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1-3 話せばわかる


「さっきの話の続きなんだけど」


 放課後を迎えてすぐ……それこそ帰り学活が終わって、クラスの空気が弛緩して、さあこれからざわざわしますよーとなったその途端に、作利川さんは僕らの席に現れた。


 僕とトシは彼女の方を向いて、ちょっとだけ固まった。というのも、自己紹介だの何だの新しいクラスの親睦を深めるためのレクリエーションに加えて学級開き特有の決め事オンパレードだった学活を、午前を丸々かけてやっていたおかげで、朝に作利川さんが言っていたことなど頭からするっと抜け落ちていたのだ。

 顔を見た瞬間、思い出した。トシも「あっ」みたいな顔をしたので、同じタイミングで思い出したようだ。


 追滝さんだけが、作利川さんが来ることはお見通しでしたという顔をして言った。


「何人までいいの?」


「一枚につき二人まで無料で、それが三枚あるから、6人分だね」


 作利川さんは今度は券を隠したまま、声も控えめだった。僕はちらと彼女の肩越しに教卓の方を見る。テッセンはまだ教室にいる。


 新学年の初日だもの、流石にね……堂々と風紀を乱して目をつけられるわけにいかないよね。


 ただし実際のところ、学校生活の決まりごと:持ちものについて『授業に関係のないものは持ち込み禁止』が守られているかというと、怪しいところがある。携帯電話や化粧品やマンガの類いを密かに持ってきている生徒は案外いる。でも、目立つところに持ち出したアホの事例を除けば、それが没収されたためしはほとんどない。

 大体、こういうのって隠してるつもりでも先生にはバレてるものだし。所持だけなら見逃すけど校内で使うな、と、おそらくこのあたりが教師と生徒の暗黙協定ラインだ。


 ちなみに僕は、余計なものを持っていこうとすると先生ではなく美奈に怒られて没収されるので、持っていかないようにしている。


「行く?」


「行く行く。いつ?」


「このあと行こうよ」


 作利川さんは無邪気に言った。僕とトシと追滝さんは示し合わせなしに一斉に同じ答えを返した。


「今日は部活で入学式準備」


 部活に入っている人は、午後の入学式準備に部活単位で駆り出されることになっているのだ。

 三方向からのバツ印を受けて、作利川さんは、それ忘れてた……と露骨にがっくりして口を尖らせた。


「なんだよ帰宅部は私だけかー」


「楓ちゃんもバド部に戻ってくればいいのに」


 さらっと。優しい笑みを浮かべて追滝さんが言う。作利川さんは狐のように口先をとんがらせたまま「えーいいんだよもう」とか何とかもごもご喋って流した。


 ……作利川さん、バドミントン部辞めたんだ。賞状まで貰ってたのに。

 誰しも事情があるものだから、顔に出ないよう気をつけたけど、それでも、珍しい、という思いがさっとよぎるのを感じた。


「じゃあ、明日は? 在校生は休みだよね」


 気を取り直しての新たな提案に、僕と追滝さんは大丈夫と答えた。明日は、小学校は授業日なので悠介と悠奈は学校、しかし僕たち中学生は自宅学習という名の休みだ。母さんも家にいるはずだから、二人を迎える留守番の心配もしなくていいはず。トシは、午後に部活があるが別にサボれる内容とのこと。それで、行くのは明日に決まった。


 ……さっき、無料になるのは6人までって言ってたけれど。ここで予定を立てているのは4人だ。作利川さんは他に誘うと決めた人がいるのかな。


 僕は教室を見渡すふうを装って、ある方向を見た。誰も彼もが席を立ち、しかし皆出ていこうとせず知り合いの輪を広げる活動に勤しむ賑やかな教室にて、目当ての人物は席に座っていて……あ、今、目が合いそうになったのに、慌てて逸らされたような気がする。何だ? 向こうもこっち見てたのかしら。


