人生を繰り返す貴族女性
事実は小説より奇なり。
現実の事件こそ信じ難く、人の想像力には限りがあります。
あなたは、目の前に居る普通の人が、ニュースでしか見ない様な経験をしたかもしれない、と思いつく事が出来ますか?
現在の日本で起こっている児童虐待の中には、我が子どころか無関係の子どもに対する行為としても受け入れ難いものもあります。
いくら有り得ない様に感じられても、現実に存在する被害者に向かって「信じられない」「親がそんな事をする訳がない」などと言ってしまうと、どういう事になってしまうのか考えてもらいたくて、この作品を投稿しています。
作中エッセーよりも先に、こちらを最後まで読んで頂きたいと思っています。
わたくしはマルグリット・ヴェールフォンセ。
侯爵家第二子として、オーガスティン王国暦243年に生まれました。
間もなく、親の決めた相手と政略結婚します。
そこで、女主人としての役割をこなしながら2人ほどの子を産み育て、人生を全うするでしょう。
そうして、また、王国暦243年にマルグリット・ヴェールフォンセとして生を受けるのです。
繰り返しは、恐らく100回までは達していません。
30回目辺りから、数えるのを止めました。
辿る人生は、似たり寄ったりが多いですが、意図せずとも全く同じにはなりません。
最初の頃は、この不可思議な現象に混乱し、どうにか抜け出そうとしました。
手が伸びる範囲の全てを調べ、思いつく限りの行動を取りました。
そして、諦めました。
与えられたままの人生はそこそこ順調で、逆に足掻けば足掻くほどに苦労しました。
であれば、順当な人生を送り、適当に楽しめばいい。
とは言え、似たような人生を何度も繰り返しているので、日常に新鮮な楽しみというものが欠けています。
そこで、わたくしが人生を繰り返す度に入手している物があります。
この世界では、前世が異世界人だったという者が時折現れます。
教養ある者の間では出まかせだと思われていますが、人生の繰り返しについて調べている時に、どうやら真実と言える場合もある事が分かりました。
わたくしが入手する事にしている石は、その証拠とも言えるでしょう。
親指の先ほどの大きさの石は、ある転生者が握ったまま生まれて来たという話でした。
昔の話ですので、本人もかなり前に亡くなっており、石についての詳細はもう分かりません。
石は、握りしめると物語を紡ぎます。
手にした者にしか見えない文字を、光の中に浮かび上がらせるのです。
物語は、異世界人がさらに別の異世界を想像して書いたものが多く、ややこしい事もあります。
辞書の様な機能を使う事も出来ますので、参考にしながら読み進めました。おかげで、独特の言い回しに慣れてきています。わたくしには、ある意味、時間は無限にありますから。
読み終わらなければ後で続きを読むことも出来て、読み終われば関係のある物語を選ぶ事も出来ます。
特に何も望まなければランダムに話が選ばれ、タイトルとあらすじが表示されます。気に入ればそのまま本文を読みますが、気に入らなければ別のものに変えられます。
石を独り占めする事に罪悪感を覚え、効用を訴えた事もありましたが、徒労に終わっています。
作り話ばかりで、真偽が分からず、有用性が薄いと判断されました。
以降は心置きなく、わたくしだけで楽しんでいます。
昨日は切りのいいところまで読み終わりましたから、今日は何か全く新しいものを願ってみましょう。
出て来たタイトルは「重く受け止める人がたった1人増えるよりも、軽く取り組む人が100人増えた方が効果的」です。
長さは珍しくありませんが、内容はやや稀な様に思います。
もっと、あらすじの様になっているタイトルが多いのに、意味は分かるものの、これだけでは何の話なのか分かりません。
ジャンルはエッセーですか。
続いて、あらすじを見ます。
「『小説家になろう』では、ドアマットヒロインものや追放ものがランキングの常連です。導入部の苦難の様子は、現実世界なら通報されてもおかしくない虐待である事も少なくありません。しかし、主人公の苦しみを読んで、「私達の世界に実際に起きている児童虐待の問題に取り組もう」と思う人など、存在するでしょうか。『気楽な気持ちでいいから、児童虐待問題に少しでも興味や関心を持ってもらいたい』と思って、私はこの作品を投稿しました」
……大分、毛色が違っていますね。
いつも、この石からは気楽に読める物語ばかりが出て来ていたと思うのですが。
