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1-6 紅掛空の一幕


「私なんか生まれてこなきゃよかったんだ!」


 クライマックスでヒロインが叫ぶ台詞が、まだ耳に残っている。

 劇中で最もインパクトのある台詞、CMでも耳タコレベルで散々取り沙汰されていたけれど、話の流れで聞くとまた違った感銘があった。加えて、僕は思い出の中にこの台詞を持っている。それだけに余計に、ズシリと重くのしかかるようにして、耳に届いたのだった。


 映画『黒板消しと君』は同名の恋愛漫画を原作とした実写もので、主人公の男役に最近人気が急上昇している若い俳優を、もう一人の主人公であるヒロイン役に無名の新人若手女優を起用した、ということで、公開前から朝のエンタメ番組などでちょこちょこ取りあげられていた。公開後はそのハマリ役具合がSNSで大きな評判を呼んで、今ちょっとしたブームになっている。


 大まかなあらすじはこうだ。都内の公立高校に通う主人公は、将来に悩む高校3年生。ある日、通っている塾で不思議な噂を聞く。それは、どこかの高校の階段の壁に、紫色のチョークとセットの小さな黒板があって、そのチョークで言葉を書いてから黒板消しでキレイさっぱり消すと、書いたことを現実に「なかったこと」にできるというものだった。


 主人公は自分の通う高校に、一箇所だけ、何故か踊り場に黒板が設置されている階段があることを思い出す。しかしそこにあるのは古びた黒板消しだけで、紫色どころかよくある白いチョークの欠片すらない。噂は噂だと思っていたあるとき、主人公は目にしてしまう。粉受けの上の、新品の紫色のチョーク。半信半疑、本当だったら面白いという軽い気持ちで、散々だった「この前の模試の結果」をなかったことにしてみた主人公は、やがて、模試の結果がどこにもなく、自分はその日試験を受けていなかったと出来事がすり替わっていることを知る。


 次の日、紫色のチョークを手に取るもう一人の人物が現れた。彼女がなかったことにしようとしていたのは「義理の家族」。文字を消そうとした矢先に、再びやってきた主人公と鉢合わせる。二人の出会いから、物語が動き始める。


 主人公は単純な性格で、あまり深く考えずに日常の小さな失敗や後悔を「なかったこと」にしてしまう。ヒロインは反対で、あったことを「なかったこと」にすることの重大さに気づき葛藤しながらも、主人公よりはるかに大きな問題を「なかったこと」にしたいと願う。この二人が時にぶつかりあい、時に慰めあい、影響を与えあいながら、次第に仲を深めていく様子が丁寧に描かれていた。


「面白かったねー」


「ね。観て正解だったなー」


 エンドロールも終わり、照明が戻って明るくなったところで、僕らは口々に感想を言い合った。


 あのシーンがよかった。あの会話が面白かった。あの台詞がサイコーだった。席を立っても興奮冷めやらぬまま、語るものは尽きない。


 父さんなんかはよく、最近の映画は観るものがないって言って昔のばかりDVDで観ているけど、こう実際に映画館に来るとね。それだけでいいもの観たって気になるよ。

 テレビの予告を見ただけだと、しっとりした感動モノの印象だった。しかし、蓋を開けてみればコメディタッチな場面が思いのほかいっぱいあって、僕は笑える話が好きだから楽しかった。


「原作だとまだ続きがあるんだよね」


「そうなんだ。オレもうねーちゃんに全部借りようかな。後がウゼーけど」


「うざいの? なんで?」


「『どこまで読んだ?』とか『これも面白いよ!』とか言って、ベッタベッタしてくるに決まってる」


「仲良しでいいじゃんかー」


 ああ、うん、とトシが曖昧に返事を濁す理由を、古谷さんは今ひとつはかりかねたように首を傾げる。隣で聞いていた僕は察した。トシのお姉さんのベッタベッタは、本当にベッタベッタだから……。これは、いくら説明したところで、生で見ないと伝わらないだろう。


