怪ノ拾「コウキ〜死の淵の中で獲た物〜1」
えー、皆様、お、お久し振りです(-_-;)
二ヶ月以上も更新停滞とかふざけたことしちゃってました。
読んでいてくれている方、本当に申し訳ありません(>_<、)!!
意識を取り戻した俺の目の前に広がっていたのは、地獄だった。それは比喩でも何でもない、そのままの意味での、地獄。
元の色が何だったのか解らない程に朱く染まった大地、その上を覆い尽くすぐちゃぐちゃでバラバラな肉片、耳に入る音は身体を引き千切られる罪人達の悲鳴と、罰という名の快楽を執行する獄卒共の嬉々とした嗤い声だけ。
俺は、どうしてこんな所にいる? 一体目の前のこれは何だ?
その光景は、そっくりだった。あの日に、あの時の惨劇に。俺が恩師と親友達を皆殺しにしたあの教室の中と、酷く、そっくりだった。
そして俺は思い出した。
ああ、そうだ。確か俺は死んだんだ。二体の鬼と闘って、殆んど全ての力を出し尽くして、致命傷も負って、生きる事を、辞めたんだ。
だから当然だ。俺が此処にいる事は、当たり前の事なんだ。俺は此処に堕ちるに足るだけの罪を、重ねてきたんだから。
――ニンゲン、キサマよくもオイラを殺してくれたな。
不意に、俺の背後からそんな声が聞こえてくる。俺は咄嗟に振り返ると、其処には半身が火傷したしたように爛れた牛頭鬼が立っていた。
俺はその姿に見覚えがある。俺が此処に来る前に闘った、あの牛頭鬼だ。
其奴の瞳には闘っていたあの時と同じ、並々ならない殺意が隠っている。いや、今の此奴の殺意は、恐らく俺と初めて闘った時よりもずっと強くなっている。
そう直感した俺も此奴と決着するべく、紅鬼となる為に牛頭鬼と距離を取る。俺の、最も忌み嫌うあの姿に。
……その時だ、俺が違和感を覚えたのは。
俺の姿は変わる事なく、元の人間の形を保っていた。忌み嫌っているとはいえあの姿でなければ妖怪と闘える訳がない。何故そうなったのか、理由が解らず困惑する俺のその隙を突くように、牛頭鬼は巨大な隻腕を俺に向かって叩き付ける。
その攻撃を躱す事なんて出来るわけもなく、俺の身体は周りにいる罪人達と同じようにぐちゃぐちゃバラバラに破壊される。生前でさえ感じなかった死の一撃の苦しみ、俺は悲鳴や叫喚を上げる事も出来なかった。だけどその苦しみは終わらない。何故なら俺は既に死んでいるのだから。だから俺の身体が何処まで崩壊しようと、俺の意識が消える事は決してない。
牛頭鬼の虐殺が一時的に止むと、瞬く間に俺の身体は再生された。まるで何事もなかったのように、その身体には傷一つ残っていない。だが一度死んだ瞬間に感じた激痛は、未だ俺の身体に刻まれていた。
牛頭鬼がもう一度その苦しみを与えようと、巨大な腕を振り上げる。
――また殺されるのか? 戦えもせずに、ただ無抵抗に殺されるのか?
「ああ、ウアアアアア!」
闘うという選択肢がなくなった俺は、自分でも笑ってしまうくらいに情けない声を上げて牛頭鬼に背を向け、一目散に走り出す。
とにかく、彼奴から逃げる事だけを考えて、走る、走る、走る。何処までもだらしなく、格好悪く、形振り構わず逃げ続ける。
――待て! まだまだ殺しタリナイ!!
背後から、そんな声がした。でも俺には、彼奴の言葉なんて問題じゃなかった。彼奴から受ける痛みに、俺は耐えられない。
俺は逃げながら、ずっと考えていた。
――死ぬ事なんて、怖くもなんともなかったのに、死んだ方が楽だと思えるような事の方が、生きてた時は遥かに多かったのに、でも此処は違う。死ぬ事が出来ない。どんなに苦しんでも、いっそのこと殺して欲しくても、死ぬ事さえ、許されない。
そして何より、闘う事さえもその選択肢に入らない。
そんな環境の中、俺の心は、簡単に壊れた。
今俺は、俺を追う牛頭鬼が怖くて仕方がない。
とにかく、走って、走って、逃げよう。そう考えていたのに、俺の足は、動かなくなった。俺の目の前にいる、馬面の鬼が、俺の足を、止めたから。
――ヒヒヒヒ、そんなに急いでドチラまで?