「稲橋くん」


 作利川さんの声で向き直る。揃えた指でちょいちょいと招かれた。

 この距離でさらに近づけとはどういうことだと思ったら、作利川さんはカーディガンの今度は袖口からちょこっと端末を覗かせた。丸い角がぴかりと光るメタリックな質感のそれは、紛れもなく……。


「ライン交換しよ」


 うわ、ワルい人だ。携帯電話の類いを密かに持ってきている人だった。


 半ば呆れて、僕は首を横に振る。


「持ってきてないよ」


「え、そうなの? 持ってくるタイプに見えた」


「そうなんだよ、悠揮持ってこないんだぜ。おれが紹介するよ」


「そうして」


 トシは片手で鞄を探って自分のそれを取り出して、作利川さんと机の下でこそこそ手を動かし始めた。何気ないふりして、その手のアプリを起動する。実に鮮やかな内職の手つきだ。


 それをやや引いた目線で見ているのが僕と追滝さん。

 特に追滝さんは、しょうがない人たちなんだから、とでかでかと書いてある顔でその光景を眺めていた。なんだろう、追滝さんの冷めた目の感じは、美奈が呆れたときにする顔と似ている。知り合ったばかりとはいえ、これまでの話しぶりから察するに、中身の生真面目さも似ている気がする。第一印象を裏切らないって意味では、美奈とは反対だけども。


「もしも見つかったら反省文書かされるんだよ。面倒だろ。ねえ」


 追滝さんに振った。隣の同志は目をちょっと丸くして僕を見た。


「その前に私、携帯持ってない」


「そうなんだ。それ、出かけた先で困らない?」


「外だって公衆電話があるから、あまり困ることないかな」


「あの番号回すやつか」


「ダイヤル式は、楽しくて私は好きだけど、もうどこにも置いてないよね。公衆電話自体もずいぶん減っちゃったし……」


 ふざけて言ったら、大真面目な顔で返されてしまった。


 ……ダイヤル式が、好き?

 楽しくて好き? どういうこと?


 好きと言うからには、過去に使ったことがあるってことだよね。回して使う公衆電話なんて、僕なんかどこかの資料館で見たっきりだ。触ったことなんかあるわけない。こう経験値に差があると、もはや同志とは言いにくい……恐るべし、追滝さん。


 もちろん僕は、普通の公衆電話がどういうものかは知っている。実は学校にも公衆電話があることも知っている。職員室の廊下の奥の、基本的に教師しか使わないトイレ、そのところの壁の窪みに緑の(言わずもがなダイヤル式ではなくプッシュ式の)電話が置いてあってちゃんと使えるのだ。


 以前は生徒も自由に使ってよかったんだけど、イタズラでピザを注文したり消防署に通報したりした上級生がいたせいで、今は先生の許可なしに使うことはできない。学校に携帯をこっそり持ってくる生徒がいるのは、この電話がいちいち先生に言わないといけなくて使いにくいせいもあるのでは、と僕は思っている。じゃなかったら、そもそも、電話があることを知らない生徒も多いのかもしれない。


 この電話の存在を僕が知っているのは、入学して間もない頃に、校内を隅々まで探検した美奈が教えてくれたからだ。

 美奈も追滝さんと同じで、携帯を持っていない。だから、学校に電話があってよかったとも、そのときに言っていた。


「あ、でも、この学校には……職員室のそばにあったよね、公衆電話」


 考えていたことの鏡映しのようなことを、急に思い出したそぶりで言う追滝さん。なんだか面白くなって、そうだね、と話を合わせて……そこで僕と追滝さんは、同時に動きを止めた。


「よし」


「紹介しといたぜ」


 友達登録の作業が一段落ついて、作利川さんとトシが机の下から目を上げる。


「グループ作る?」


「トークでいいだろ」


 そのときだった。


「作利川。お前またか」


 野太い声がした。


 ひとつ前の席の列の通路からだ。マンガでよくある黒いゆらゆらした効果線がそっちのほうから送られてきているのが目に見える。ざわざわしていた教室中のクラスメイトも、声をひそめてこちらを見ている。