 私も、せっかくだから買ってみようかな。歩きながら追滝さんが独りごちて、反応した作利川さんが、それなら絵理は初マンガじゃない? と振り向く。マンガ買ったことないの? と新井くんが驚き、こくんと頷く追滝さんは、一番退屈なのは何巻? と言い出して皆を困惑させる。それ聞いてどうするの、それだけ買わないの? と作利川さんが問うと、追滝さんは真面目な顔して、一番つまらないところから読んだら、最後まで面白さが増えるからいいじゃない、と言う。その感性はつくづく不思議だ。


「面白かったね」


 最後尾を黙ってついてくる美奈に、そう話しかけると、美奈は表情こそ変えなかったものの、素直に頷いた。


「うん。面白かった」


 おお。好評価だ。好みに合わないものだったら「普通」とか「そんなに」とかはっきり言う性格の美奈が、好評価している。


 受付ホールに帰ってくると、ムックさんと僕らより先に上映室を出た主婦っぽいおばさんが、にこにこと世間話をしていた。作利川さんは例のグラスを返すため、追滝さんと美奈を呼んで、そこへ臆すことなく近寄っていった。


 なんとなく、カウンターの隣にあるショーケースを見る。上映作品に関連したグッズが、ディスプレイと値札の並びで数品ずつ置いてある。パンフレットや、クリアファイルや、ストラップなど。珍しいものだと『黒板消しと君』の題名にもある黒板消しが目立っている。

 こんなの、誰が買ってどう使うんだろうか。ファンデーションとか? いたなあ、小学校にふざけて顔面まっしろけにしていたやつ。ジョーだっけ。息ができなくなるよと先生に言われて、大慌てで水道まで走っていって……。


「なに見てんの?」


 トシの声がした。僕はショーケースに映ったトシの顔を見上げて答えた。


「パンフレット売ってるなと思って」


「何円?」


「700円」


「買えば」


「うーん……」


 心引かれていたのはその通りなんだけど、まあ別に、僕自身はそこまでこれが欲しいわけじゃない。いつだったか、急な仕事だかで来られなくなった父さん抜きで映画を観にきたときに、母さんが父さんに映画の説明ができるようにとパンフレットを買っていたことを思い出したから、見ていたのだ。

 なんだろうね。家族にお土産を買うのと、同じ感覚なのかな。


 それと理由はもう一つ。僕はともかく、美奈は、こういうのを思い出に持っておくのは好きなほうだと思う。気に入った映画のパンフレットに限らず、大事にしているのを知っている。でも、こういうとき、自分から買おうとはしないんだ。


 僕は振り返って、ちょいちょいと美奈を呼んだ。カウンターではいつの間にか、ムックさんと知らないおばさんの間に作利川さんたちも混じって話していて、美奈はその輪を抜けてとっとっと寄ってきた。


「なに」


「パンフレット一緒に買おうよ」


「いま観た映画の?」


「そう」


 僕が指をさした先の、値札を確認しようとして、美奈は膝を手に当ててかがむ。


 ぐいっと。

 ふと気づいたんだけど、美奈がそういう格好をすると、ショートパンツから伸びる脚が強調されて、室内だというのにやけに白く光って見えて……なんだか見てはいけない気になって、僕は強いて見ないようにした。


「……いいよ」


 半分ずつね、と僕を振り仰ぐ美奈。それから鞄に手を当てつつ立ちあがった。

 ……こういう動作、ときどき母さんと似てるなあ。出かける準備をしているときの……。


「あっちで注文するのかな」


「そうじゃない? ここ、展示してるだけみたいだし……あ、カウンターでお申しつけくださいって書いてある」


 買うという方向で合意に至ったので、ターンしてカウンターに向かおうとすると、俺も買おっかなー、とつられて言い出す人がいた。僕も美奈も、ちらとトシを見る。


「こういうの読んだりするの? ちょっと意外だそれ」


「オレは欲しくないけど……ねーちゃんが欲しがるかも」


 ショーケースの中身を見つめっぱなしのトシは、高3だから来年受験なんだけどさ、今年は遊ばないで勉強に集中するって言ってて……でもパンフレットくらいならいいと思うんだよ、などと誰にともなくぶつぶつ言っている。