取り敢えず、読んでみましょう。
嫁げばわたくしも、いずれ侯爵夫人となる身です。
あちらの当主夫妻は早目の引退を希望しており、領地経営の引継ぎを急いでもらいたいと言われております。
ひょっとすると何かの役に立つかもしれません。
冒頭は、ほぼあらすじの通りですね。
気楽な気持ちでも実際に取り組んでもらった方が良い、という意見には賛同しかありません。
……読み終わりました。
文官としての能力は備えている作者の様で、執務を行う事もあるわたくしが読めない内容ではありません。
ただ、テーマが重く、軽い気持ちのままでは読めませんでしたね。
親が子を傷つけてしまうという問題そのものよりも、子にとって親に否定されるという事の大きさ。
抱えた痛みを共感されない事の生き辛さ。
母という在り方。
分かり合う事の難しさ。
多数派は少数派の事を意識しなくても生きていけるけれど、少数派は多数派を意識せずには生きられない、という言葉。
そして何より、親が我が子にする事どころか、他人の子相手だったとしても、胸が悪くなる様な実際の事件の例。
思索のきっかけになる内容が多すぎて、胸にいくつもの針が突き刺さった様です。
不快な様な、それでいてずっと抱えていなくてはならない様な、複雑な気持ちです。
貴族としては普通かもしれませんが、わたくしも両親、特に母との関係に思うものがありますから、尚更。
そうこうする内に、婚姻を済ませて嫁いできました。
もう何度も経験しているせいで、大して感慨を感じなくなってしまっていますね。
これからは、次期メナール侯爵夫人です。
「早速だが、領地に向かおうと思う」
「準備はしてありますわ」
夫のセルジャンが朝食の席で切り出しました。
突然の宣言の様に言っていますが、式を挙げて、このタウンハウスに居を移してから約一月。日程も把握済みです。
予定通り、という事でしょう。
多少済まなそうな顔をしているのは、準備期間が短めだからでしょうか。
最近の周回では、イベントのスケジュールがやや早まっている様に思います。セルジャンとの婚姻の回数が多く、わたくしが慣れてきているせいかもしれません。
ほぼ同格の侯爵家で年頃も近いセルジャンは、最初の人生を始めとして最も多く伴侶となった相手です。
中肉中背よりは気持ち背が高め、全体的に色素が薄く、風貌はやや冴えない。
領地経営の手腕は堅実。
目が合いにくく、表情があまり変わらないので、人の話を聞かなさそうな印象がありますが、実はそうでもありません。
愛人の類は、後継ぎが決まった後にわきまえた者だけ。
わたくしにとって最も無難な結婚相手です。
因みに、わたくしの方は、艶のあるブルネットと印象的な紅の瞳という生まれつきの美貌に加えて、人生のループに頼らずともの高い知性。
結構ハイスペックですのよ。
王妃になった事もありますわ。……『なろう』の悪役令嬢ものみたいになりましたから、自分からなるつもりはもうありませんけれど。
領地への旅は、馬車で2週間ほどですね。
旅程も終盤、メナール侯爵領には既に入っています。
「ここで、森林官の所へ寄っていくつもりだ」
「かしこまりました」
事前に予定を教えてくれているのに、相変わらず、今初めて言った様な物言いをするセルジャンです。
道中の馬車での会話も、あまり弾んでいませんでした。
尤も、わたくしだけでしょうが、何度も伴侶になった経験がありますので、気詰まりではありません。
服の中に隠した石を時折弄び、印象的だったエッセーを思い出して時間を潰していました。
この石の事も、死に戻りについても、面倒なので誰にも伝えるつもりはありません。
セルジャンは意外と鋭いので、変な石を大切にしている事は気付いているでしょうけれど、不要な差し出口をしてこないのが、わたくしにとって彼の最も好ましいところです。
森林官というのは、名の通り森林を管理する者です。
セルジャンが言ったのは、メナール侯爵領で最も王都に近い一帯の担当者ですね。
タルブ夫妻という名だと聞きました。
正式には夫だけですが、管理する森の端で暮らすことになりますので、妻がいなくては務まらないでしょう。
10歳に満たないほどの子ども2人に会った事があると、セルジャンが話しています。
代官などもそうですが、領地経営の役職持ちは親戚筋が多いですからね。
タルブ夫妻の血縁は遠い方です。
「宿泊はタルブの所ではなく、近くの町のつもりだ。……その方が過ごしやすいかと思って」