 そこでようやく作利川さんとトシは僕と追滝さんが固まっている理由に思い至ったらしい。二人は苦い顔で振り向いた。


 テッセンがそこにいる。腕を組んで、恰幅の良い身体をさらにふんむと膨らませて凄まじい威圧感を放っている。


「お前ら机の下のそれ出せ」


「……」


「……」


「早く出せオラ」


「えー怒んないでよセンセー、いいじゃん、もう放課後だよ? 授業の邪魔してないよ」


「いいから出せって言ってんだろ吊すぞ」


 こわっ。恐喝だよ。

 テッセン体格がすごいから、吊そうと思えば本当に吊せるだろうし。


 僕の隣ではだいぶびびった様子の追滝さんが本をお守りのように抱きしめて縮んでいる。なんなら僕もちょっと縮んでる。トシと作利川さんはよくこんな、山で出くわしたヒグマみたいな重圧に立ち向かえるなあ。


「……」


 しぶしぶ、不承不承、不本意不本意、といった感じに、トシも作利川さんも机の下に隠していたブツを取り出してそれぞれに置いた。組んだ腕を解いたテッセンはそれらを両手に拾って、続けて告げる。


「親御さんに連絡するのと、お前はサッカー部だよな、辻原先生にチクるのと、反省文書くの、どれがいい」


「反省文書きます」


 トシはすぐさま言った。


 それはそうだろう。親に校則違反で連絡されようものなら、その後が面倒なことこの上ないし、サッカー部のボスともいえる顧問の辻原先生に失態を知られるなんて、ぺーぺーサッカー部員のトシにとっては他の何にも勝る死活問題だ。反省文一択だ。


 一方、作利川さんは余裕綽々の表情で、親に連絡ですかぁ、どうぞご自由にー、と言わんばかりにテッセンのマネをして腕を組んで、そっぽを向いていた。なるほど、そういうご家庭なのだろうか。おまけにバドミントン部も辞めたというのだから怖いものなしだ。


 しかしそこは去年も作利川さんのクラス担任だったテッセン、彼女の扱い方を熟知していないはずがない。しばらく無言で見下ろしたあとに、僕たち以外のクラスメイトには聞こえないくらいの声でぼそりと付け加える。


「その映画の券も没収するか」


「反省文書きます!」


 掌返し。めちゃくちゃ早い反応で早口だった。トシよりもずっと。


 これは職員室で預かっておくから、反省文書けたら取りに来いよ、と言うテッセンのさっきまでの威圧感は雲を散らすように消えてなくなった。野次馬というか現場を遠巻きに眺めていた生徒たちに気にするなと手を振って解散させながら、テッセンは悠々と去っていった。


 作利川さんはその背中にべーっと舌を突き出した。


「ハーゲ」


「おう髪余ってんならわけてくれ」


 捨て台詞ならぬ捨てられ台詞? を言い放つも一蹴され、作利川さんは悔しそうに向き直った。


 ……そんな彼女を見る追滝さんはお母さんのごとく慈しみ溢れる目をしていた。追滝さんのこの目と、テッセンの「お前またか」から察するに、こんなことは去年の3組では日常茶飯事だったに違いない。


「うぇーめんどくさーもぉー」


 机の上にぐでーっと脱力して伸びた作利川さんは、その体勢でふうとひとつ息を吐き、……ひとグループ分の上履きが横の通路を抜けて過ぎるだけの間を置いて、おもむろに顔を上げて追滝さんを見た。なんでしょうかと追滝さんが首を曲げると、作利川さんはぱんと両手を合わせて拝む。


「絵理、原稿用紙ください」


「はい」


 慈しみの化身となった追滝さんは、机の中から、驚くべきことに原稿用紙の冊子を取り出した。何でそんなものを持ってきているんだか知らないけれど、追滝さんは冊子をまんま作利川さんに渡してしまう。それからトシにも、使うならどうぞと声をかけた。


