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鬼取屋  作者: 石馬
第参幕「酒呑童子」
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怪ノ玖「鈍角・駿角〜地獄で嗤う鬼畜の門番〜4」

「えっ、と……あの、それっていったいなんの冗談ですか?」


 ただ呆然とした口調で、美雨は転に問いかける。足元には先程少女が落とした缶コーヒーが転がり少女の靴を汚しているが、そんなことに気が回るはずなどなく、少女はその場から動かなかった。

 先程転の口から出た言葉の意味を、どうやら理解しかねているようだ。表情は辛うじて笑顔を作ってはいるが、固くひきつっていてまるで余裕がない。


「言葉の通りだよミサちゃん、京くんは今日、死ぬはずの人だ。

 理解できないならもう一度言おうか?

 京くんは今日、その命を落とす。其処には何の比喩もない、言った事そのままだ」


 転は初めて出会ってから今までで、美雨が聞いたことないような冷たい声を吐き捨てるように言う。

 コロコロと中身のないコーヒーの缶が風に揺らされながら、美雨の足元から離れたり近付いたりしている様を、その声以上に冷たい視線が追っている。


「うそ、ウソですよね? 京介さんが死んじゃうなんて、なにかの悪い冗談ですよね? だって、本当に死ぬはずの人を、たったひとりであんな危険な場所に残しておくわけがないですもん。だから…………ウソ、なんですよね?」


 美雨の、まるでそうであってほしいと懇願するような問いにも、転は冷たさを込めて首を振る。


「悪いけどボクは、人の生き死にで嘘を吐くのが嫌いな女でね、今言った事は全部、紛れもない真実だ」


「だから良いですよ、そんな冗談は。ウソなんですよね? だって、じゃあなんで転さんは京介さんのことを置いて私と一緒に逃げたんですか?

 ほら、おかしいじゃないですか、つまらない冗談はやめてくださいよ」


「――認められないかい? それでもボクは、この言葉を曲げる意思を現時点では持ち合わせていない」


「だから、ウソなんか吐かなくて良いから!」


 淡々と突きつけられた非情な現実に、美雨は遂に耐えきれずに叫んだ。その大きく円らな瞳は涙によって歪み、溢れ留まりきれなかったものが頬に一筋の線を引いている。

 自身でも驚く程の大声と乱暴な言葉を、美雨は転に対して浴びせかけた。何故自分がここまで怒りを露にしているのか、自分自身でさえ分かっていないのだ。

 人一人の死が、此処まで大きなものだったとは。美雨自身、気付いていなかった。


「なんで、なんでこれから死ぬような人をひとり残して逃げたんですか?

 なんでそうなるって分かってて、なにもしないでいられるんですか?! ……戻りましょう、今ならまだ間に合うかもしれない」


 縋るような美雨の声を、転は尚も冷たく突き放す。


「残念だけど、それは出来ないよミサちゃん、ボクは京くんから君を護るようお願いされているんだ。だからボクは君をあんな危険な場所に戻すつもりはない。

 それは京くんだって同じはずだろう? 君を生かす為に今、懸命に戦っているんだから。其処へ君がむざむざ戻って来た処で、それは彼に対する冒涜以外の何物でもない」


 温度のない視線が、少女を貫く。

 そしてその言葉を受けた美雨は暫しの間、瞳を伏せて考えていた。仮に、自分が京介の元に戻った処で彼の死は免れるのだろうか? きっとそんなことはないだろう。それ処か、京介が惨殺されている現場を目撃してしまうかもしれない。そんな光景は、もう二度と見たくない。

 あんな惨い光景は、あの日だけで充分だ。でも、それでも――――


 思考を止めた美雨は、伏せた瞳を上げて転をもう一度見つめる。その瞳には、彼女がこれからどうすべきか、彼女なりに導き出した結果が込められている。流石の転も、その決意を無下には出来ないだろう。美雨はゆっくりと、その決意を言葉へ変え、紡ぎ出す。


「……確かに、転さんの言う通り、なのかもしれません。でも、だからってこのまま私だけなにもしないでいるなんてイヤです。

 …………京介さんは、普段から私に意地悪なことしかしなくて、初対面の時なんか私を殺そうとして、でもやっぱり、最後は命懸けで助けてくれて、命懸けで私を護ってくれて、優しいのか厳しいのかよく分かんない人で、しかも私の言うことなんてなんにも聞いてくんない人なんです。

 どうして私がそんな人の言うことなんて聞かなきゃいけないんですか? しかもやっぱり、自分は死ぬ気でいる、こっちの気持ちも知らないで。

 ……私は、あの人に、京介さんにまだ死んでほしくないんです」


 もう決めた。そう言わんばかりの口調で、美雨は転に語り掛ける。彼女がどんなに反対しようとも、自分一人だけでも、それが足手纏いにしかならないとしても、結果として京介の思いを踏みにじる行為になってしまっても、それでも彼の元に行く気でいる。