 本人には言わないでおくけれど、トシのこういうところがお姉さんに溺愛される原因なんだろうなーと思う。僕は上だからわかる。生意気盛りな弟や妹が、それでも自分のためにお土産を持ってきてくれるのは、かわいいものだ。タンポポ? タンポポはまあ……うん。


「すいません、『黒板消しと君』のパンフレット買えますか?」


 数歩隣のカウンターにて。

 会話の切れ目を見計らって訊いてみると、あるよー、と愛想のいいムックさんの返事。トシを見やると頷いたので、2冊欲しいことを付け加える。


「買うの? いいなー」


 それを聞いた作利川さんと古谷さんが反応した。揃って頬をテカらせて――隣のクラスが授業時間にドッジボール大会を開くと知った小学生のように――身を乗りだした。


「ムックさん、私も1冊欲しい! もう一冊出して!」


「私も買います! もう一冊!」


 競りか。

 いや、バナナのたたき売りか? 違うか、芋づる式か。ううん、上手い言いかたが出てこない。


 残るは新井くんと追滝さん。しかし彼らは入札する気はないらしい。さすがにテンションで買いものしなさそうな人たちだ。


 支払いをして、それぞれに行き渡る前に、ムックさんは配給会社のロゴが入った半透明の袋を台の上にぱらりと置き、「ちょっと待ってね」と言い置いて奥でごそごそしていたかと思うと、違う映画のパンフレットを何冊も手に抱えて戻ってきた。それをカウンターの空いたスペースに広げる。


「古いパンフレットが余ってるんだ。もしよかったらおまけするけど、持っていくかな?」


 バラエティ豊かな冊子たちに、作利川さんと古谷さんの二人がいち早く食指を伸ばした。

 秋色の表紙、星空の表紙、シンプルな表紙、KEEP OUTテープの表紙、などなど……。ついこの前公開期間が終わったものから、何年か前のものまで、時代も様々だ。


「あ! これ『スカラップ・ラバーズ』だ! 前に楓奈と観に行ったよね」


「そうだったかも。あ、こっち、『二等星の夢』もある……この映画好きだったんだ」


 黄色い声を上げて、いつかの映画を懐かしむ彼女たちの頭越しに、僕はカウンターの内に訊ねる。


「おまけって、貰っていいんですか?」


「どうせもう処分するしかないものだからね。期間が過ぎたら、とっておいてもしょうがないから」


 田舎のおばあちゃんのような笑顔のムックさんに、会って間もないというのに僕は懐かしさすら覚える気がしてきた。せっかくなので去年公開だった怪獣映画のパンフレットをおまけに貰うことにする。たしか、こっちの映画は美奈には不評で、人が悲鳴を上げて逃げ惑っているシーンとかが特に好きじゃないみたいなことを言ってたっけ。


 最近観た映画なんてそれくらいで、美奈は観ていない映画のを貰ってもしょうがないと遠慮した。トシと古谷さんは、そういうことなら……と1冊ずつおまけを手にし、作利川さんに至っては目につくもの片っ端から貰おうとして、袋に入りきらなかったのでおまけを入れるためにもう一枚袋を貰っていた。