 一枚貰った原稿用紙を前にして、トシは頭を掻いている。このあと入学式準備もあるのにチクショーとうめく彼に、僕は激励のグッドラックサインを送った。


「ドンマイ」


「うぜー」


 足癖の悪いトシは、八つ当たりで僕の机の脚をぺこぺこ蹴ってきて、ちょっと揺らさないでよ、と作利川さんに怒られていた。









 放課後の、そのまた放課後。


 午後の入学式準備が概ね終わり……、これから勢いを増して燃え上がりますよ! なんて生まれたての火種のような今朝の気配とはまた違う、余熱に似た賑やかさに包まれた校内を、僕は一人歩く。


 入学式準備といっても、参加した全員が全員会場の準備をしたのではない。椅子を並べたり飾りつけをしたりとまさしく会場のセッティングをやっていた部活もあれば、学期末の大掃除と大差ないことをしていた部活もあった。会場を支度するのはいつも体育館で活動している部活で、文化系の部活は規模が小さくなるほどどうでもいいようなところに回される。どうせ作業量に対して人が余るんだから、帰宅部と一緒に文化系の部活も帰しちゃえばいいのにね。かくいう僕は運動部なので、昇降口を綺麗にする役目を任された。


 一番張り切って事に当たっていたのは顧問の先生だと思う。頼れる上級生として自覚を持って未来の後輩のための準備をしよう、とか。昇降口は新入生を最初に迎える学校の玄関だから責任重大だ、とか。いろいろ言われたけれど、はあそうですかという感じだった。


 ……まあ、今年小学校から上がってくるだろう懐かしいあいつらのためと思えば、頑張るのもやぶさかではない。やぶさかではないけど、面倒だった。昇降口の担当がやることって、面倒なんだよ。


 まず掃除。いなくなった3年生の空っぽの下駄箱の、春休みの間に溜まった埃を追い払う。次に、去年のクラス表と今年のクラス表とを照らし合わせて、旧クラスの出席番号の並びで入っている靴を、新クラスの場所に番号を検めて入れ替える。3年生の下駄箱に、2年生の下駄箱にしまってある靴を全て移したら、今度は空いた2年生の下駄箱を掃除。同じように1年生の下駄箱にしまってある靴を空いた2年生の靴箱へ。そして掃除。番号外の場所を勝手に使っている人のスパイクなんかは取り出しておいて一箇所にまとめておく。靴の引っ越しが全校生徒分、間違いなく済んだら、下駄箱が吐き出した埃を外へ掃き出す。下駄箱本体も拭き掃除してやる。本日新たに発見したことは、中学校では下駄箱の天板を拭き掃除するという名目があれば、登っても怒られないということ。掃除の後は、全ての下駄箱のかすれたり剥がれたりしている番号シールを新しいものに貼り替えていく。


 最後に、新入生が登校してきたらすぐ自分たちの使う下駄箱が分かるように、1年生の下駄箱だけ、赤と白のポンポンで簡単に飾りつけをする。これでやっとおしまい。


 担当の場所が終われば順次下校となっていたので、体育館のほうはまだ作業が続いていたようだけど、僕らは最終チェックを済ませて解散した。


 でもって、これ都合がよいと帰るのではなく、僕は校内に引き返して、第一棟、つまり特別棟の図書室を目指している。


 廊下も、階段も。明日新入生が訪れる予定のない場所はいつもと変わりない。

 むしろ、今日の特別棟は職員室の先生方もてんで出払っていて、わざわざやって来る生徒も少ないわけで、階を上がるごとに喧騒が遠く、静けさが濃くなってゆく気がする。

 窓から見える校庭も、普段なら野球部かサッカー部あたりが走りまわっているのに、強制下校の今日はがらんと寂しく広がっていた。


 昨年度の最新買い入れ書紹介や空想科学読本などが貼り出される壁に沿って歩くと、図書室の入口に着く。壁の上のほうの採光窓から垣間見える天井が暗いので、もしやと思ったら、引き戸には鍵がかかっていた。


