1-2 クラスルーム
中学校の正門からは、高さの異なる二棟の校舎が見える。手前の背の低いほうが職員室をはじめ放送室や図書室、和室など特別な部屋の揃う第一棟で、奥が一般教室の多い第二棟。
二つの建物は、上から見たときに、おおよそ『縦棒が太いユの字』形になるように繋がっていて、その縦棒にあたる部分に生徒用の昇降口はあった。
昇降口から校舎に入って、ずらっと待ち受ける下駄箱の群れを前にして、僕は美奈に訊ねる。
「前と同じとこでいいんだっけ」
「そう」
美奈はさっさと歩いていく。昨年度まで僕らが使っていた、1年生の下駄箱には、もう何人かの外履きが入っていた。
小学校のほうは入学式が今日あるみたいだけど、中学校の入学式は明日だ。だからまだ、去年と同じ。今日の午後、入学式準備という名の学内ビフォーアフターが行われるはず。この立ち並ぶ下駄箱たちのクラスプレートや番号シールも一新されるだろう。
僕らの中学校では、古き良きというのか、下駄箱は木製の、扉が付いていないシンプルなものが使われている。見て分かるとおりプライバシーのない靴箱なので、バレンタインにチョコが入ってたりとか、秘密の手紙が入ってたりとかは、イタズラじゃなかったらまずない。そもそも今この時代にそんなことが実際あるのかは疑わしい。他校でも聞いたことないし。
そんな下駄箱を、僕はそれなりに気に入っている。
小学校で使われているのも同じ下駄箱だったからかな、使い馴染んでいて愛着があるのだ。
小学校では、この下駄箱、掃除の時間などで上に登る児童がわんさかいるので、扉付きのものに変えようかという話が一時期出ていたと聞く。ただ、予算がないとか、小学校が変えると中学校でも変えないといけなくなるとか、予算がないとか、扉を付けるとテストや残した給食や泥団子なんかを隠すやつがいるとか、予算がないとかで、立ち消えになったそうだ。
ちなみにその、上に登る児童とやらの一人はたぶん僕だ。ちりとりを上に投げて、それを取るのを口実に登ったりしていた。登って何がしたかったわけでもない。ただ楽しかった。
簀の子の上で、持ってきた上履きを出して、靴は下駄箱の中へ。
美奈は少し膝を屈めて、上履きの踵に指を入れて、片足ずつ履く。僕は適当に足先を突っこんで歩きながら履く。
「クラス分けの紙、貼ってないんだね」
「……」
美奈は、何を言っているのという目で僕を見た。
「クラス分けは始業式のときに発表って、書いてあったでしょ」
「何に?」
「春休みのしおり」
当たり前のように言う。
いやいや、そんなの憶えてるわけないじゃん。読んだかどうかも定かじゃないよ。
美奈はこういう、学校で配られるプリントの内容を、驚くほどよく憶えている。
しかも、自分が貰ってきたプリントだけじゃなくて、悠介と悠奈が持って帰ってくる小学校の配布物までいつの間にか読んでいて、その中身も憶えている。我が家のプリント博士だ。きょうだい揃ってお世話になっています。
美奈によると、在校生の年度始めはまず、昨年度のクラスで集まって、その並びで始業式をやって、そのときにクラス分けの発表の紙が学年ごとに配られて、教室に戻ったあと新しいクラスに移動する、という流れらしい。
知らなかった。小学校だと、登校したら昇降口に新しいクラスが貼り出されていて、それを見て直接行くようになっていたので……てっきり中学校でもそうなのかと思っていた。
そんなこんなで僕らは去年の教室を目指す。
1年次の教室は、第二棟の三階にある。昇降口にいても感じた、そわそわざわざわと浮つく空気は、階段を登るごとに濃くなっていった。この空気は独特だよね、いかにも新学期がやって来ましたって感じ。ステージをクリアするごとに世界が広がるゲームの、新たな一歩を踏み出したような感じ。
僕の中にはもちろん、そういう気持ちはある、が……。
隣を歩く美奈は、無感動な表情をしている。
一度、訊いてみたことがある。「新学期ってわくわくしない!?」と。それに対する美奈の返事は、「別に……」だった。学校行事も、さほどでもないらしい。一番わくわくするのはテストが返ってくるときだとか何とか。ハラハラの間違いじゃないか。
とにかく、そういう人が隣にいると、僕もその影響を受けて、そわそわ半分、落ち着き半分の妙な気分になる。