 その様子を見ていた、主婦っぽいおばさんが、呆れたふうに、にこにこ顔のムックさんを眺める。


「あなた本当に若い子たちが好きね。かわいがるのはいいけれど、ご自分のお店も大切になさらないと、立ち行かなくなってしまいますよ」


 立ち行かなくなる……聞き流しそうになり、はっと顔を上げる。やっぱり経営に問題が!? と先に感じた不安から思わずムックさんを見るも、応じる表情は穏やかだった。


「いいんですよ。年寄りが趣味でやってる道楽なんだから、儲けたいのでもなし」


 つい目を向けてしまったのは僕だけでなく、決して声音も変わらないムックさんののんびりとした口調に、何故かみんな、惹きつけられて一様に注目していた。


「今の子たちにも、色々な映画を知ってほしいですからね」


 それからムックさんは、一人一人に視線を返すように、僕らの顔を見た。


「どんなものにも作った人の熱意があるってことを、君たちにはよく憶えていてほしいと思うよ」


 言ってすぐ、説教くさいね、と謙遜して、ムックさんは照れたように頭を掻き、話を仕舞いにしようという感じでそそくさとグラスを片付け始めた。僕らは顔を見合わせ、向ける先は自然と作利川さんに集中する。


 カウンターに手を置いて、今日はありがとう、また来るねと作利川さんが言った。振り返ったムックさんは朗らかに応える。


「またいつでもおいで。財布が薄いときは出世払いで構わないから」


「だって。みんな頑張って、ムックさんをお金持ちにしてあげてね」


「楓ちゃんは出世しない気満々なんだね……」


 おばさんもムックさんも笑った。









 映画館を出て、商店街を歩く。わずかながら陽が落ちはじめる、春の夕方の商店街は、さっきよりも行き交う人の量が増えてきた。


 一度駅の向こうの大通りに出て、バスに乗って帰るらしい追滝さんと、自転車を駅の駐輪場に駐めてきた新井くんとは店の前で別れ、あとの僕ら5人は駅と反対のほうへ商店街をさらに歩いてゆく。


 さっきから駅とだけ呼んでいるこの駅……名前はさておき、とある私鉄の、乗り換えができるわけでもないのに急行が停まるこの駅は、僕らの住んでいる町の玄関口であり、町で一番賑わっているエリアの中心だ。ここの路線は僕らが生まれる少し前に開通した。それまではこの辺に住んでいる人はみんな、やや遠くにある公営鉄道の駅までバスを使っていたらしい。


 南口から大まかに三方向に道が伸びていて、一番西の道を進むと、一番早く住宅地に入れる。僕らの家や中学校なんかがあるのも、この方角。駅の北側ほどではないけれど町並みは割と新しく、また丘の上の土地なので見晴らしのいいスポットが多い。一番東の道を進むと、畑や神社なんかがちらほらと目立つようになる。こっちのほうが昔から住んでいた人が多くて、地域が古い。真ん中の道は東西の特徴がほどよく混ざった新旧ミックス。特徴といえば、ずっと行くとぶつかる大きな川の、河原のコートでサッカーができることくらい。


 今歩いているこの商店街は、駅ができるより前からあって、それだけに駅とショッピングモールが新しく作られると決まったときは、商店街中の人たちが閑古鳥の来襲を予想して戦々恐々となった。が、蓋を開けてみると、商店街がちょうど駅と住宅地の間に位置していたのもあって、往来する人の数はむしろ増え、以前よりも活気づいた……のだと作利川さんが教えてくれた。それでもムックさんのとこみたいにヤバイことになってるお店もあるんだけどね、と笑う作利川さん、どうして知っているのかといえば、彼女の家がまさに商店街の中にあるからなんだそうだ。興味本位で作利川さんちも何かお店やってるの、と訊くと、まあね、と頷いたものの、それ以上ははぐらかして教えてくれなかった。


 知らなくたって困らないけど、言いよどまれるとなんだか気になる。そこへ、古谷さんがひょこっと顔を出して振り向きざまに言った。


「私知ってるよ! 楓奈の実家はね、らぶうぇ」


 古谷さんのほっぺたを、獲物を獲るカメレオンの舌みたいな勢いで作利川さんの右手が挟んだ。らぶうぇ? とはてなマークを浮かべる僕らに、作利川さんは空いているほうの手をなんでもないと振る。