 そりゃそうだよね。心の中で独りごちる。

 十中八九閉まっているだろうとは予想していた。まだ図書委員の持ち回りも決まっていない初日に、図書室が開いているはずがない。


 だけど、確かめないで帰るわけにはいかなかった。一緒に帰ろう、待ち合わせは図書室でって、約束をしたんだから。


 いくらあの律儀な性格の持ち主といっても、これなら先に帰ったかな。そう考えて僕は踵を返した。


「悠揮」


「どわああ!」


 いた。帰っていなかった。


 一体どこから現れたのか、美奈が僕の目の前にいた。驚いて叫んだ僕と、それにびっくりした美奈と、反発しあう磁石のようにお互い跳びすさって離れた。


「え、なんでいるの?」


「なんでって……」


「どこにいたの? 気づかなかった」


 そこ、と美奈が指をさしたのは、廊下の隅の壁の窪みだった。


 図書室の前の廊下は、第二棟、つまり一般棟の廊下よりもやや広くできていて、さらに、壁の何カ所か凹ませたところに板を埋めこむ形で、ベンチスペースが作られているのだ。そこにうまいこと収まっていた美奈を僕は見落としていたらしい。


「すげー、かくれんぼマスター」


「なに言ってんの」


 会ってさっそく呆れ顔になった美奈の手には、参考書が握られていた。


 図書室も閉まっていたことだし、美奈はこれを読みつつ僕を待っていたんだろう。参考書……しかも数学の、だ。そんなものが暇つぶしの選択肢に挙がることが信じられない。それだけ勤勉な生活を送ってたらそら頭もよくなるよねって話ですよ。さすがに、某隣席の女の子と違って、美奈は「マンガは読む機会がない」とまでは言わないけども。


「お待たせ」


 そう言って、帰ろう、と身振りで示すと、美奈は頷き、ふっと表情を緩めた。


 僕らの放課後はいつもこう――僕が部活があって、すぐに帰れない日は、どの部活にも入っていない美奈はその間ずっと、部活の終わる完全下校時刻の少し前まで図書室にいて、本を読みながら僕を待っている。


 美奈が参考書をしまうのを待って、二人で廊下を歩き出した。


「一日目はどうでした」


「……疲れた」


 訊くと返ってきたのは、溜息と同時に出てくるような声。本当にそうだったんだろうなーと思って、ちょっとおかしくなった。言葉は悪いが美奈のコミュ障っぷりは筋金入りだ。ちょっと前まではレストランの店員に水のおかわりを頼むのも大変そうだったのだから。


「後ろの子にすごい話しかけられてたよね」


「うん……古谷さんっていうんだって」


「仲良くなれた?」


「普通、だと思う……知ってる人?」


「いや、たぶん知らない。同じ小学校じゃないよ。どこって言ってた?」


 わかんない、訊かなかった、と美奈。そこで会話は少し止まった。


 階段の踊り場をぐるっと曲がる。上ってきた先生の誰かと、さよなら、と挨拶をしてすれ違う。


 昇降口まで戻ってきたあたりで、美奈が口を開く。わざとらしさを滲ませて言う。


「悠揮は、先生に怒られてたね」


「僕じゃない」


 心外だ。遺憾の意だ。僕はおかげさまで余計なものは学校に持ってこないから、怒られたりしないぞ。


 はて、最後に先生に怒られたのはいつだったっけ。自分たちで入れ替えた先の下駄箱からローファーを出しつつ、考えてみた。


 ……あれかなあ。小学校の掃除の時間に、ホウキと消しゴムでホッケー遊びをしていてホッケーするのはやめなさいと言われたからホッケーやめて紙くず丸めてボール作って野球始めたのが見つかったときが最後かな。あのときは、自信作の紙くずボールは捨てられてしまった上に、同じ班の普通に掃除していた女の子たちまで連帯責任で怒られてしまって、さすがに反省した。


