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鬼取屋  作者: 石馬
第弐幕「鬼取屋」
43/63

怪ノ伍「矢木文一~歪な異性の愛し方~10」

 突如として現れた新たな登場人物。

 周囲の視線は、当然のように其処へ注がれていた。




 ――――――桜野栞、死んだはずの彼女が今、其処にいた。


 長い細腕や無感動な表情はないが、切丸が倒した文車妖妃に限り無く近い姿、死んだあの日と同じ姿で、文一の部屋の中に突然、現れたのだ。

 その瞳には敵意も殺意も感じられない。あるのは、優しさを含んだ好意のみ。これが本当の、本物の桜野栞なんだと、京介の後ろで視ていた美雨は思った。


「し、栞? なんで、どうしてこんな所にお前がいるんだ?」


 思わず声を張る文一。当然だろう、つい今まで自分のことを恨んでいるものだとばかり思っていた女性が、今自分の部屋の中にいるのだ。

 驚愕する彼を尻目に、京介はその存在に近付く。


「此奴が桜野栞だ。

 お前が作った偽物なんかじゃない。正真正銘、本物だよ」


 目前の女から目を放すことなく、文一に向かって京介はそう言う。

 京介が栞の前で足を止めると、栞は京介に対して、何かを訴え始めた。

 声のない栞の訴えは、後ろから窺うだけではどうにも理解し難い。当然、美雨はおろか文一や切丸、舞でさえ、栞のは京介とどんな会話をしているのか分からない。処か、見当さえ付いていないのだ。


「いったい、あそこでどんな話がされているんですかね?」


 遂に堪えかねて、美雨がそう口火を切る。すると隣にいた切丸がゆったりとした口調で応える。


「さあなぁ、あの人ああ見えてメッチャ適当やから、きっと口説いてるんと違うんか?」


 …………全くと言って良い程この場にそぐわないことを平気で言う切丸を、美雨は冷やかな口調で応える。


「…………絶対違うと思います。切丸さんじゃないんで」


「んなぁ!? 何で僕が舞ちゃん以外の女の子を口説かんといかんねん?

 そりゃ、まぁたまにはちょっと可愛い女の子に現を抜かすことはあるかもしれへんけど、僕程一途な男は居らんで!」


「切丸さん、喩え貴方が一途でも、叶わない恋って、あるんですよ」


 美雨の言葉に猛抗議する切丸に最後の一撃を加えたのは、舞の一言だった。

 最早屍と化した切丸に代わり、美雨の疑問に舞が自分の意見を答える。


「彼女が何を訴えているのか、向こうでどんな話がされているのか、私にもイマイチ解りません。

 でも、今此処に桜野栞さんが成仏もせずにいるという事は、少なくとも文一さんが関係しているんじゃないでしょうか?」


 「なるほど」と美雨が頷くのと殆んど同じタイミングで、京介と栞の対話が終わり、京介が皆のいる場に戻って来る。

 京介は一言も話すことなく真っ直ぐに一人の人間の処へと歩を進めていく。

 勿論、京介が歩を進める先にいる人間とは、矢木文一の事だ。


 文一の方もいい加減もう覚悟出来たのだろう。京介の貫くような鋭い視線から逃げることなく、同様に真っ直ぐな眼差しで京介と眼を合わせる。

 一刹那の静寂の後、先に口を開いたのは、意外にも矢木文一の方だった。


「アイツは、栞は一体、なにを訴えようとしていたんだ?」


 其処に恐怖や不安が無い訳がない。それでも文一は訊かずにはいられなかった。その言葉を言わずにはいられなかった。

 もしそれで彼女の『想い』の真実を知ることが出来るのならば、どうしても訊かなければならない言葉と思ったから。

 その意志を察して、京介も真っ直ぐ、ありのままを話した。


「お前の事だよ、彼女が言っていたのは。

 どうかお前を赦してやってくれって、殺さないでくれって必死に懇願されちまった。全くこんな優男の何処がそんなに良いのか、俺にはさっぱり解らねえな」


 呆れてそう言いながらも、京介の声には少し、優しさが混ざっていた。

 そして文一の肩を強い力で掴み、桜野栞のいる方を向いてまた、口を開く。


「これ以上後悔したくないのなら、もう逃げんな。前を見ろ。勘違いするな。例えその先が真っ暗な闇だろうと、深い泥沼だろうと、全部受け止めろ。彼女の言葉を、彼女が死んだ現実をよ」


 文一はその言葉を聞くと一度だけ小さく頷き、栞のいる手紙の間へ歩いていく。

 その足取りは軽いものでは決してない。恐る恐る、一歩一歩に自分の罪を乗せて踏み締めるように、栞の元に近付いていく。


 とうとう、彼は彼女の目前まで辿り着く。

 彼女はあの頃と全く同じ姿全く同じ笑顔で、彼を見据えていた。


「……栞、なんて、言えば良いのかな? オレ、君がオレのことを恨んで死んだって、ずっと、ずっと思ってたんだ。アイツらから君を守れなかったオレを恨んでるって、そう考えてた。

 正直、今だってそう思ってるよ。きっと君は、オレのことをまだ許していないんじゃないかって、不安で、恐くて、今この場に立てるのだって、一人なら絶対に無理だった」


 下を向いて自らを嘲笑いながら話す文一、そんな文一の言葉を栞は一句(ひとこと)も洩らすことなく聞いていた。

 その顔には、決して同情や憐れみなどではない、慈愛に満ちた笑顔を浮かべて、静かに首を横に振る。

 それでも矢木文一は、まだ話すことをやめない。


「だけど、オレはこの場に立つことが出来た。だから言うよ。どんなに君がオレのことを恨んでいようと、決して許してくれないと突き放してきても、それでも謝るくらいのことはしても良いだろ?

