当な事だったのだ。読み書き出来る若い娘という条件は、意外と限られるのだから。

 

 復讐相手の訪れそうな場所と時期の予想がついた俺は、半年ほどの余裕を見て商会を黙って去った。金も少し持ち出した。

 恩を仇で返す行為は胸が痛んだが、俺の罪に巻き込まないため、裏切られた様に見せかけた方が効果的だと思ったのだ。


 商会長夫妻が本当の親なら、と願った事が何度もあった。実際、マリーを養女にという話の時に、俺も一緒にとも言ってもらった。

 けれど、心開けなかった。受け入れられなかった。


 あの日。

 下着姿で家を出された妹を連れて助けを求め、拒絶された、あの日。

 町の大人に寄ってたかって、噓つき呼ばわりされた、あの日。

 あの日、俺達の心は、親から否定された子どもは世界からも受け入れられない、と学んでしまったのだ。

 

 だから、復讐をする。

 無駄死に終わると分かっていても、行動せずにはいられない。


「我が子を愛さない親は存在しない」という言葉に、我が身の破滅を招いても構わぬほどの憎悪を抱く者が存在する事を知らしめたい。


 願わくば、マリーを死に至らしめた全てに、一矢報いる事が出来ます様に。


 

 領主の娘の施しと銘打って行われる本の配布会に、俺は臨時の手伝いとして雇われる事が出来た。

 元の身分を使ったのだ。

 辻褄合わせには工夫が必要だったが、今も隣領に住んでいて所用で偶々立ち寄った体を装っている。

 雑用だとしても、自領の平民よりも隣領の準貴族の方が信用されるのは皮肉に感じる。

 とは言え、俺にとっては願ってもない。商会に迷惑をかける可能性が低く、さらにクズ達が連座にでもなれば万々歳だ。 


 復讐は幸運に恵まれた。

 離れた所で配布前の本を数える俺の近くに、仇がふらりとやって来たのだ。

 気まぐれで目の前へ現れた相手に、俺の動きも奇跡的だった。

 袖にしまっていたペーパーナイフを自然な動作で引き抜き、肥え切った体の真ん中に深く突き刺した。

 不思議と、実感は何も無かった。

 声もなく倒れた令嬢の体を、護衛が見て始めて驚いたあたり、表情にも出ていなかったのだと思う。

 

 その場で切って捨てられるかと思ったが、抵抗をしなかったせいか取り押さえられた。

 

 使い潰すはずの命が残った事による時間は意味も無いが、マリーが亡くなった時と違って、意識ははっきりしていた。

 俺が起こした火の粉が、商会に飛ばないために、全てがクズ達に向かう様に、腐心するだけの日々。

 意外にも、あまり酷い扱いはされなかった。


 仇の親に直に責められた事があった。

 でっぷりと太った男に殴られ、痩せた女から手当たり次第に物を投げられたが、腕力が無いのか然程でもなかった。

 愛娘を殺された故の罵りには満足感しか覚えなかった。

 本当に愛していたなら、もっと思慮深くなる様に育てるべきだったと言って打たれたが、充足感で痛みも感じない程だった。

 

 印象的だったのは、後ろに控えていた若い男だ。

 身なりの良さと言い、顔立ちと言い、2人の子だと予想された。つまり俺が殺した女の兄だと思われる。

 その割に、熱量の籠らない瞳で男女を見ていた。

 俺を見る目にこそ親しみが宿っている様に感じたあたり、俺も頭がおかしくなっていたのかもしれない。

 

 ある日、出身領の当主夫人がやって来た。

 そろそろ、処遇が決まるのだろう。尤も、俺自身が死罪であるのは定まっているので、事件全体の落としどころを決めるのが目的だと思われる。


 夫人は、艶のある黒い髪と赤い目をしていた。美人だが、劇団で悪役でもしているのが似合いそうだ。

 俺の予想に反して、怒り狂っているどころか、不機嫌そうですらなかった。

「令嬢を殺したのは間違いないか」

「何が目的か」

「タルブ森林官の子だという証拠はあるのか」

「協力者はいるのか」

 取り調べ官が聞いてきた事を冷静に確認して去って行った。

 

 いよいよ、処刑の日がやって来た。

 

 驚いた事に、俺が殺した女の兄がやって来た。

 当主を代替わりしたと言う。


「良ければ飲むといい。眠り薬だ。効き目が強い分、常習性も高いが、関係ないだろう」

 新たに伯爵となった男が、杯を差し出す。


「……有難く頂きます。本の前半部分は、あなたの話だったんですね」

 思い付きを口にした。


「半分はな。残りの半分は姉の話だ」

 答えた伯爵の苦い微笑みと、俺が浮かべた表情は、同じだったかもしれない。


「もし出来ましたら、お姉様にもよろしくお伝え下さい」

 言って、杯を干す。

 

 親から苦しめられた者同士の会話。妬みを取り除かれた者から救いを奪われた者への施しが、俺が人生で手にした最後の物だった。

 





読んで下さってありがとうございます。

作中の本にはモデルなどは特にありません。

2人は、今回の周回でマルグリットが助けてハッピーエンドにします。


一方、ロランとマリーが体験した内容は、私の実体験から取っています。

実母から怒鳴られた内容。

知っていて助けてくれなかった父。

噓つき呼ばわりされた経験。

母に反抗して、下着姿で家の外に出された事。

私にきょうだいは居なかったので、独りで耐えなくてはなりませんでした。


生きていて良かったと思えた事は基本的にありませんし、人が自殺できると知った7歳の時に死んでしまわなかった事は最大の失敗だったと今も思っていますし、過去に戻って何かをやり直せると言われたなら生まれてこない事を望むでしょう。


私がされた事は、法律で定義された虐待に該当しますが、本当に酷い虐待は、こんな程度ではありません。

子どもが、比喩ではなく嬲り殺しにされています。

生き残った人も、心身に大きな傷が残っています。


実体験を通して、少しでも児童虐待問題を身近に感じてもらいたいと願っています。

逆に、同情や慰めが欲しいと思われるのは心外です。

辛い目に遭った人へ、無神経な言葉がかけられる事が少しでも減るといいなと思っています。

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