怪ノ壱「榊美雨〜視える少女〜4」
あたしは、ずっと独りだった。
元々人より背が高くて、目付きも悪かったし、性格だって捻くれてた。周りの男子は皆あたしの事一目置いてて、中には怖がっている奴だっている。
誰もあたしに近付こうなんて思わなかったし、あたしだってそれで良いと思ってた。でも、そんなあたしにアイツは近付いてきた。
―-榊美雨、彼女はまるで何かに興味を持った幼い子供みたいにいきなりあたしに話し掛けてきた。
「あの、一緒にお弁当食べても良いかな?」
あの娘と話した、初めての言葉がそれだった。どうやら、入学したばかりで同中の奴等がいなかったから、同じく独りだったあたしに声を掛けたらしい。
「別に」
そのときのあたしにとって初めてのあの娘はただのウザったい奴だった。だからあたしは否定のつもりで、威嚇のつもりでそう答えたのを覚えている。
なのに、あの娘と来たらまるで気しないように「良かった」と笑顔で呟きながらあたしの席の隣に座ってきた。
それからというもの、あの娘は毎日のように一緒に食事をするようになった。それだけじゃない。事ある毎に、あたしに話しかけてくるようにもなった。
一時期、本当にそれが煙たくて、迷惑で、あの娘を苛めた事もあった。それなのにあの娘は、何時も、何時も何時も笑って、あたしについてきた。まるで刷り込みされた雛鳥みたいに。
ずっと邪魔者扱いしていたはずなのに、何時しかそれが当たり前の生活になっていた。いつの間にか彼女は、あたしにとって何より大事な友達になっていた。
あの娘のお陰で、私は孤独じゃなくなった。沢山の友達が出来た。
でも、私にとって本当に親友だと思ったのは、アンタだけだから、他の皆には悪いけど、私が変われるきっかけをくれてたのはアンタだから。
……全部、アンタのお陰だよ。有難う、――美雨。
「こんな所にいたのかぁ。
探したんだぞ、高坂」
陽気な声が、あたしの名を呼んだ。
その声の主は、目の前に平然と立っていた。
此処は2階、階段を降りて丁度、コイツに出会った。
「鬼丸……」
あたしが呼んだ名前は、コイツがあたし達の担任だった時の名前、今のコイツは、その時の姿なんてしていない。
青くヌメヌメの肌に、2本の角、最早怪物になったコイツは、ただの殺人鬼。あたしはこの殺人鬼に背を向け、一目散に走り出す。
アイツも逃げ出す獲物を見す見す逃がす気はない、追いかけてきた。
あたしは逃げる。何処までも、必死で、ただ必死で、本当に死ぬ気で、何処までも走り続けた。
アイツは追いかけてきているだろうか、そう思って何度か後ろを振り返る度、青い悪魔の姿がピタリと張り付いている。
……もう、ここまで来れば大丈夫かな。あたしは走るのを止めた。生きることを、諦めた。
目の前には、壁があったから……
振り向くと、青い姿の悪魔がやっぱり立っていた。その表情は、不気味なほどに嗤っていた。
青い悪魔は最後に、あたしに向かって声を掛ける。
「やっと捕まえた。随分と楽しめたよ。
だが、君の生にしがみつく力は素晴らしかった。
大切に戴くとしよう」
コイツはそんなことを言った。
バカだな、コイツ。あたしは生きることなんて、お前に背中を見せた時点で諦めてたのに。そんな事にも気付かないなら、教師なんか辞めれば良いのに。
あたしは最期まで笑えていた。
あたしは最期まで笑えていた?
答えてくれる声はもういない。
美雨、あなただけは、生き残ってね。絶対に、何があってもだよ。どんなに辛くて、苦しくて、泣きじゃくっても、生きる事だけは、絶対に諦めないで……
――さようなら、美雨。
……俺は今、目の前の女を喰い殺した。
この瞬間は何にも代えられない快感が体を支配する。
しかし忘れてはいけない。最後に一人デザートがあるという事を。
――榊美雨。君は一体どんな味がするんだい?そう考えると、身体中が熱くなる。まるで恋のように甘く、憎しみのように黒い感情が身体の奥から湧き上がる。
俺はその場で、狂喜の声を上げて悦んだ。
恐い、怖い、コワイ、こわい!
何で? どうしてこうなったの?
鬼丸先生は、何であんな姿になってたの? 悪い予感がしてたのに、何で、何でこんな所に来てしまったの?
何で!? どうして!? その問いに答えてくれる人は、もう誰もいない。
私が一人になって何時間経っただろう。何時間も経った気がするし、逆に数分と経ってない気もする。
怖くて怖くて、時間を感じれなくなっている。
ユメちゃんは言った。5分経っても還ってこなかったら、一人で逃げなさい。って。でも、もう我慢できない。私は生物準備室を出ることにした。
先ずは、ユメちゃんと合流しようと思う。
私は階段を降りて、ユメちゃんを捜す。職員室、保健室、体育館、昇降口、何処を捜してもユメちゃんは見付からなかった。
早くユメちゃんに会いたい。会って、ユメちゃんに謝りたい。たった一言、ちゃんと説明できなくて、ごめんね。って謝りたかった。
不意に、背後からガタンという音がした。……ユメちゃんかな? 私が振り向くと、其処には青い鬼の姿をした鬼丸先生が、気味悪く嗤って立っていた。
全身は暗くてよく見えない。だけどその右手には、何か丸いものを持っているような気がする。
月明かりが徐々に窓から差し込み、丸いものの正体が分かってくる。
えっ? 嘘、嫌だ。そんなの、認めたくない。そんなの嫌だ、何で? どうして?
――何で鬼丸先生の手の中に、ユメちゃんの首があるの?
そこに転がっていたモノは、鬼丸先生がさっきまで持っていたモノは、血塗れで首だけになった、わたしの親友、かけがえのない、ワタシノ、シンユウ………。
嘘だよ。そんな事、酷すぎるよ。私は力なく、壊れた人形みたいにその場で膝を着く。
……目からは、冷たいものが流れていた。
「やあ、榊。鬼ごっこは楽しかったろう?
しかし楽しい時というものは残念ながら早く終わってしまうものだ。
これでお仕舞いにしよう。高坂の所へ、君もすぐ連れていってあげよう」
鬼丸先生は本当に、心底楽しそうにそう言った。まるで自分のした事が、本当に良いことのように。
ああ、こんな事になるなんて、ごめんなさい、みんな、本当にごめんなさい。
ユメちゃん、ミキちゃん、本当に、本当にごめんなさい。私があの時、もっとちゃんと止めてればこんな事にはならなかったのに……
もう、生きる意味なんてない。私も、あんな風に死のう。
みんなの所へ行って謝りに行かなきゃ。
鬼丸先生は、私に向かって弓から放たれた矢のように速く、突っ込んできた。その速さに、私は目を瞑ってしまう。
肉が裂かれる音と一緒に、勢い良く鮮血が吹き出した。
……目を開けた私の前には、青い鬼の姿をした鬼丸先生と、今まで担任をしていた時の、人の姿をした鬼丸先生の二人が向かい合っていた。