「らぶ……って、もしかして、あの……」


 直接言うのははばかられる……たとえば、何頼んでもラブラブカップルドリンクが出てくるような……。


「エッチなお店?」


「違うよ!」


 ひそひそする僕とトシを見て、作利川さんの手振りが倍速になる。


「ホントに違うからね!?」


「いはい、はなひへううなー」


 ぱっと解放され、自分の頬をさすりながら、顔が伸びたーと泣き言を言う古谷さん。


「なんか潰されるので私の口からは言えません。でもエッチなお店じゃないよ」


「いや……すごい秘密にすることでもないんだけどさ……」


 宣伝してるみたいでヤダ、と作利川さんは言った。

 そういうものなのか。小学生の時に、自分ちでは書道の教室を開いていると宣伝しまくっていたクラスメイトもいたけれど。


 それにしても……。


「作利川さんと古谷さんって、結構前から知り合いなの?」


 ふと気になって訊く。古谷さんがすぐにこっちを向いた。


「そだよー。私も楓奈も朝霧ヶ丘小だから、入学式も卒業式も一緒、運動会も遠足も修学旅行も」


「当たり前でしょ同い年なんだから」


「や、転校とかあるじゃん?」


「ああそっか、確かに」


「朝霧ヶ丘って、屋上にプールがあるんだろ」


 トシの言葉に、そうそう! と古谷さんと作利川さんが同時に頷いた。


 屋上にプール、そんな噂も聞いたような聞かなかったような……。

 ちなみにトシは僕や美奈ともまた違う、猪ノ原東小という、市内じゃ一番古い小学校の出身である。そこはたしかプール設備が古すぎて作り直しになって、今は地域で一番綺麗なプールを持っていた……はず。


「学校のプールは一緒に入ったことないけど……。とにかく、朝霧ヶ丘から一緒なんだ。言わなかったっけ」


 昨日、通信アプリのトークに古谷さんを招待する際には、友達を呼んだという以上のことを作利川さんは言わなかった。でも、呼び名といい、お互いに対する態度といい、昨年今年の知り合いじゃなさそうだと、勘が告げていたのだ。僕の勘は人間関係を見抜くことに特化している。たとえば、同級生にきょうだいがいるかどうか当てるのは得意だ。初対面は厳しいけど、三ヶ月も経てばおおよそわかる。


 それは今はいいとして、さっきおまけのパンフレットを眺めたとき、『スカラップ・ラバーズ』という映画を一緒に観に行ったと古谷さんが言った。それの表紙には3年前の年号が書いてあったのが見えたから、きっと公開は3年前なんだろう。


「仲良くなったのって、小5のとき?」


「うん、よくわかったね。あれ? 言ったんだっけ。言ってないんだよね?」


 当たりか。きっと今日みたいに、できたばかりのクラスメイトと親睦を深めるために作利川さんが誘ったんだと……いや、待てよ。あの映画のパンフレットの表紙は秋っぽかった。ということは、時期は秋だった? それに思い出してみれば、古谷さんはムックさんの映画館を前に「ここ来るの初めてー」と言ったから、行ったなら駅の大きな映画館のほう。小学生だけでは行きにくい場所だし、親御さん同伴で行った可能性が高い。ぜーんぶただの推測だけど、その通りだと仮定して、どちらの親もいて二家族で観たにせよ、片方の親が任される形で観たにせよ、そういうお付き合いが増えるのは学校というよりむしろ……。


「塾とか習いごととかで一緒だったりした?」


「そう、だからクラスは違ったけど……なんでわかるの?」


 怪訝な顔をする作利川さん。

 小5の夏に、古谷さんが通っていたスイミングスクールに後から通いはじめたのが交流をもったきっかけらしい。クラスは一度も同じにならなくて、この中学校の2年1組で初めて同じになったと。


 不思議そうな顔の二人に、だらだらと考えたことを簡単に伝えると、表情がだんだんぽかーんとしていって、最後には二人とも唖然の顔文字そっくりになった。顔文字のまま、二人が喋る。