 転は溜息を一つ漏らし、先程とは一転、優しげな口調で少女に問い掛ける。


「どうしても行きたいのかい? 京くんの所に」


 転を見つめたまま無言で頷く美雨、その美雨の真っ直ぐな瞳を受け、転はもう一度呆れたように大きく息を吐いて少女に言う。


「判ったよ、ミサちゃん。もうボクは君を止めようとはしない、好きにすると良い」


「転さん……ありがとうございます」


 美雨は転に一礼すると、振り返らずに走り去っていく。徐々に小さくなっていく少女の背中を見送りながら、転はボソッと、誰に言うでもなく呟く。


「あ〜あ、やっぱり嫌われちゃったかなぁ。まったく、向こうへ行った処で何か出来る訳でもないだろうに、よっぽど京くんの事を慕っているんだね。

 ……京くん、約束通りミサちゃんは死なせないよ。ちょっと、変更しなくちゃいけない所はあるけれど。

 ……そしてミサちゃん、今君の取った行動で、ボクらの未来は変ったんだ。

 ――未来なんて、そんなものだよ。何かの(はずみ)(くるり)と変わる。だから世界は、こんなにも面白い」


 秋の夜空を見上げる転の表情は、今まで背負っていた重荷を降ろしたかのように安らかだった。

 転は今まで外していた愛用の眼鏡を掛けなおすと、美雨とは反対の方向へ歩き出す。


 彼女の目の前には、黒衣を纏った鬼の姿がある。


「あらら、驚いたな、飛鳥ちゃんじゃないか? 久しぶり、元気にしてたかい?」


「フン、癪に障る女だ。俺は貴様など知らん。

 退け、貴様如き相手にする暇はない。俺は其の先に用が在る」


「ボクを覚えていないのかい? 哀しいなぁ、確かにクラスは別々だったけど、そこそこ仲良しだったつもりだったのにな。

 あと飛鳥ちゃん、残念だけどここから先に君を通す訳にはいかないな。あっ、別に意地悪してるんじゃないよ。

 ……ただ、もう未来は変わっているんだ。君の出る幕はもう閉じているよ」


 転は掛けたばかりの眼鏡を外すと、茨木童子のいる方向へ視線を送る。

 その視線を受けた茨木童子も、両掌から無骨な黒色の大太刀を取り出し、臨戦態勢に入る。


「何を言っているのかさっぱり理解出来ねえが、どうやら貴様は俺の敵の様だ。

 なら、遠慮無く斬らせて貰う」


 黒衣の鬼と、赤毛の予言者、両者はなんの前振りもなく、唐突にぶつかり合った。そしてこの戦いが、これからの物語の行く末を変えていく戦いになる。

 ……良くも、悪くも。




「ムォオオオオオ!!」


 鈍牛の醜い咆哮が、その場で谺した。

 地を揺らし、空気を震わすその雄叫びは、己を鼓舞するためのものではない。突如として顕れた火球に片腕をもぎ取られ、苦痛の悲鳴を上げているのだ。

 その傍らにいた鈍牛の相方も、状況を理解するのに四苦八苦していた。明らかに怪訝しい。ついさっきまで、今の今まで優勢だったのは自分達なのだ。なのに、今この場で最も苦しんでいるのは自分の相方である。たった一瞬の間に、たった一言の間に何が起こったと言うのか?


「ア、ア、アナタ、一体ナニをしたのですか?