「お気遣い、ありがとうございます」
この予定も、もちろん聞いています。
ただ、理由は初耳でした。
過去のセルジャンだけでの視察では、タルブ夫妻の住む森林官邸に泊まっていたらしいのに、何故なのかとは思っていたのですが、気遣いだったのですね。
確かに、森の中では何かあった時に不便かもしれません。
馬車が、宿泊予定の町に入っていきます。
窓から見る限り、町の規模としては栄えている方ですね。
馬車が町の広場に差し掛かった時でした。
「……何か揉めているな。止めてくれ」
広場に不穏な人だかりがある事を認めると、セルジャンは馬車を止めさせ、騎馬で付いて来ていた護衛を1人向かわせました。
「どうやら、森林官殿の子らが揉め事の原因の様です」
戻ってきた騎士が、やや顔をしかめながら報告しています。
森林官は護衛よりも身分が高いですから、彼だけでは収められなかったのでしょう。
「タルブの子が? 分かった。行こう」
「わたくしも行きます」
セルジャンの応答に被せる様に声を上げていました。
護衛の仕事を思うと、馬車で待つのが正解です。ですが、何か妙な感じがするのです。石に触れているところがチリチリしています。
少し揉めましたが、護衛の指示に従う事、不用意に群衆に近付かない事などを約束して、わたくしも馬車を下りました。
護衛が声をかけ、セルジャンが近付くと人垣が割れました。殺伐というほどではありませんが、ピリピリとした緊張感があります。
中心に子どもが2人、居るのが見えます。
男の子1人が、女の子1人を全身で庇っています。
2人ともタルブ夫妻の子だと言うなら、兄妹ですね。
兄が10歳、妹は6歳くらいでしょうか。
妹の着衣に少し違和感があります。兄の上着を無理やりワンピースの様に着ている感じがしますね。何か事情があるのでしょうか。
「タルブ様の奥様はちゃんとした人だ。そんな事を言う訳がない。この子らは噓つきだ」
囲んでいた者達のリーダー格の男が声を張り上げました。
セルジャンが聞き取りを始めます。
様子が落ち着いてきたので、わたくしも近くに移動しました。
話を纏めると、兄妹の言い分は実母の暴言に耐えかねて町に逃げ出してきたというもの、一方で町の者達はタルブの妻についての話が信じられないという事でした。
「嘘なんかついてない! 『生まれてこなければ良かったのに』とか、『お前なんか、死んでしまえ』とか言われるんだ。しかも、始まると晩までずっと続くんだよ。昼間に外で父さんの手伝いをしてる俺はまだいいけど、マリーは、妹はずっと母さんと居るから……」
少年の声は震えていました。
「嘘をつくな! それが本当なら、タルブ様もご存知だって事だろうが! 自分の子どもがそんな目に遭っているのに、何もしない訳がない!」
再び、リーダー格の男が怒鳴ります。
護衛に促され、群衆から遠ざかりました。
「そうだよ! あんたはまだ知らないのかもしれないけど、子どもを産むってのは、本当に大変なんだ。命がけなんだよ! 死にそうな思いをして産んだ我が子に『死ね』なんて言える母親が居るはずないんだ!」
「そうだ! 噓つきだ!」
「我が子を愛さない親なんて、居ないんだよ!」
「この噓つき!」
中年女性の叫びをきっかけに、兄妹に対する「噓つき」の大合唱が始まってしまいました。
わたくしは少し離れた所で様子を見ながら、凍り付いた様に立ち尽くしていました。
少年が語った暴言内容は、石のエッセーの作者が自身の経験談として披露していたものと、全く同じです。実母から言われていたという点も一致しています。
しかも、噓つき呼ばわりされ、周囲に信用してもらえなかったともありました。
服の上から、石をそっと抑えます。
(熱い。それでいて酷く冷たいわ。途方もない怒りと悲しみ、絶望が、石から伝わってくるみたい)
「ま、待て! これでは、話にならん。この2人は、次期領主たる自分が預かる。解散しろ」
セルジャンが群衆を解散させて、兄妹を連れて戻ってきました。
馬車に2人を乗せて、宿に向かいます。
聞きだした兄の名はロラン、妹はマリー。年齢は、わたくしが予想した通り、10歳と6歳でした。
わたくしは、少年の瞳が、光の加減で色味の深さが変わる不思議な緑をしているのに気が付きます。
悲しそうに俯くロランの瞳が暗く濁った時、……思い出しました。
わたくしは、この瞳と出会った事がある。
読んで下さってありがとうございます。
石は、『なろう』が読める他、辞書機能がついているイメージです。