新しい学年が始まるねーわくわく! とこう、身を乗りだしたくなるような気持ちと、ふーんでも毎年あることだよねー、とこう、クールに遠巻きに眺めるような気持ちが綯い交ぜになる、というか……。うーん、上手いこと言えないなあ。
まあいいや。朝から難しいことを考えるのはやめよう。
三階の廊下に出ると、知っている顔が屯して駄弁っていた。
「お、悠揮」
「おはよー」
「お前寝癖ついてんぞ」
「マジ?」
まだ直ってなかったか。
後ろ頭を適当に掻く。
「ジョーが髪染めてんの見た?」
「知らない、そうなの?」
「やベーよあいつ、ぜってー怒られるぜ」
「あとで冷やかしに行こ」
そうして、さらに二言三言。
その横を、美奈がすっと通り抜けて教室へと歩いていった。先に行く美奈の姿を、僕は視界の中に捉えていたけど、特にどうすることもしなかった。
お互い言葉を交わさなくても、なんとなくこの辺で、となる。いつものことだった。
新学期初日の全校集会、もとい始業式は、入学式がまだなので当然ながら進級した2年生と3年生しかおらず、普段よりも体育館は広々としていた。
かといって、内容は特別変わることなく、その大部分が毎度おなじみの校長先生のお話だった。
僕らの中学校の校長は(どこもそうかもしれないけど)無駄に話が長いことに定評があり、さらに話し方にあまり抑揚がないので、聞いているこっちの集中力が保たない。念仏の時間と言い表したのは誰だったか、気分的には遠い親戚の通夜の席で耐える念仏の時間、まさにそれだ。
今日の話も、生徒全員が春休みを何事もなく過ぎ無事に新学期を迎えられて嬉しいということと、校長自身は休みの間に今流行りの映画を観に行ったこと、その最初のくだりまでは憶えているものの、あと何を喋っていたのか全く記憶にない。ザ・馬耳東風だった。
まあもしも校長の話の中身がテスト範囲に含まれるようなことがあれば、美奈が教えてくれるだろう。
そんなことよりクラス分けだ。僕は先の式で配られた、クラス分けの結果の紙に再び目を通す。
2年1組、5番、稲橋悠揮。
ぱっと見てすぐ目につくところに、僕の名前はあった。
5番の出席番号をもらうのは初めてで、それが少し、意外といえば意外。今までは、2番か3番か4番のどれかだったから……。
これでもし、今後1番をもらうことがあれば、綺麗なストレートが揃う……でも、どうかな、あるかなあ。1番って、とれそうでとれないんだよな。
そのまま、1組の欄をざっと追っていくと……、27番に、美奈の名前があった。
「……」
それほど驚きはない。美奈とは同じクラスになる予感がしていた。
双子や同姓がなるべくバラけるように組まれるのと似たようなもので、きっと偶然ではないのだろうと、去年のクラス分けを見たときにも思った。
他には、去年も同じクラスだった人が5~6人。同じ小学校で去年は同じクラスじゃなかった人もそれくらいいる。あとは、全く知らない名前か、名前は知っていても人となりは知らないか。
教室を見渡してみる。教室には続々と新クラスメイトが集まってきていた。2年1組の人たちは、どんな顔ぶれなのだろう……。
「悠揮」
名前を呼ばれた。
ぱっとそちらを見ると、教室の前から、見慣れた顔が歩いてくるところだった。
黒板に貼ってあった座席表を見てきたのだろうそいつは、僕の座っているひとつ前の席まで来て、椅子を引き出して逆向きにどかっと座った。
「オレここか。後ろが悠揮だとクラス変わった感じしないな」
「そうだな、でもよかったよ」
「いぇー」
「えーい」
パーを突き出してきたので、ハイタッチに応じる。ぱん。
これはさっきもやった。体育館でクラス分けの紙が配られた直後に。
彼は伊藤敏典という。あだ名はトシ。
短く刈りこんだ髪だけでも、いかにも運動ができそうだ。日に焼けていて、体つきは引き締まっている。絵に描いたようなスポーツ少年の外見。それは比喩とかではなく、保体の教科書に載っていた挿絵の男の子が、トシにそっくりだということで授業中話題になったレベル。
トシとは去年も同じクラスだった。知り合ったのは中学からだけど、ちょうど今年のように出席番号と席が近かったのがきっかけで、仲良くなった。
「遅かったね」
「ケンゴたちと話してた。てかなんで先行っちゃうんだよ」