 …………栞、君が別れを告げたあの日、オレが君の都合なんか考えずに引き留めてさえいれば、君は死なずに済んだはずだ。



 ………………ごめん。本当にすまなかった。許してくれなくても良い。恨んでいてくれても良い。それ程の罪をオレは負ったと思うから。だから、だから――――――――」


 栞は笑顔のまま、文一のことをずっと見つめていた。返事の言葉はない。然し声なき恋人の声は、文一の耳ではなく心に直接、まるで唱うように流された。


 ――――――泣かないで。どうして貴方が泣かないといけないの?

 ――――――あの時に教えたじゃない、悪いのは私。貴方は何も悪くないわ。

 ――――――それに私は貴方のことを恨んだことなんて、一度だってないもの。許してほしいのは、私の方、貴方がこんなに苦しむなんて思わなかったわ。ごめんなさい。死んでしまって、本当にごめんなさい。


 …………雫が、彼女の頬を伝い落ちた。

 一粒、また一粒と零れ落ちるその雫は、彼女の足下を濡らしている。

 その表情は、それでも笑っていた。それこそ幸せそうに…………

 想い人の気持ちを、やっと知ることの出来た文一もまた、同じようにその瞳から大粒の涙を流していた。


 文一は力強く抱き締めた。感触も温もりもない栞の身体を、思い切り、もう手放すまいと抱き締めた。


 ――――――不思議だ。何も感じないのに、君の温かさを感じる。


 ――――――私も、貴方に触れることが出来ないのに、何故だか胸が苦しい。


 ――――――栞…………

 ――――――文一君…………







 ――――――愛してる。














 桜野栞は、消滅した。

 彼女がいたはずのその場所には、一枚の栞があった。

 桜色のその栞には、今は既に滲んで読めなくなった、彼女の名が刻まれていた…………。


「…………鬼丸さん。」


 何もかもを失った文一が呼んだ名は、栞ではなく、京介の方だった。

 京介は無言で、彼の隣に立ち彼の声を聞こうとする。

 そんな京介に、文一は問うた。


「栞は……、栞はもう、解放されたんだよな?」


 京介の方を見ずに、俯いたままの姿勢で訊く文一に京介はそっと、答える。


「ああ、もうあの子を縛るものなんて無いさ。

 お前のお陰で、あの子は救われたよ」


 部屋の中には青年の泣き声だけが響いていた。

 朝日がその背をを包み隠すまで、その泣き声は続いていた。





















 帰りの道中、車の中の四人は誰一人寝ることなく目を見開いていた。

 エンジンとタイヤの走る音以外、何も聞こえない車の中、その沈黙はやはり、彼女によって破られる。


「…………京介さん、あの人は、桜野栞さんは、本当に『本物』だったんですか?」


 突然の質問に、京介のハンドルを握る手に力が籠る。


「何だ藪から棒に? あれが本物じゃなきゃ、一体何が本物なんだ?」


「だって、怪訝(おか)しいじゃないですか。なんで別れを告げた女の人が、別れた男の人の部屋に現れるんですか?」


「…………」


 京介は答えない。無言で前を向き、ただひたすらに運転している。


「僕もそう思うわ。あの娘は一体、何を思ってあの場に現れたん?」


 助手席に座る切丸も、横から割って入ってくる。

 溜息を一つ吐いて、やっと京介は重たい口を開く。


「『本物』かどうかは俺の知るところじゃない。だけど別に桜野栞は、矢木文一の事を嫌いになった訳でも、愛が冷めた訳でもない。寧ろ死んだ今でも愛してるだろうな。

 じゃあ、何で別れ話なんか切り出したんだと思うよ?」


 其処で京介は一度言葉を切る。そして一呼吸入れてまた、語りだす。


「正直、こればかりは俺にも解らねえ。誰かに脅迫されたのか、誰かのために身を引いたのか、何れにしてもその誰かがさっぱり解らねえし、其奴が死んでねえのなら舞でも調べようがない」


 まるでお手上げといった顔をしながら、京介はそう言った。その様は宛ら玩具に興味を失った少年のようだ。然し、それでも京介は話すことを止めはしなかった。


「良いじゃねえか、あの霊が例え『本物』の桜野栞でなかったにしろ、やっぱり本物だったにしろ、最後のあの言葉が本音だった事には変わりない。

 少なくとも矢木はそれで満足だった。それで良いじゃねえか」


京介はそう言うと、また黙って運転に専念する。無言の時間が、また四人を包み込む。


「…………京介さん」


 暫く時間を置いて、美雨はまた京介に問い掛けた。


「本物の栞さんは、あんな風に苦しんでいる文一さんを見ていて、苦しくないんでしょうか?」


 その問いに、殆ど即答で京介は答えた。優しげな口調で、温かく、包み込むように。


「馬鹿野郎、大丈夫だよ。浄土に逝った人間に、苦しみなんかないんだから」







怪ノ伍「矢木文一~歪な異性の愛し方~」・了


―――――終わった。


なんかだらだらと長い話になってしまいましたね、今「怪」のお話。


本当に実力不足ですいません。もっとこう格好良く終わらせられないですかねえ(汗



感想や指摘などありましたら、是非お願いします。厳しい意見は大歓迎です。


ではでは「怪ノ陸」でお逢いしましょう。

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