其奴の全身は焼け爛れていて如何にも満身創痍なはずなのに、其奴は、馬頭鬼は嗤って、俺をその巨大な脚で踏み潰した。
頭蓋を砕かれる痛み、脳漿をぐちゃぐちゃにされる痛み、鎖骨から仙骨までの骨という骨が肉を突き破る痛み、そして、ぺしゃんこになった俺の肉片をグリグリと磨り潰す痛み。
頭から一気に押し潰されたのにも関わらず、俺の身体は全身の痛みをじっくりと吟味するように感じていた。
そして新たな痛みを記憶させられて、俺の身体は再生する。
もう、限界だった。たった二度の死で、俺の精神は破綻した。これ以上死にたくない。壊れたくない。
そうして、俺はまたしても逃げた。牛頭鬼の時と同様に馬頭鬼に背を向けて、必死で逃げた。
――ヒヒヒヒ!! 逃げるのですか? ワタクシを殺しておいて、なんとミガッテな方なのか。
ヒヒヒヒと嗤うそんな声が、阿鼻叫喚の中に谺していた。
そんな事など気にも止めず、俺は逃げ続けた。もう、振り替える事さえも出来ない。只菅に、周りの事なんて関係無しに走り続けるしか、俺には出来なかった。
俺が必死で逃げている、まさにその時だった。周りが見えていなかった俺は、其処で誰かとぶつかってしまう。然も勢い余って突き飛ばしてしまったらしい。見ると其奴は、こんな地獄にいる事があり得ないと思ってしまう程、小さな女の子だった。
俺はその子を一瞥し、声も掛けずにそのまま立ち去ろうとした。
薄情かもしれないが、俺だってもう一杯いっぱいなんだ。どんなに小さな子どもでも構ってやる余裕なんて何処にもない。それに此処は地獄だろう? 此処には罪人しかいない。だから助ける必要なんてないんだ。
そんな言い訳ばかりが、頭の中を駆け巡っていた。
不意に、女の子が口にしている何かが耳に入った。
「きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう、きゅう…………」
俺の足は動かない。動かす事が出来ない。俺の足下には、女の子を突き飛ばしたこの俺の足下には、この地獄という非常な空間の中には不釣り合いな程に日常的な、マンホールがあった。……嘘、だろ?
「ワァアアアア!」
予定調和のようにマンホールの蓋が開いて、俺は穴の底へと引き摺り込まれていく。必死で壁をよじ登ろうとするが、穴から伸びる骨がそれをさせない。辛うじて感じる僅かな光の点を消えていくのを眺めながら、俺は聞いていた。あの、終わらない数え唄を。
「じゅう、じゅう、じゅう、じゅう、じゅう、じゅう、じゅう、じゅう…………」
白骨の細腕に絡まれて身動きの取れない俺を面白がるように響く、幼い声。細腕が全身を包み込む頃には、叫び声さえ上げられない俺がいた。
俺は文字通り、地獄の底へと堕ちていった。薄れゆく意識の中で、あの卑しい嗤い声が俺の耳に響いていた。
無骨な黒い刃が、機転の額を掠める。刃は間髪入れず、今度は腹部を狙う。次は脇腹、大腿、首筋と、執拗なまでにその黒き凶刃は彼女に襲い掛かる。
舌打ちをしながら、襲い来る刃の嵐から抜け出すべく後方へ跳躍する転。その表情には余裕がなく、何かに急いているようにも見える。
「どうした女ァ? 先から急に萎らしく為っちまったじゃ無えか?」
ゲラゲラと醜い嗤い声を上げながら、転へ迫る二つの刃。それを操るのは“鬼の軍勢”の頭領酒呑童子の片腕、茨木童子。
茨木童子はそんな彼女と対照的に、何処か満足そうな笑みを湛えながら闘っている。追い込まれてつつある転の状況を楽しんでいるのだろう。
その嗜虐性を否定するように、転は嘲笑とも取れる笑みで茨木童子に応える。
「ワルいねぇ飛鳥ちゃん、そろそろボクもキミの火遊びに付き合う暇がなくなってきちゃってさ。