 それと比べればテッセンは優しい。映画の招待券も見逃してくれたし。


「美奈」


 呼び止める。脱いだ上履きをしまおうと下駄箱に手をかけていた美奈は、動きを止め、僕を見た。


 昇降口から差す線状の夕陽と平行に伸びる簀の子の上に、すらっと伸びる姿勢の良い美奈のシルエット。……絵になるなあと思って、一瞬、話しかけた理由を忘れた。


「……なに?」


「明日さ、『黒板消しと君』観に行こうって、さっき話してたんだけど……美奈も行かない?」


「明日?」


「明日」


 靴を履き替え、僕と美奈は並んで昇降口を出る。


「作利川さんって子が映画の招待券持ってるんだって。で、一緒に行かないかって誘ってくれて」


「……」


「今、トシと、追滝さんっていう子が一緒に行くことになってる。どう?」


「……」


 美奈はすぐには答えを返さず、何か考えることがあるのかしばらく黙っていた。そこで暇になった僕は体育館のほうを見てみた。色が変わり始めた空の下、体育館の電気はまだついているので、そっちの作業は変わらず続いているようだ。ご苦労様なことですと、心の内で労い申し上げておいた。


「……私も行っていいのかな」


「いいと思うよ。もし他に誘えそうな人がいたら誘っといてって言われたから」


 帰り際、それぞれの部活に分かれる前に、作利川さんは僕らに言った。

 無料券が6枚あったとして、それより人数が多くなったとしても、追加分を割り勘すれば普通より安くなるのだからと、まあそんなところだろう。


 美奈はちょっと俯きがちに、小さな声で応えた。


「じゃあ……行く」


「わかった。伝えとくね」


 それきり、また会話が止まる。


 人気のない校門を出た。


 僕らの登下校はもともと、わいわいお喋りしながら……とはならない。会話もそれほど多くない。美奈は口数が少ないタイプで、僕も一人で延々喋っていられるほど口が回る人種ではないから、二人だけの帰り道はそれなりに穏やかな時間になる。言ってみれば、会話なら家で散々しているわけで……今朝みたいな事例は特殊例だ。僕らはもうオトナだから、たまに羽目を外すこともあるけど、いつもいつも追いかけっこをしたりはしない。


「悠揮」


 とか考えていたら呼ばれた。なんだろう、美奈から話を振られるなんて珍しい。

 そう思って振り向くと――


 ぞわわっ!


「うわぁ!」


 うなじを得体の知れないふにゃふにゃもこもこしたものがいくつもいくつも走り抜けていく感覚があって、気持ち悪さのあまり、それが何か、何故それは首筋にやってきたのか、頭が答えを弾きだす前に僕は脊髄反射で叫んでつんのめった。


 数歩逃げた先で、後ろ手に首根っこを隠してバッと振り向く。振り向きざま、白いものが顔の横を通り過ぎていった。その向こう、美奈がしてやったりという表情をしているのが見えた。

 その手が持っているのは、あの――タンポポの綿毛が全部飛んでいったあとの茎だ。


 合点がいった。美奈のやつ、僕の首に向けて綿毛吹いたな。


「朝の仕返し」


 早口で言って、美奈は役目を果たした茎を植え込みにぽいと捨てると、僕のそれ以上のリアクションを待たずして脱兎のごとく逃げ出した。


「……」


 ……上等じゃないか。


 僕は鞄をガッと背中に回して臨戦態勢をとる。


 もう一度だ。もう一度にゃーにゃー鳴かせてやる。覚悟しろ!


 ……そんな感じで。

 僕と美奈の穏やかなはずの帰り道は、慌ただしく過ぎてゆく。











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