「なに、稲橋くん、こわ~。探偵みたい」


「お父さんシャーロック・ホームズ?」


 何とも大袈裟な反応をされた。推理というほど立派なものでなく、偶然勘が当たったという話なのに。


「悠揮は時々頭よくなるよな」


 トシまで乗っかってきて、頭の悪そうなことを言った。

 違うんだよ。僕に言わせれば、探偵みたいなのは、追滝さんだ。あのなんでも知っていそうな感じは少し怖かった。


「じゃあじゃあ、稲橋くん、私の秘密あててみて」


 胸に手を当てて、古谷さんが悪戯っぽく笑う。いや、だから、そうじゃないってのに……、漠然と秘密と言われても……。追滝さんよろしく名字からルーツを探るほどの知識もなく困っていると、密やかに接近してきた作利川さんが、こそっと(しかし小さくもない普通の声で)耳打ちしてきた。


「昧羅は小5までおねしょしてたよ」


「ちょ、はあ!? なんで言うの!? なんで言うのっ!?」


 悪戯顔が途端に真っ赤になった。


「違うから! あれ、事故だからほんとに!」


「わざとやるやつとかいるの?」


「そうだけど! え、信じらんない、普通その話する!? ていうか、してないから、ウソだから!」


 まったくもって、つい昨日クラスメイトになったばかりの男子の前で、いきなり下ネタの被害に遭う古谷さんの心情、推して知るべし。

 慌てるあまり、歩道の柵に駐めてあった自転車を蹴っ飛ばしそうになって、くるりと一回転で身をかわす。


 小5……小5かあ……。悠介と悠奈は小4と小3だけど、もうおねしょはしないなあ。昔はみんなやらかしたよねーで笑い話にして飲み込むには、なかなかでかい一口だ。


「ウソだもん!」


 必死の主張を続ける古谷さんの背を、作利川さんがぽんと張った。


「そういうことにしといてあげよう」


「超むかつくー!」


 商店街の歩道をカバーする庇に、古谷さんの声が響く。


 ところで、こうきゃあきゃあと賑やかな二人と比べて、美奈はさっきからずっと静かだ。


 そう思って見ると、美奈はすぐに僕の視線に気づいて、なんなの? という目で見返してきた。それからまたすぐに、何も言わないでも思い至ったようで、目つきを和らげてさらりと言い放った。


「聞いてたよ。おねしょの話でしょ」


「……うん、まあ」


 そうだけど、そうじゃなくない? 作利川さんにも言えることだが、女の子が人前でそんなこと軽々と声に出すんじゃないよ。

 僕がうまい軌道修正を考えている隙に、美奈は続ける。


「お風呂にしっかり浸かって、下半身を温めてから寝るといいんだって。とことこクラブに書いてあった」


「とことこクラブってなに?」


「子育ての雑誌……」


 トシに訊かれて、自分の口走っている内容の(あらゆる意味での)妙ちきりんさに気がついたのか、美奈ははたと口を噤んだ。それでいい。っていうか、子育ての雑誌なんてどこで読むのやら。母さんが捨てないで持っていたのかしら。


「そういえばさ――」


 話が途切れたので、せっかく、健全な話題に、戻そうと思ったのに。

 そこで終わらせないのが作利川さんという人間だ。


「だって、昧羅。やったね。もう大丈夫だね」


 古谷さんは耳まで赤らめて噛みつく。


「何が!? 意味わかんない、もう楓奈やだ! 楓奈んちの宣伝ポスター作って学校の掲示板に貼りつけてやる!」


「それはマジ勘弁して!」


 そして何故か始まる鬼ごっこ。逃げる古谷さんに、追う作利川さん。僕とトシと美奈の周りをぐるりと動いたり、美奈を盾にしたりして繰り広げられた熱戦(ただし商店街の中なので色々控えめ)は、盾にされた美奈ごと捕まえるという禁じ手により、作利川さんの勝利で幕を閉じた。











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