「ジョーがさ、あいつは2組なんだけど、新教室に一番乗りしたいって言うんで僕も一緒に来た」
「ガキかよ。一番乗りした?」
「いや」
そこで僕は、自分の隣の席を見る。
隣の席には、眼鏡をかけた女の子が座っていて、僕らの会話に気を惹かれることなく、おとなしく本を読んでいた。
2年次の教室に一番に足を踏みいれるため、始業式が終わって速攻で(なお、3年生は僕らのクラス分けの発表より先に退場しているので、2年生に限って)荷物を取ってやってきた僕は、しかし一番にはなれなかったのだった。一番は、この子だった。
彼女は僕よりも、誰よりも早く1組の教室に着いていて、現3年生たちが消え去ったしんと静謐な教室で(隣からは「よっしゃー! 一番!」という声が聞こえた)、本を読みながら他の人たちを待っていた。それが予想外というかなんというか……不思議な感覚だったので、ぺらり、とその子の本のページがめくれる微かな音がするまで、僕はしばし呆気にとられてしまった。
……座席表を見て、事もあろうに僕の座る席が、教室にただ一人いる彼女の隣だと知った瞬間は、ちょっとだけ気まずかったな。
僕の視線を追いかけたトシは、声のトーンを少し落とした。
「……知り合い?」
「さっき知り合ったとこ」
トシが来る前に、少しね。
僕らの言葉が耳に届いたのか、女の子は顔を上げた。
はっきりした眉に、薄型の眼鏡、ショートカットヘアと、第一印象は堅い。
彼女は僕を見て、それからトシを見て、口を開く。
「追滝絵理です。初めまして」
「おいたきさん?」
「追いかけるに、滝壺の滝で追滝です」
「へー……」
トシは感心とも無関心ともどちらともつかないような声を出しながら、僕の持っていたクラス分けの紙を覗きこんだ。
2年1組、7番、追滝絵理、とある。ついでにトシは、僕のひとつ前の4番。
追滝さんはまた僕に目を向けた。
「二人は友達?」
「そうだよ。去年同じクラスだった。……追滝さんは、3組だったんだって」
後半はトシに向けて。トシは僕の机の上で腕を組む。
「じゃ二年連続でテッセンなんだ」
「うん」
テッセンとは、僕らの学年の社会科教師のあだ名である。
その由来は、植物とは関係なくて、下の名前が哲次なのでテツ先生が縮んでテッセンになった説と、もうひとつ、とある有名なゲームに登場する同名のキャラクターと体型が似ているから説がある。言い出したのは誰なのか……聞いた話では、結構前から流行っているあだ名らしい。
2年1組の担任はそのテッセンであることが、先の式中の担任発表で知らされた。
「それ、何読んでんの?」
「『燃える竹帛』っていう本」
トシに訊ねられて、追滝さんは本を立てて表紙がよく見えるようにしてくれた。
実はさっき僕も同じ質問をしているので、もう見ている。けどまあせっかくなのでもう一度見た。
黒地に、炎らしき赤い光がゆらっと立ち上る表紙絵。……美術の才能のない僕には、何をイメージしているんだかわからない。それに、ちくはく、ってのもまたわからない。ちぐはぐ……とかそういう系?
「面白いの? これ」
言外に「お堅そうだなー」という感想を滲ませつつ、トシが聞く。それではあんまり失礼じゃないか、と僕は心配になる……僕もどちらかといえばそっち側の人間だが、トシは僕以上にこういうものに興味がないのだ。才能を運動神経に全振りして生まれてきたようなやつだから。
追滝さんは少し顔を傾ける。
「うん……まあまあ? まだ全部読んでないからわからないけど、面白いと思うよ。あと」
あと? と、トシは怪訝な顔になる。追滝さんはふっと頬を緩めた。そして続けた。
「こうやって本を読んでると、初めて会う人には、何の本? って聞かれる」
「え、おう」
「それが知らない本だと、次には必ず、面白いかどうかを聞かれるの。本よりも、そのことのほうが面白いなって」
追滝さんは愉快そうな表情をしている。
「……」
トシは怪訝な顔のまま僕を見た。
この子ちょっと変な子だなと、声に出さずともトシの目がそう言っていた。
気持ちはわかる。僕もさっき話したときに、「“稲橋”って、愛知県のほうの名前だよね。そっちから来てるの?」なんて当たり前に訊かれて言葉を失ったから。
いや、普通、初対面の相手の名字からルーツを探る?