残念だけどもう――――『終わりにしないかい』?」
転は語尾を強調するようにそう言う。然し、その言葉よりも速く茨木童子は彼女の首筋を狙い、漆黒の太刀を向け走り出していた。転は身体を横に回転させるようにしてその剣撃を受け流し躱す。然し躱しきれなかったのか、狙われた首には一筋の刀傷が走っている。
「貴様の言う事に一々耳なんぞ貸してられるか。
彼の“術”はもう発動させん。其の忌々しい喉を斬り裂いて、御期待通り終りにしてやるよ!」
タン、という足音から少し遅れて、茨木童子の姿が消える。否、茨木童子は視認出来ない程に素早く、転へ襲い掛かっているのだ。
「『止まれ』!」
転がまるで命令するように叫ぶと、茨木童子の身体は針金に巻き付けられたようにピタリと止まる。突き出した刃は、既に彼女の喉のすぐ其処まで迫っている。あと数ミリでも前へ出せば、きっと彼女の喉は引き裂かれるだろう。然しその黒い刃は、いつまで待っても前へは出ない。何かに抵抗しているのか、フルフルと震えているだけだ。
「此の、糞女ァアアア!」
金切り声とも言える奇声を怒りの雄叫びとして上げる茨木童子、今にも転へ飛び付かんとするその形相とは裏腹に、彼の身体は微動だにしない。
そんな茨木童子を見遣りながら、転は彼から一歩距離を置き話し始める。
「どうしたんだい飛鳥ちゃん? ボクの“術”はもう発動させないんじゃなかったのかい? しっかり掛かっているじゃないか、ボクの言霊にね」
今此処で、不敵に笑っているのは転の方だ。対して茨木童子の方は、苛立ちをその表情にありありと浮かんでいる。
「ふ、巫山戯るな! 此の程度の言葉遊び、直ぐに破ってやる!!」
激昂した茨木童子は無理矢理身体を動かそうとするが、それでも自身の肉体は動こうとしない。処か身の骨が軋み、これ以上力を加えれば砕けてしまう程に固まっている。
その姿をすぐ目の前で悠然と眺めながら、転は冷淡な声で茨木童子の言葉を否定する。
「無理だよ飛鳥ちゃん。言霊の力の強さは、術を掛けられる側がどれだけ術者の言葉を信じるか、そして術者が自分の言葉をどれだけ信じているかによって決まる。最初に言ったけど、未来が視えるボクにとってこれは予言のようなものなんだよ。
ボクがこうなると予言してしまえば、キミにはそれを否定する手立ては無い。キミはただボクの言葉に『従うしかない』んだよ。
ってことだから、悪いけどもう『帰ってくれない』かな? ボクにはこれからやらなきゃいけないことがある。それも大急ぎでね」
糞が、と呟きながら茨木童子は転から逃げるように後方へ飛び、距離を取る。
その瞳には並々ならぬ殺意を宿しながらも、身体は既に撤退に向かっている。
転との距離が離れ、最早戦闘不可能なまでに遠退いてしまった。然し転は聴き逃さなかった、茨木童子が最後に叫んだ言葉を。
「此の借りは絶対に返してやる! 覚えていろ! 貴様は必ず、俺が殺してやる!!」
見えなくなった茨木童子に向かって、転はゆっくりと首を振った。その顔は何かに憂いているような、そんな表情をしている。
「残念だけど飛鳥ちゃん、それは無理な相談だ。君が戦うべきなのは……イヤ、違うな。君と戦うべきなのはボクじゃない。君と戦うべきなのは、京くんだ。京くんでなければ、君は救えないし、そうしないと、京くんが報われない。
だからもう、ボクと君の戦いはこれでお終いだ」
言い終わると、転は転身し、足を進めた。
――早くしないと、手遅れになる。この状況を打開できるのは、今現在ではボクしかいない。
そう思う彼女の足取りはいつの間にか、駆け足になっていた。
「まだ、まだだよ京くん、疲れるのはまだ先の話だ。君はまだ、『死んではいけない』」