 そのカラダであれだけの力が残っているはずがないでしょう?」


 そう言って鈍牛の相方、馬頭鬼の駿角は事の発端である敵に問う。

 その敵は全身を深紅の血に染めていた。元は頑強な鎧を纏っていたはずだが、それは鈍牛、牛頭鬼の鈍角によって粉砕されてしまった。

 辛うじて残った防具は、顔に張り付けた鬼神の面と左腕を保護する籠手だけである。

 どう見たところで満身創痍なのにも関わらず、紅鬼、鬼丸京介はその場に立ち塞がっていた。


 血塗れの紅鬼は駿角の問いには応えず、苦悶に震える鈍角を睨み付けたまま動かない。その身は熱を帯びているのか、血が蒸発し紅い煙を上げている。


「モォオオオオオオ!! キサマ、いったいナニをした!? オイラの腕が、腕がねぇぞ!」


 錯乱しながら地をのたうち回り、文字通り動転している鈍牛の問いに、紅鬼、鬼丸京介は吐き捨てるような口調で応じる。


「何をしたかって? テメエ、人の話を聞いてなかったのか? まあ良い、聞いてなかったんならもう一度だけ教えてやるさ。

 ――地獄の八業火。俺の、紅鬼の持つ八種類の炎技、そしてたった今テメエの腕を喰らったのは第一の業火、名を『鬼火』」


 言い終わると同時に、紅鬼は傷だらけの右腕の掌を鈍角に向ける。そしてまた、独り言のように呟く。


「喰らえ――」


 その言葉と共に形作られていく、紅鬼の(かお)、焔の紅鬼は勢いよく右手から解放されると、鈍角に向けて巨大な口を開くように広がり、そして噛みつくようにその巨大な半身を焼き尽くす。


「モァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 鈍牛の醜い断末魔が大気を揺らす。鬼面の焔は牛頭鬼の元で停滞し、まるでムシャムシャとその身を味わうようにして消えていった。

 残された牛頭鬼、鈍角の半身は炭化し、一部分だけ消ゴムで掻き消された落書きを連想させる姿になっている。


「ムゥオオ……キサマァア、よくも、よくもオイラの腕を……絶対に、ユルサねぇ!!」


 鈍角は失った腕の痛みが麻痺したのか、遂に激怒して紅鬼に突貫する。鉄のように硬く、大木のように太いその二振りの角を、鎧の剥がれた紅鬼に突き立てる。その姿は宛ら闘牛士へ果敢に向かう暴れ牛だ。

 然し紅鬼は、地鳴りを響かせながら突撃するその暴牛の姿を黙って見つめながら決してその場を離れようとしない。その傷だらけの身体で、両腕をだらりと下げ、前傾の姿勢を取りながらジッと静観している。

 縮まっていく紅鬼と暴牛の距離。その角の鋒は紅鬼に触れる距離にまで詰め寄っている。


「――揺らめけ」


 刹那、暴牛の頭の中で声が響いた。本来ならそんな雑音に気にも止めない鈍角だが、今回ばかりは勝手が違う。

 ――その声が響くのと殆んど同時に紅鬼、鬼丸京介は真紅の焔となり、霧散したのだから。


「モォ? ナンだ? あのチビ鬼ィ、ドコ行きやがった!?」


 あまりに一瞬の出来事で順応出来ていないのか、鈍角は自身の巨大な首を右へ左へ振り、キョロキョロと辺りを見回して消えた紅鬼を探す。

 いや、そんなことしなくとも、紅鬼はいた。鈍角の足元、すぐ目の前に。


「何処見てやがる? 鈍まな阿呆牛」


 鈍角が気付いた時には、既に終わっていた。紅鬼は右掌を鈍角の左足に突き立て、そして、呟く。


「喰らえ――『鬼火』」


「モオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 未だ止まぬ断末魔、鬼面の焔が、今度は鈍角の左足を貪り尽くす。

 最早鈍角の身体で、無事な箇所など数える程しか残っていない。然し怒り狂う牛頭鬼の眼光は、疲弊していながらも生気を失ってはいない。

 隻腕となった前足を地に着き、憤怒を孕んだ双眸で紅鬼を睨む牛頭鬼はその巨大な口を徐に開く。


「ブッ飛べ!! このチビ鬼がァアアア!」


 怒号と共に、地獄の大砲と化す鈍角。鼓膜を破壊しそうな轟音を響かせ、開いた砲口からはその巨体に見合う砲弾が何発も撃ち出される。

 砲弾は寸分狂わず紅鬼へ届けられ、その身を壊滅させんと襲い掛かる。


「モホホホホ!! オイラはカラダの中で造り上げた鬼鉄を好きなカタチに鍛え上げるコトができるんだ。

 どうだチビ鬼、鬼鉄の大砲をくらったキブンは?」


 自身が放つ会心の攻撃が成功したであろうことに安堵してか、鈍角の顔には余裕が戻り、あの燗に障る嗤いが聞こえてくる。

 紅鬼の姿は見えない。本当に木端微塵となってしまったのか、それとも――


「揺らめけ――『陽炎』」


 嘲笑を続ける牛頭鬼の前に、突如として無数の火の玉が現れる。火の玉はそれぞれ、一つひとつが徐々にその形を変えていき、人型の何かを象っていく。

 変形したその姿を見た鈍角の顔からは、嗤い顔は消え失せていた。

 無数の火の玉がそれぞれ変えたその姿は、皆一様に紅鬼の姿をしていたのだから。


「さてと、テメエにどれが本物の紅鬼(オレ)か、当てられるかな?」


 無数の紅鬼は口々にそう言って、まるで嘲るように牛頭鬼を囲んでいた。


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