名前の由来なら、小学校のときにそういう授業があって両親に訊く機会があったから、なんとなく知っている。だけど、名字の由来なんて……。僕、愛知県について、トヨタの本拠地ってことと、カンガルーの形してることと、愛・地球博があったことしか知らないよ。稲橋が愛知にあるの?
追滝さんに限らず、頭のいい人というのは思考回路が僕ら一般ピーポーとは違うのだろう。それを改めて実感する出来事だった。会話の主導権を握られてしまうと、もうついていけなくなるやつだ。そういうときは、こっちのフィールドまで降りてきてもらうしかない。
彼女は見たところ本が好きなようだし、そうだとすると……。
「マンガは読まない?」
極端に物知りな人は、活字の本ばかり読んでマンガとかそういうものは読まないという偏見がある。追滝さんも例に漏れずそうらしく、僕の問いに頷いた。
「嫌いなわけじゃないんだけど、読む機会がなくって……」
聞きましたか奥さん。読む機会がないですってよ。マンガだよ?
僕らに言わせれば、本のほうがよほど読む機会がないものだ。自分でわざわざ買わないしなあ。
「どういうものが面白いの」
追滝さんが乗ってきた。僕はちょっと首を捻る。
「何だろ……あ、今やってる『黒板消しと君』はマンガが原作だよ」
「校長先生が話してた映画?」
「それ。僕はまだ読んでも観てもないけど」
「オレ原作は知ってるよ。姉貴が持ってる。借りてこようか」
「お姉さんがいいなら」
あの人か。あの人のことだから、トシの頼みならNOとは言わないだろうなー……。
あの人……つまりトシのお姉さんとは、トシの家まで遊びに行った際に、何度か顔を合わせたことがある。なかなかインパクトのある人だった。一言にまとめると、すごいブラコンだった。
……よその家のことだから、あまり面白おかしく言うのもよくないが、トシのためならシーラカンスでも釣ってきそうな勢いだった。
そういえば、と思う。僕は長男だから、弟妹にものを借りるよりは、貸すことのほうがずっと多い。だからこういうとき、上にきょうだいがいる人とは発想が違うと感じることがある。
姉(兄でもいいけど)がいるって、どういう気分なんだろう。最近はあまり気にならなくなったけど、昔、一時期、それがとても気になった時期があった。
自分がお兄ちゃんと呼び表されることが、嫌だった時期だと思う。自分よりも年上の、親ではない人間が家にいるという感覚……。
……美奈は、姉って感じじゃないしな。妹って感じでもないけども。幼馴染みは、幼馴染みだ。
教室の中ほどを見やると、美奈はもう来ていて、自分の席に行儀よく座っていた。
後ろの女の子に盛んに話しかけられているのを、人と話すのに積極的でない美奈にしては珍しく、頑張って応じているようだった。
「稲橋君は……」
追滝さんが何かを言いかけたので、僕は体の向きを戻す。
またぞろ僕の名字から家族構成でも当ててくるのだろうかと身構えたが、しかし、続きは聞けなかった。ちょうどそのタイミングで、新たな影が、僕らの輪の中に加わってきたからだ。
机の脇に、ぬっと現れた新たな人影。
「ねーねーねー」
今まで聞いた中で、一番よく通る声の「ねー」だと思った。
声と一緒に机にぱんと置かれた手の、爪にうっすらと桃色のマニキュアが塗ってあった。短いスカート。見上げる。ベージュのカーディガンを着ている。女の子にしては背が高い。長めの黒髪を後ろで一つに束ねている。その顔は……たぶん知らない顔だ。でも、目鼻立ちのはっきりした顔、パーツのひとつひとつがしっかり価値をもっていそうな顔から、活発そうな印象を受ける。
いきなり僕らに声をかけてきたその子は、何か面白いことを思いついたとき特有の、楽しげな笑みを浮かべていた。形のよい目が、中に妖精でも飼っているかのごとくキラキラと光っていた。
「いま、『バンキミ』の話してた?」
「まあ……」
頷く。頷きながら思う、彼女は誰だろう。同じ学年なので、どこかで見知っている気がしないでもないけれど、うーん……思い当たらない。トシの知り合いかと思ったら、トシも僕と同じく「誰?」という顔をしていた。
「楓ちゃん」
声を上げたのは追滝さんだった。楓ちゃん。……楓ちゃん?
その呼び名で、僕の頭にぱっと閃くものが。
ずらりと並ぶ生徒一同の前の、一段高いところに立っていた……それを僕は生徒一同の側から見ていた。去年のいつかの全校集会でだ。あれは表彰だったかな。そう、部活動の表彰の時に、壇上に一人立ち、校長から賞状を受けとっていた。
たしか、バドミントン部の……県の新人大会だか何かでいい成績をとった……んじゃなかったか。うん、そうだ。同学年が個人戦の賞状を貰っていて、すごいと思ったんだ。
名前はサキカワフウナ。憶え間違いでなければそう読み上げられていたはずだ。賞状を持って壇を降りるときに、どこかのクラスから女子たちの「楓ちゃーん」という黄色い声が飛んでいたのが印象的で、その声が今、記憶の海の底から急速に浮上してきた。
「私、元3組の作利川楓奈っていうんだけど、一年間よろしくね」
果たして、突然現れた女の子はそう名乗った。
ビンゴだ。春休みのしおりは忘れても、僕の記憶力はまだ捨てたものじゃないな。
「『バンキミ』、まだ観てないみたいな話してたでしょ? あっ、映画の方ね。あれ、観に行かない? あのね……」
一気にまくしたてる作利川さんは、悪戯を仕掛ける前の子供のように用心深く辺りをきょろきょろと見回してから、カーディガンの裏にすっと手を入れ、ぴらぴらっとした何かを取り出した。
「ここに映画館の招待券があるんですよ。タダだよタダ。ね、どう?」
机の上に置かれたぺらぺらのチケットを見て、追滝さんは本を閉じる。
「楓ちゃん、どうしたのこれ」
「親のツテ」
へへー、と笑いながら、作利川さんは僕の机の側面の低い渡し棒に片足をかけて、ひょいと身を乗りだす。ぐーんと上半身がせり出してきたので、僕とトシは身を引いた。そうしたら、彼女は今度は反動で反対側に倒れていった。とっとっとと足を踏み替え、通路を挟んで反対側の机に軽く腰かける。
「何、これくれんの?」
「うん、そうー」
ぐいーん。
作利川さんの上半身が戻ってきた。招待券の注意書きをじっくり読まんとしていたトシはまた身を引く。
僕はゆらゆらしている作利川さんの顔を見た。初めましてのクラスメイトに物怖じしないで、いきなり映画に誘うなんて……なんて、楽しそうな人だろう。追滝さんもそう、こう面白い人たちとぽんぽん知り合えるとは、オラわくわくすっぞじゃないけど、今年のクラスは当たりの匂いがする。
「せっかくだし、新しいクラスで友達作るのに使おうと思って――やべっ」
あっけらかんと言ったとき、ガラガラガラ……と前触れなく教室の戸が開いて、ずかずかと貫禄ある歩き方で我らがクラス担任のテッセンが入ってきた。
先生の登場により、教室が一気に慌ただしくなる。
作利川さんは机の上の招待券を猛スピードでかき集めると、元通りカーディガンの裏に隠して、何食わぬ顔でくるっと踵を返した。
「また後でね」
現れるのが唐突ならいなくなるのも唐突だ。
去っていく後ろ姿を見送る。見送りながら思う。やっぱり背が高い。髪も長い。見た目は随分と垢抜けてオトナっぽい。だけどなんだろう、彼女は自分の通った後に突風を起こしそうな、そんな予感がする。
テッセンが教壇に乗った。トシはぐるりと椅子の上で身体を回して座り直した。
僕と同じように作利川さんを見送っていた追滝さんは、楓ちゃんは相変わらずだなあ……みたいな、付き合いの長い人なら思うところがあるのかもしれない含みのある顔をしていた。